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財賀寺と砥鹿神社~愛知県

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 6分

第1115話


昨日のNHK火野正平さんの心旅(再放送)で財賀寺が出ていました。

財賀寺(ざいかじ)は、愛知県豊川市財賀町観音山にある高野山真言宗の寺院です。本尊は千手観音。観音山の中腹から山麓にかけて伽藍が展開する山寺で、国の重要文化財に指定された平安後期の金剛力士(仁王)立像で知られています。


創建の時期は定かではありませんが、三河国陀羅尼山略縁起によれば、神亀元年、聖武天皇の勅願により行基が本尊千手観音並びに脇侍二十八部衆を自ら刻んで開創したといいます。


行基は、このブログではおなじみの人物です。このブログは台与の足跡を追いかけています。すると台与が居た場所には、必ずといって言ってもよいほど、行基が出現するのです。


行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。

今回は今までとは逆に行基の近くに台与(豊)がいた筈だと思い、財賀寺の周囲を探ってみました。


財賀寺の東を豊川が流れています。そして豊川の川沿いに砥鹿神社(とがじんじゃ)があります。(愛知県豊川市一宮町西垣内)


砥鹿神社(とがじんじゃ)は本宮山に千三百年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里宮とで二所一体の神社です。三河国内の筆頭神社一之宮です。


古代から豊川は、洪水を起こす暴れ川だったようで、江戸時代に、川下の吉田(豊橋市中心部)を洪水から守るため、上流に鎧堤と呼ばれる不連続な堤防が建設されています。昭和に入り、不連続な堤防は締め切られて連続した堤防になっています。現在では下流の水不足解消のため、信楽ダムが計画されています。


社記である「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」には、大宝年間(701年-704年)に文武天皇の時に天皇の病を鎮めるため、天皇の病を鎮めるため、草鹿砥 公宣(くさかど の きんのぶ)が派遣され本茂山(本宮山)の神を迎えて、里宮が創建されたしています。


本宮山には様々な奇岩、巨石(磐座)があります。磐座と台与については、このブログで何度も書いています。~第640話:大神神社を探る(3)~磐座神社  

これにより本茂山(本宮山)の神とは台与であることが分かります。


砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられています。また上記

伝承に見える草鹿砥氏は砥鹿神社の社家で、穂別の後裔と伝えられています。

穂別君の分家に但遅麻国造がいます。

但馬続風土記によれば、大己貴命*は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとあります。但遅麻は但馬(丹波)で、台与とは深い関係であることは、少し前に書きました。*大己貴命は台与です。~第798話:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市

<但馬(丹波)と台与>


文武天皇の大宝年間に天皇の病を鎮める為、草鹿砥公宣卿が勅使として「煙巌山」に使わされます。公宣卿は三河の山中において道に迷うが、この時出現した老翁の導きにより無事祈願を果たしたとされています。煙巌山は鳳来寺(ほうらいじ)で愛知県新庄市にあります。


このブログでは多くの寺院の創建伝説を書いてきましたが、たいていは、白髪の老人が現れて観音を感得して寺を建てるのです。白髪の老人はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米のことです。~第855話:醍醐寺と白髪の老人


財賀寺の「財賀」は寺名の由来を示す地名表記で、現在は愛知県豊川市の旧地名「財賀(ざいか)」に由来します。字面は「財(財産)」と「賀(祝う)」です。

鴨王=弟磯城:オトシキ=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は、饒速日七世孫の大賈布(大売布;饒速日七世孫)とされています。出典:師木県主 – 國學院大學 古典文化学事業 (kokugakuin.ac.jp)

大賈布とは大金持ち=長者という意味です。

財賀寺の「財賀」は台与の父親であるウツシコオのことだと思います。


豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市豊川町にある曹洞宗の寺院です。

近くに豊川が流れており、豊という地名から、台与(豊)の関係のある地だと思われます。

第728話ウマシマジ=彦火明命は台与2で書いたように彦火明命(宇麻志眞治:ウマシマジ)=台与は、尾張(愛知県)氏の祖です。~第370話:とよ(乎止与命・台与・臺與) 第729話:ウマシマジ=彦火明命は台与2


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<蛇足の追記>

鳳来寺(ほうらいじ)の寺伝では利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝わっています。利修仙人。神通力をもち、不老不死といわれたこの人物が、公宣卿は三河の山中において道に迷った時に出現した老翁です。つまりウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。鳳来寺は豊川の上流にあります。


前回書いた鬼神社もかつて正平さんが心旅で訪れた地です。


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

2件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
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財賀寺と行基の不思議な縁

財賀寺は愛知県豊川市にある高野山真言宗のお寺です。国の重要文化財である金剛力士立像でも有名な場所ですが、私が注目したいのは開基とされる「行基」の存在です。台与の足跡を追いかけるこのブログの調査の中で、なぜか重要な場所には必ずといっていいほど行基が現れるんです。これは単なる偶然なのでしょうか?

今回の考察では、財賀寺の歴史と台与との関連性を深掘りしています。ぜひ皆さんも一緒に、歴史の謎解きを体験してみませんか?


歴代の調査記録


  • 観音菩薩と台与(法輪寺・寂光寺)

  • 観音信仰と邪馬台国

  • 伊豆美神社の謎

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

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