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ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市

  • tootake
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分

第798話


ヲナンジ(小字名)は、桜井市大西地区北部に今も残る地名です。

ヲナンジとは、大己貴命(おおなむちのみこと)のことです。

「おおなむち」とは、「大穴持ち」のことで「大穴」とは鉱山のことです。

第63話:丹・朱を求めた天皇たちで書いたように、鉱山は邪馬台国(ヤマト)の貴重な収入源でした。


ヲナンジは、地域の地籍図や古老の口伝に残る細分化された地名で、主に田畑や丘陵、泉などを指します。この“ヲナンジ”という呼称は、文字どおり「オオナムチ(大己貴命)」の音韻が変化したものと考えられます。古形「オオナムチ(大己貴)」が中世以降の発音変化で「オナムチ」→「オナンチ/ヲナンチ」さらに促音化・清濁替化で「ヲナンジ」となったのです。


全国には「オオナンチ」「オナンヂ」「ヲナムチ」など、大己貴命を示す小字名・字名が散在します。例えば出雲地方や山陰、さらには西日本の棚田地帯にも「大男地(オオナンチ)」「小男地(オナンチ)」といった名が残り、いずれも農耕守護・国造り神としてのオオナムチ信仰と結びついています。


上代文献を見ると、万葉集や風土記などには大国主はオホナムヂ(大穴持ち=大名持ち)の名で記され、大国主神の名は見られないことから、少なくとも、八世紀頃までは地方の伝承に根を下ろすことはなかったと考えられています。そのため、大穴牟遅神など他の神名とは異なり、大国主は、古事記において創作された神名、つまり朝廷で作られた名であると指摘されています。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業


「ヲナンジ(をなんじ)」という地名は、古代の文献や神社名に見られる表記で、特に桜井市の大神神社の祭神・大物主神に関連する伝承の中で登場することがあります。たとえば日本書紀や古事記で、大物主神が「ヲナンジ」という人物に憑依する場面が描かれています。


古事記では、大物主神が「意富多々泥古(おおたたねこ)」の祖先である「ヲナンジ」に憑いて神託を与えたという記述があります。このような神憑りの場面は、地名と人名が混在することが多く、後世に地名化された例もあります。現在の奈良県桜井市で「ヲナンジ」に関連すると考えられる地名は、「三輪」「上之宮*」「忍阪」などで、古代祭祀や神話に深く関わる土地です。


この「ヲナンジ」は、実際には「大己貴(おおなむち)」と記されており、大神神社の祭神である大物主神と同一視される神格です。

つまり、地名そのものが神名を表しており、土地が神の依代(よりしろ)として認識されていた可能性があります。三輪山を御神体とする大神神社は、大己貴命を祀る古社であり、ヲナンジの地名が残る地域はその信仰圏に含まれます。

このような背景から、ヲナンジは単なる地名ではなく、神の鎮座地・神官の居住地・祭祀空間としての意味を持っていたと考えられます。


「ヲナンジ」の名を冠する田畑や竹林が、収穫・治水の祈願地だったとされています。

ヲナンジが登場する神託の場面は、三輪山信仰と深く結びついています。


このブログで、ずっと書いてきたように、収穫・治水は台与の業績です。

三輪の神=大物主=大国主は台与です。第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!


※ヲナンジ=オオナムチ=台与です。


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<蛇足の追記>

・上之宮は、天王寺区上之宮町にあり、聖徳太子ゆかりの地ですが、奈良県桜井市にも上之宮という地名があります。この地は、聖徳太子が若年期に居住していた「上宮」の伝承地とされており、古代史・太子信仰の研究において非常に重要な場所です。また、上之宮遺跡もあり、発掘調査により、6〜7世紀の園池遺構・四面庇付き大型建物・木簡などが確認されており、飛鳥時代の有力者の居館跡と考えられています。なぜ、上之宮がヲナンジとされるのかは、ヲナンジ=大国主=聖徳太子=台与と考えれば理解できます。聖徳太子は台与です。~第540話: 広隆寺と聖徳太子立像


・「おおなむち」は「大名持ち」とも書きます。その対比として「少名」という連想がから少彦名(スクナヒコ)が創作されたのでしょう。孝元天皇の子に、少彦男心命と名前が見えます。明らかに少彦男心命は少彦名大神(スクナヒコ)でしょう。記紀の作者は、こういうところで馬脚を露すします。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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tootake
2日前
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