葛井寺と王辰爾
- tootake
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第794話
前回の南円堂に続き8月は、葛井寺(ふじいでら)に行きました。葛井寺は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派の寺院。山号は紫雲山。本尊は日本最古という十一面千手観世音菩薩(千手観音)です。聖武天皇の勅願寺で神亀2年(725年)に創建されました。西国三十三所第五番札所です。
寺伝によると行基が創建し、聖武天皇より古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされていますが、そもそもは葛井連の氏寺であったようです。
葛井連の前身である白猪氏は百済辰孫王の後裔である王辰爾の甥である胆津を祖としており、日本書紀によれば、吉備国の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績により白猪氏の姓を賜ったとされています。奈良時代の養老4年(720年)に白猪氏は葛井連(藤井連)(ふじいのむらじ)に改姓しており、葛井寺は一族の葛井連広成によって創建されたとされています。
この王辰爾は、第783話:王仁(わに):千字文の嘘(1)で書いた王仁と同一人物であると思われます。王仁は台与です。~第784話:王仁(2):伝王仁墓
*白猪~猪=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=馬子というのが私の見解です。~第461話:猪は倭国??
この点をAIで確かめてみました。
王辰爾(おうしんに)と王仁(わに)は、いずれも百済系渡来人として日本の学問・文化に貢献した人物ですが、直接的な血縁関係は確認されていません。ただし、両者の関係性には興味深い象徴的・文化的なつながりがあります。
🧭 系譜と渡来伝承の比較
項目 | 王仁 | 王辰爾 |
渡来時期 | 応神天皇期(5世紀頃) | 欽明天皇14年(553年) |
出自 | 百済の博士とされるが、伝承色が強い | 百済の辰斯王の子孫とされる |
功績 | 『論語』『千字文』を携え、文首(ふみのおびと)の祖とされる | 船賦(税)の記録を行い、船史の祖となる |
学問的役割 | 啓蒙の始まり(軽島) | 教えの普及(訳田) |
📚 象徴的な関係性と文化的構築
『懐風藻』の序文では、王仁が「軽島に於いて啓蒙を始め」、王辰爾が「訳田に於いて教えを広め終えた」と記されており、両者が儒教文化の導入と普及を担った“始祖と継承者”のように描かれています。
また、王辰爾の名が「王仁」を意識して命名された可能性があるという指摘もあり、後世の為政者が「漢字・漢学は中国→百済→日本」という文化伝播モデルを構築するために、両者の物語を連続性のあるものとして仮託したと考えられています。
🧩 歴史的評価と通説
現代の研究では、王仁の「千字文」携行説は成立年代(6世紀)と矛盾するため、創作とされることが多く、王辰爾の渡来伝承も王仁の物語を模倣した構成とみなされる傾向があります。つまり、両者は「実在の人物+政治的・文化的構築による象徴的存在」として、日本古代史において重要な役割を果たしたといえるでしょう。
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葛井寺のすぐ近くに、辛国神社があります。大阪府藤井寺市藤井寺1丁目
主祭神は、饒速日命、天児屋根命、素盞鳴命です。
「辛国」という名称は、かつてこの地を治めていた物部氏の一支族であり、役小角の弟子であり呪術者の韓国広足*を輩出した辛国連に由来しています。創建は不詳です、日本書紀の雄略天皇13年3月条に「餌香長野邑を物部大連に賜う」とあることから、その頃に領地を賜った物部氏が祖先である饒速日命を祀ったことから始まり、辛国連が祭祀を司ったものと考えられています。
・饒速日命(ニギハヤヒ)は台与です。
・天児屋根命、素盞鳴命~ウツシコオ(内色許男命)です。
~第349話:天児屋命はウツシコオ!!
*韓国広足については、第475話:役の行者(役 小角)と韓国広足で「韓国広足(物部韓国)=物部韓国連榛麿=秦大津父=オトシキ=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と思われます。」と書きました。
葛井寺周辺には、古墳の密集度が高く、「民家に囲まれるというより、古墳に囲まれる」と形容されるほどです。前方後円墳・円墳・方墳など多様な古墳が数十基以上存在しており、藤井寺市全体では100基を超える古墳が確認されています。寺院の境内やすぐ近くにも複数の古墳が分布しており、まさに古墳群の中心地です。古市古墳群は、百舌鳥古墳群と並び、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の一部として登録されています。
王辰爾と同一人物の王仁は、このブログでは、台与です。
※行基が創建したとされる葛井寺は、そもそもは葛井連の氏寺で、葛井連の祖とされる王辰爾(おうしんに)と王仁(わに)と同一人物で台与であると思われます。疫病の大流行に三島(茨木市、高槻市、枚方市)から藤井寺市に移転してきたと思われます。
王仁=応仁天皇=台与です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与
*行基~このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は、なぜかこのブログに予期せず登場します。行基の初出は、第625話:大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)で、この回では、「行基が掘削指導した貯水池としては、昆陽池(昆陽池公園内、兵庫県伊丹市)、久米田池(大阪府岸和田市) などがあり、また狭山池(大阪狭山市) 日本最古のダム式貯水池(溜池)を改修しています。行基も渡来人=秦氏だからこそ台与と同じような知識と技術を持っていたのでしょう。」と書いています。台与と行基の背後にはいつも渡来系の技術者集団がありました。空海もこの行基を範をとっていたようです。~第790話:空海(3):大輪田泊(土木工事)
このブログを書いているうちに、台与の足跡をたどっているうちに、西国三十三番と重なる場所が増えてきました。
第一番 青岸渡寺→第543話:熊野の神々は、、、
第二番 金剛宝寺(紀三井寺) →名草(和歌山市)第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
第三番 粉河寺第 →768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡
第八番 長谷寺→第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
第九番 南円堂→第793話:空海(6):虚空菩薩
第十番 三室戸寺→三室戸寺~宇治(莵道)
第十八番 六角堂(頂法寺)→第519話:六角堂と平安京
第二十四番 中山寺→第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市
第三十番 宝厳寺(竹生島)→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖
番外 元慶寺(山科)→第720話:毘沙門堂~京都市山科
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語