王仁(2):伝王仁墓
- tootake
- 8月24日
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第784話
王仁は、「百済の文化を日本に伝えた。王仁は百済の文化を日本に教えた学者。王仁は、千字文と論語などの本を日本に伝えた。王仁は日本の人びとに漢文と儒学がわかるようにつとめた。」とされていますが、前回:王仁(わに):千字文の嘘(1)では、それらはすべて記紀の作り話だとしました。しかし、今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めており、王仁の功績をたたえる遺跡があちこちに残っています。面白いことに、それらの遺跡は、このブログで述べてきた台与と関係のある地なのです。
・伝王仁墓 - 大阪府枚方市藤阪東町二丁目に王仁の墓が伝えられています。
~第130話:王仁(わに)~邪馬台国異聞5
・高石神社 - 大阪府高石市。高石連の祖である王仁を祀っていたと和泉名所図会にあります。~第59話:高師小僧~大阪府高石市
・方違神社 - 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町二丁目。東原大明神は博士王仁と伝えられています。~第177話: 方違神社~大阪府堺市
・出岡弁財天 - 大阪府松原市 岡1丁目 王仁の聖堂址伝承があります。
~第618話:大阪と邪馬台国:丹比(たじひ)
・王仁大明神 - 大阪府大阪市北区大淀中3丁目(旧大淀区大仁町)にある一本松稲荷大明神(八坂神社)は王仁大明神とも呼ばれ、王仁の墓と伝えられていました。また近辺に1960年代まであった旧地名「大仁(だいに)」は、王仁に由来していると伝えられています。
~第759話:大阪と邪馬台国:都島・うちんだい
旧大淀区大仁町は、外国人に人気のスカイビルのあるところです。
そして、甲斐国志:四十八巻にも王仁の塚(和仁塚)について記載されています。
和仁(わに)塚は北宮地村に属せり……或人云鬼御堂は王仁御堂にて和仁(わに)塚と云は卽ち王仁の塚ならんかと云へり按に姓氏録に竹田の臣は孝元天皇の皇子大彦命の男武渟川別命之後也……
なぜ甲斐国志に王仁のことが記載されているのか、不思議に思われるでしょうが、私には心当たりがあります。第757話:甲斐国と甲斐田(枚方)では、枚方市にある甲斐田が甲斐国の由来としているからです。
竹田の臣竹田の臣は孝元天皇の皇子大彦命の男武渟川別命之後とありますが、竹田は甲斐の武田のことでしょう。孝元天皇の皇子大彦命の男武渟川別命とありますが、このブログでは、孝元天皇=大彦=武渟川別は台与としています。~第80話:大彦:天香語山命=高倉下(タカクラジ)=大彦=台与です。
王仁の墓と伝えられる地は、すべて台与と関連のあるです。
甲斐国は元々は私が邪馬台国とする枚方の地名です。甲斐国志に王仁(=台与)のことが書かれていてもそれほど不思議ではありません。
東高津宮(ひがしこうづぐう)は、大阪市天王寺区東高津町にある神社。旧社格は村社。元高津とも称されています。元は仁徳天皇社と呼ばれていました。境内には、王仁神社 ( 祭神)があり王仁博士が祀られています。
仁徳天皇も台与です。~第582話:仁徳天皇(第16代)
最寄り駅は鶴橋です。~第627話:大阪と邪馬台国:鶴橋・小橋
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<蛇足の追記>
・このブログで、お馴染みとなってしまった行基は、王仁の子孫とされています。前回書いたように、王仁=応神天皇=台与であるなら、行基は台与の子孫と言えます。行基は、なぜかこのブログに予期せず登場します。行基の初出は、第625話:大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
・田辺史広足(たなべのふひと ひろたり)という人物がいます。奈良時代の官人で、天平3年(731年)に甲斐国の国司(甲斐守)として任官されています。続日本紀では、甲斐国における最初期の国司として知られています。柏原市田辺1丁目にある春日神社は、田辺寺の跡で田辺史、すなわち田辺氏の氏寺でした。藤原不比等はこの寺で育ったとされています。
藤原不比等はこれからこのブログで登場する予定です。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
外国人に人気の梅田スカイビル

毘沙門堂~京都市山科
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語