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大避神社~秦氏はユダヤ人?!

第197話


大避神社(おおさけじんじゃ)は、兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社です。瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」で知られています。祭神は、大避大神で秦河勝のことです。


秦河勝の祖である秦氏は3世紀頃に大陸より倭国へ渡来した氏族で、秦河勝は飛鳥時代の族長的人物として聖徳太子の同志として活躍した人物です。京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置しました。広隆寺近隣には大酒(おおさけ)神社があり、赤穂市の大避神社(おおさけ)と同じ神社なのですが、大酒神社の方の祭神は秦の始皇帝です。


大避神社(おおさけ神社)の「避ける」という字は昔は門構えの中にあり、以前は大闢神社だったのです。『闢』という字は「びゃく」と発音し大闢=だいびゃく=ダビデを表しています。中国語でも大闢はダビデを意味します。この大避神社は、秦氏が開設した神社なのです。


日ユ同祖論では、「秦氏はユダヤ人である」と主張する説があります。公式な学会では否定されていますが、司馬遼太郎が「兜率天の巡礼」の中で登場人物にこの説を語らせています。


私も、20年くらい前に病院で発行していた薬剤ニュースで以下の文章を書いたことがあります。薬剤ニュース (hi-ho.ne.jp) 1994年5月1日号

日本人は不思議な民族です。民族的には、お隣の中国、朝鮮と最も似ている筈なのに、下記の点で両民族とは異なっているのです。

(1)1~10までの数えかたがふた通りある。

(2)ひらかなとカタカナの二通りの文字がある。

( 3)日本を神国とか神州とか思っている人がいる。

(4)神社・鳥居は、日本独自のものである。

(5)東南西北(トンナンシャ-ペ-)とは言わず、東西南北(とうざいなんぼく)と言う。~東南よりも東西方向を重視する。相撲でも「トザイ、トーザイと言っている。

  以上の謎は、かつて日本人はユダヤ人であったと仮定するとすべて解明できるのです。

 (1)いち、にい、さん、しいというのは、中国語のイ-,リャン、サン、ス-と本来は同じ音ですが、ひ、ふ、み、よはなんと古代ヘブライ語でしかも意味があるのです。(女神を呼び出す言葉で、ひとつふたつの「つ」は出てこいという掛け声です。)

 (2)ひらかなは漢字をくずしたものですが、カタカナと同じ文字が、イスラエルで発見されています。

 (3)ユダヤ教は、キリスト教やイスラム教の元となっている宗教です。ちなみにヘブライ語で「ヤ」というのは「神」という意味で、日本語で八重、八幡(やわた)、やおよろず、八坂、八幡など「や」が付く言葉で神社に関係しているものが多くあります。

 なお、ヤサカとはヘブライ語で神への信仰、そしてヤマト(YA・UMATO)とは、神の民の意味です。

 (4) トリイとはヘブライ語で門を表すTARAAがなまったものと思われ、神社と鳥居はダビデ王の宮殿に似ています。

 (5)日本人は東西を重視するくせがあるのです。そして常に東(日の昇る方向)を目指しています。

 西は、古語で”いにし”と発音します。”いにしえ”とは、過去と言う意味で、つまり日本人は過去に西から東(ひんがし=日向かし)に移動して来たと考えられるのです。

 日本人=ユダヤ人説は、明治時代に日本に来た英国人によって提唱され、今でも日本とイスラエルの学者(物好き)によって、研究され続けています。

 かってユダヤには十二の部族がいましたが、エジプトに、奴隷としてつれていかれ、十戒で有名なモ-ゼによって開放されました。その際、イスラエルに帰ったのは二部族だけで、あとの十部族は、神に約束された地であるカナン(河南?)を目指して、東に向かいました。

 常に日に向かって進んでいたため部族のリ-ダ-はヒコ(日子=彦)、ヒメ(日女=姫)と呼ばれ、海を渡りついに行き着いた所をヒムカ(日向)と呼びました。そして神武の時、さらに東遷し、ついに大和にやってきたのです。神武は、やまと言葉ではカム、ヤマト、イワレ、ヒコ、スメラ、ミコトと(創設  神の民   ヘブライの リ-ダ- サマリヤの  神の世界)呼ばれていました。(  ) 内はヘブライ語での訳

 太秦(うずまさ)の地にはヤスライ(ヘブライ?)井戸なるものがあり、ダビデの紋章である星が描かれています。藤原氏はかつて中臣といい、さらに古代には天のコヤネであり、神主のようなことをやっていましたが、コヤネ(KAHANE)は祭司のことです。まだまだ類例は有りますが、きりがないのでこれくらいにします。


つまり物部氏は、大陸からやってきたユダヤ人でユダヤ教を日本に移植し、神道を創設したのではないかというのが私の妄想です。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


広隆寺~京都府京都市右京区太秦:大酒神社の近くにあります。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
10. jan.
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秦人部 - 秦人の後に秦氏の傘下に降った倭人

八幡神

松尾大社

伏見稲荷大社

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)

大酒神社 - 京都府京都市右京区にあり、秦始皇帝、弓月君、秦酒公を祀る。

大避神社 - 兵庫県赤穂市坂越にあり、秦河勝を祀る。対岸の生島には秦河勝の墓がある。

旗宮

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
09. jan.
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