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吾田媛~ハニヤス姫

更新日:3月14日

第208話~タケハニヤスの乱は大彦のクーデター


武埴安彦命(タケハニヤス)は山背(山代)を出て、大軍を率い樟葉の渡し、鵜殿の渡しを経て、御牧国(枚方・高槻)になだれ込んだ。妻の吾田媛(アタヒメ)はすでに奈良県五條市から河内攻め込んでいた。大彦のいる禁野・交野を挟み撃ちにするの作戦である。

実は、先に仕掛けたのは大彦の方だ。大彦はタケハニヤスの配下にある伏見のクガミミを奇襲して殺してしまっていた。このままでは、自分も殺されてしまうと判断したタケハニヤスは軍を動かしたのだ。ミマキ国(邪馬台国)~タケハニヤスの乱1

しかしそれが大彦の罠だった。大彦は最新の騎馬軍団を用意し牧野(枚方市)で待ち構えていた。吾田媛の率いる兵の前には長脛彦が率いる物部の本隊が既に陣を牽いていた。


吾田媛は密かに天の香具山の土を取り、その土(埴:ハニ)で天神地祇を祀る土器を造り、密かに呪いごとをしたという。土で祭器を造り、その神威で国土を安らげることが「埴安」です。吾田媛は「是、倭国の物實、」と言ったとありますが、あえなく敗れ、殺されてしまいました。このことにより吾田媛(アタ姫)はハニヤス姫とされています。孝元天皇の后の一人にも埴安媛(ハニヤス姫)がおりタケハニヤスを生んだとされています。本来はタケハニヤスもハニヤス姫ももっと別のちゃんとした名前だった筈です。


このアタ姫=ハニヤス姫が木花開耶姫(コノハナサクヤ姫)であることを204話で述べました。上垣内憲一先生によると、アタ姫のアタ族は、紀ノ川の水運業者で初期には隣接する葛城の銅山を支配していたと考えられ、その銅山の利権と水運の利権をこのタケハニヤスの乱によって奪われてしまったのです。「謎の四世紀」上垣内憲一著p166


久米歌の謎解き~伊那佐の山 で述べた伊那佐の山は、奈良県宇陀市榛原自明にあります。この辺りがアタ族の拠点です。宇陀は神武天皇(孝元天皇=饒速日)が水銀を求めて兄ウカジ(エウカジ)・弟ウカジ(オトウカジ)と戦った場所です。


木花開耶姫(コノハナサクヤ姫)の父親は大山祇で私が3代目の三島の溝杭とする人物です。三嶋溝抗命はタケハニヤス です。

阿陀比売神社~木花開耶姫3 では、次のように書きました。

阿陀比売神社の社伝では、木花咲耶比賣は大若子神と結婚と書かれています。木花咲耶比賣の伝説では、邇邇芸命(ニニギノミコト)とと結ばれたことになっています。上垣内憲一先生は、阿陀比売(アタ姫)は神武天皇の最初の妻だと述べられておられます。そしてこのブログでは、大山祇は十市縣主の祖の大日彦(オホヒヒコ)で真下姫(細媛命)の父親です。素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)=真下姫を娶ったと古事記に書いてありました。となると木花開耶姫は、真下姫(細媛命)=市寸島比売ということになってしまいますがそれは違うでしょう。


木花咲耶比賣は大若子神と結婚と書いてあるのは、アタ姫(ハニヤス姫)が孝元天皇の后となったということです。ハニヤス彦も孝元天皇の子では大彦の兄です。様々な利権を持っていた兄を妬ましく思いクガミミを討つことで罠を仕掛けたのです。タケハニヤスの乱は本当は大彦のクーデターです。


<関連項目>


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。  

※これまでの記事はこちらです。



木花咲耶比賣(堂本印象)     吾田媛=埴安姫


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jan 24
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