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稲飯命は新羅王

tootake

更新日:2024年4月20日

第180話


第176話で述べた、氣比神宮の近くに福井県の白城神社(福井県敦賀市白木字上取)があります。祭神は彦波瀲武鵜草葺不合尊(ひこ・なぎさたけ ・うがやふきあえず )と稲飯命(いないのみこと)です。社伝によれば、朝鮮新羅城の新良貴氏の祖神「稲飯命(いないのみこと)」を祭るといわれていますが、 神社誌及び遠敷郡誌は「天日矛命の後裔が此国に留まり、其の遠祖である鵜茅葺不合尊、又は稲飯命を祀りしものとあります。 地名のシラキは日倉族の新羅人の住みしことあるにより起り、その祖神を祀りしとの説がありこれに従う」としています。 新撰姓氏録は新良貴氏を瀲武鵜葺草葺不合尊の男稲飯命の子孫とし、稲飯命を新羅国王の祖と伝えています。鵜茅葺不合尊(うがやふきあえず)は神武天皇の父で、稲飯命は神武天皇の兄です。


福井県神社誌には、「創立年代不詳。境内より縄文式土器の破片が発見されているから、 弥生後期(一、二世期頃)には祭祀が行われていたであろう」とあり、 更に橋本昭三の「白木の星」によれば「白城神社は延喜式にその名を記しており、 昔、朝鮮半島に栄えた新羅の人達が、はるばる日本海を渡ってこの白木の浜に上陸して住んだといわれる」と述べています。


白城神社に似た名前の白髭神社が近畿地方には数か所あります。一番有名なのは、琵琶湖湖畔の白髭神社です。祭神は猿田彦です。奈良県吉野郡にある白髭神社(郡下市町阿知賀字中屋は、豊受稲荷明神を祀っています。この地域は、岡峰古墳から出土した6世紀後半の日本最古の唐草文様の「黒漆太刀」が見つかったことから、最も早くに拓けた場所の一つとされています。この地域には、先進の文化と技術を携えて列島に渡来して来た人々が定住していたと考えられています。この神社から、この地域に渡り来た人々の出自を想像すると、古代朝鮮三国からやって来た人々だと考える研究者もいます。


和歌山県にある白髭神社(紀ノ川市切畑)は猿田彦命を祀っています。この周辺には、八坂神社、皇大神神社、賀茂神社、四面神社、野上八幡神社、熊野神社などがあります。


これらのことから、稲飯命(いないのみこと)は新羅と関係があり猿田彦とも関係があると推測できます。稲飯命は猿田彦だったのでしょうか。私は猿田彦はその容貌から西洋人系(ユダヤ人??)の渡来人で豊富な知識を持ち大和朝廷(邪馬台国)の顧問をしていたのではないかと思っています。


稲飯命について日本書紀には「鋤持神(さいもちのかみ)」とあり、関連して古事記の「山幸彦と海幸彦」でも「佐比持神(さいもちのかみ)」とあります。これらは鰐(わに)の別称です。古事記の神話では、山幸彦(火遠理命)は海神宮から葦原中国に送ってくれた一尋和邇(一尋鰐)に小刀をつけて帰したといいます。「さい」とは刀剣を指すとも考えられ、鰐の歯の鋭い様に由来するとされています。


日本書紀では「韓鋤(からさい)」、「句禮能摩差比(クレイノウマサヒ)」などと見えることから、朝鮮半島から伝来した利剣を表すともいわれています。韓鋤は素戔嗚が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治したときに用いた剣です。そしてその八岐大蛇のしっぽからでき来たのが草薙の剣です。素戔嗚尊は蛇韓鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。故に尾を裂きて看るとそこにはひとふりの剣があった。名を草薙剣と言う。


高句麗の建国話で、高朱蒙が「私は天孫(又は太陽の子)で河伯の外孫である、今日逃走してきたが、追手がいよいよ迫っている、どうすれば渡れるか。」と言うと、魚や鼈が浮かんで橋を作り、朱蒙らは川を渡ることができたという話があります。どこかで聞いたような話です。稲飯命は稲葉の白兎のモデルかもしれません。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




白髭神社(滋賀県高島市鵜川)


 
 
 

1件のコメント

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tootake
2023年12月17日
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