出雲と台与
- tootake
- 6 時間前
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第1032話
このブログでは、第603話:鉱物と邪馬台国(1)~出雲と鉄で書いたように、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与は出雲には行ったことがないはずだとしてきました。
しかし、第1030話:国引き神話の真実では、出雲の国引き神話に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)=淤美豆奴神(オミヅヌ)は台与であるとしました。
ならば、台与は出雲に来ていたことになります。
そこで出雲の地名(古代)を調べてみました。
出雲にも、健部郷があったことに気づきました。
出雲国風土記:出雲郡条には、「健部郷:たけるべごう・という郷名がはっきり記録されています。 地名の由来についても詳細に説明されており、 宇夜里(うやのさと)景行天皇が倭健命(ヤマトタケル)の名を忘れないために「健部」と改名し、 神門臣古弥(かんどのおみ・こみ)を健部に任じたとあります。
ヤマトタケルは台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与
第699話:https://www.hidemaru3375.com/post/ヤマトタケルの足跡を訪ねて-9-健武山神社では、滋賀県大津市にある建部大社は、ヤマトタケルを祀る神社として知られています。このように、「建部」という名称はヤマトタケルの功績や影響を反映したものです。その後、改めて健部と名づけたのは、景行天皇が、「わたしの御子、倭健(ヤマトタケル)の御名を決して忘れまい」とおっしゃって健部をお定めになったとされています。
と書いています。
出雲の健部が、現在のどこにあたるかというと、風土記・正倉院文書・地名学の研究から、現在の島根県出雲市斐川町(学頭・神庭・三絡)および松江市宍道町伊志見周辺に比定されています。銅剣358本が出土した荒神谷遺跡は、まさにこの健部郷の範囲内に位置します。
注目すべきは、荒神谷遺跡よりも、斐川(斐伊川)です。
斐伊川は、古くは「肥河」「簸の川」(ひのかわ)などと呼ばれていました。ヤマタノオロチが住む「ひの川」は、この斐川(斐伊川)はでしょう。
ヤマタノオロチは、洪水を起こす暴れ川としてきました。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
出雲には、他にも忌部川もあります。忌部はウツシコオです。~第97話:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草 第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
台与は、日本各地の暴れ川の改修工事を行って稲作の推進をしてきたとこのブログでは、書き続けています。
第603話:国引き神話の真実では、島根の王(意宇)を討ち取ってのが台与(八束水臣津野命=淤美豆奴神)だと考えれば、話はスッキリします。などと書いてしまいましたが、台与が出雲で討ち取ったのは、島根の王(意宇)ではなく、斐川(斐伊川)だったのです。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




垂仁天皇と五大夫 | 藤原の道人のブログ
inbe_kobito.pdf 忌部子首 こびと (子人)
淤宇宿禰 - Wikipedia
ぼくらの日本書紀 - 五世紀の出雲の「淤宇宿禰(おうのすくね)」とヤマト
こんにちは!歴史の探求者として、日夜古(いにしえ)の謎を追いかけている私ですが、今回は長年心に引っかかっていた、ある疑問について掘り下げてみました。それは、邪馬台国の女王・台与(とよ)と、神話に登場する出雲の国引き神話の「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」、そして「健部郷」という地名との関係です。皆さんは、この繋がりについてどう思われますか?
過去の考察と新たな視点
以前のブログ記事(第603話:鉱物と邪馬台国(1)~出雲と鉄)では、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、そして台与は、出雲には行ったことがないのではないか、という仮説を立てていました。これは、史料の解釈に基づいたものですが、歴史とは常に新しい発見によって塗り替えられていくものですよね。
しかし、第1030話:国引き神話の真実で、国引き神話に登場する八束水臣津野命(淤美豆奴神・オミヅヌ)こそが台与ではないか、という説を提示しました。もしこれが正しいとすれば、台与は確かに「出雲」に来ていた、ということになります。この新たな視点から、私は出雲の古代地名を調べる旅に出たのです。
「健部郷」に隠された意味
出雲国風土記を紐解くと、「健部郷(たけるべごう)」という地名がはっきりと記録されているのを発見しました。この郷名の由来もまた興味深いのです。宇夜里(うやのさと)という場所が、景行天皇が倭健命(ヤマトタケル)の名を忘れないために「健部」と改名されたと記されています。そして、神門臣古弥(かんどのおみ・こみ)という人物が健部(たけるべ)に任じられた、と。これは、ヤマトタケルノミコトと深い関わりがある地名だと感じました。
さらに、第699話「ヤマトタケルの足跡を訪ねて-9-健武山神社」で触れたように、滋賀県大津市の建部大社もヤマトタケルを祀る神社として知られています。このように、「建部」という名称がヤマトタケルと結びついている例は少なくありません。
これは、台与が国引き神話に登場する人物であると同時に、出雲という地が、ヤマトタケルをはじめとする古代の王権・英雄たちの足跡とも深く結びついていることを示唆しているのかもしれません。台与の渡来伝説と、ヤマトタケル伝承が交差する…まさに歴史のロマンですね!
<台与シリーズ>
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小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
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継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
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