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物部氏について(1):二田物部

  • tootake
  • 6 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:5 日前

古代の謎に迫る!「二田物部」のルーツを探る旅へようこそ


皆さん、こんにちは!歴史の深淵を覗くのが大好きな皆さんへ、今日はとっておきの話題をお届けしたいと思っています。


古代史、特に邪馬台国やその周辺の勢力に興味がある方なら、「物部氏」という名前は一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?彼らは、古代日本において非常に広範な地域に分布し、多くの支族を持っていたことで知られています。その中でも、今回は特に興味深い「二田物部(ふただのもののべ)」に焦点を当ててみたいと思います。


天孫降臨と物部氏

『先代旧事本紀』や『天神本紀』によると、「天物部」というのは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降られた際に従った集団や神々のことを指すそうです。そして、その「天物部」の一つとして「二田物部」の名が見られます。この名前を聞くだけで、なんだかワクワクしてきませんか?


「二田」という地名に注目すると、和泉国(現在の大阪府あたり)の上泉郡二田郷にあった曽禰神社の境内社に「二田物部神」が祀られているという記録があります。さらに、越後国(現在の新潟県あたり)の刈羽郡二田郷にも物部神社があり、ここにも「二田物部神」が祀られているとのこと。特に新潟県柏崎市西山町二田には、越後国二宮とも呼ばれる「物部神社」(二田物部神社、二田神社)が現存しています。


祭神と歴史的意義

その物部神社(二田神社)の主祭神は「二田天物部命」(ふたたのあめのもののべのみこと)です。先ほども触れましたが、『先代旧事本紀』の「天神本紀」には、饒速日命の降臨に供奉した「天物部等二十五部人」の筆頭に「二田物部」の名があるそうです。また、「天孫本紀」では、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと、饒速日命の子)が「天物部」を率いて反逆者を討伐したとも記されています。さらに、配祀神として「物部稚桜命」(もののべ・ちざくらのみこと)も祀られているとのこと。


このように、「二田物部」という存在が、古代の神話や歴史叙述において、重要な位置を占めていたことがわかります。彼らがどのような役割を担い、どのような人々と関わりを持っていたのか、想像するだけでロマンを感じませんか?


もっと深く歴史の謎に触れたいあなたへ

このブログ記事では、「二田物部」について、さらに詳しい情報や考察が満載です。広範な物部氏のルーツや、古代の神話・伝承に隠された秘密を一緒に探求しませんか?歴史愛好家、研究者の皆さん、そして古(いにしえ)の謎に心を惹かれるすべての方に、きっと楽しんでいただけるはずです。


今後も、皆様の知的好奇心をくすぐるような、古代史の秘密や興味深いトピックをお届けしていきますので、どうぞお楽しみに!

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第979話


物部氏の特徴のひとつに広範な地方分布が挙げられます。長門守護の厚東氏、物部神社神主家の長田氏・金子氏(石見国造)、廣瀬大社神主家の曾禰氏の他、穂積氏、采女氏をはじめ、同族枝族が非常に多いことが特徴です。


天物部は、饒速日命が天下った際に随伴した集団あるいは神です。先代旧事本紀や天神本紀に記されています。その天物部の一つに二田物部があります。


和泉国上泉郡二田郷の曽禰神社(大阪府泉大津市曽根町の境内社に二田物部神が祀られています。二田町は大阪府和泉大津市にあります。〒595-0015

泉大津市も台与の拠点の一つです。~第812話:泉国:大鳥大社


また、越後国刈羽郡二田郷の物部神社に二田物部神が祀られています。


新潟県柏崎市西山町二田(ふただ)には、物部神社があります。越後国二宮で、二田物部神社とも、二田神社とも呼ばれています。


祭神は次の3柱です。

主祭神:二田天物部命 (ふたたのあめのもののべのみこと)

先代旧事本紀』:天神本紀では、ニギハヤヒ(饒速日命)の天降りに供奉した「天物部等二十五部人」の筆頭に「二田物部」の記載が見え、また、天孫本紀ではウマシマジ(宇摩志麻治命)は「天物部」を率いて逆賊の討伐にあたったといいます。

配祀神として、物部稚桜命 (もののべ・ちざくらのみこと)* と健御名方命 (たけみなかたのみこと)が祀られています。*物部稚桜命 (もののべ・ちざくらのみこと)というのも、台与でしょう。稚=若が付くのは、13歳の幼さで邪馬台国の大王に即位した台与のことです。


物部氏の祖は、饒速日(ニギハヤヒ)とも、宇摩志麻治命(ウマシマジ)ともされています。このブログでは、饒速日(ニギハヤヒ)も宇摩志麻治命(ウマシマジ)も台与としています。

第456話:ウマシマジは台与!


健御名方命(タケミナカタ)は諏訪大社の祭神です。タケミナカタは物部氏とは関係がないようにも思えますが、このブログでは、

などの記事を書いており、タケミナカタは、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米あるいは台与としてきました。


そして、福岡県鞍手郡には、筑紫贄田物部が居たとされています。

贄田は「にえだ」と読みます。二田は「ふただ」と読みますが「にた」とも読めます。


贄田は、京都府綴喜郡宇治田原町にある地名です。読み方は、発音の「NIEDA」から「I」が消えて、「NEDA」になったとされています。「贄田」とは魚などを朝廷に献上するための田んぼに由来します。


京都府綴喜郡宇治田原町は、宇治に隣接しています。

宇治は、私が邪馬台国とする地です。

○ウチはウツの転訛で、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じです。ウツシコオ(色許男命)の「内」は宇治です。


これらのことによって、物部氏の祖は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与であると言えます。


筑紫贄田物部については、次回で述べる予定です。→物部氏について(2):贄田物部~鞍手



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

3件のコメント

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tootake
6日前
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