物部氏について(2):贄田物部~鞍手
- tootake
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更新日:1 日前
物部氏の謎を追って:贄田物部と福岡県鞍手の古代史
皆さん、こんにちは! 古代史のロマンを追いかける旅へ、ようこそお越しくださいました。今日は、あの「物部氏」にまつわる、ちょっとディープな謎に一緒に迫ってみたいと思います。特に、福岡県鞍手(くらて)という土地に焦点を当てて、そこに隠された古代の息吹を感じてみましょう。
鞍手の地と贄田物部
今回ご紹介する「贄田物部(にえだものべ)」ですが、彼らのいた場所は、現在の福岡県鞍手郡鞍手町あたりだと推定されているんです。この鞍手町、以前お話しした「御牧(みまき)」という地名があった水巻町とも隣接していて、このあたり一帯が古代から重要な地域だったことがうかがえますよね。なんだか、歴史の地図が目の前に広がるようです。
なぜこの北九州の地が、そんなに注目されてきたのでしょうか? それは、神武天皇(あるいは台与)がここへ来た理由にも繋がっています。そう、それはこの土地に眠る豊富な地下資源! そして、この地が「日下部(くさかべ)」とも関係が深いという点も、歴史の糸をたぐり寄せる上で、とっても興味深いポイントなんです。なんだか、壮大な物語の始まりを感じませんか?
物部氏の系譜と熱田・八劔神社
「先代旧事本紀」によると、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の14世孫にあたる「物部阿遅古連公(もののべのあじこのむらじきみ)」が、水間氏(水沼氏)の祖であると記されています。この物部阿遅古が、水沼の日下部氏とも繋がっているとなると、贄田物部が日下部氏であるという説も、さらに説得力が増しますよね。歴史の繋がりって、本当に奥が深い!
そして、この鞍手の地には、熱田神社(鞍手郡鞍手町新北)と八劔神社(鞍手郡鞍手町中山)という、二つの神社があります。特に八劔神社は、剣岳(鞍手郡鞍手町中山)の山麓に位置していて、なんだか神秘的な雰囲気が漂っていそうです。これらの神社に、古代の痕跡が隠されているのかもしれませんね。
このブログ記事では、より深く、贄田物部と鞍手の地、そして物部氏のルーツに迫っています。古の時代に想いを馳せながら、歴史の謎解きを楽しんでみませんか?
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第980話
贄田物部は、福岡県鞍手郡(鞍手町新北)辺りにいたとされています。
この福岡県鞍手町は、第961話:御牧と言う地名あり下流域に水巻町で書いた水巻町と隣接した地です。
この周辺のことは、第962話:北九州と神武天皇(=台与)で書いたように、台与(神武天皇)が、北九州に来た理由は、はっきりしています。
北九州には、豊富な地下資源があるからです。
つまり、贄田物部は、日下部氏なのです。
水沼の日下部~水沼氏はのちに日下部氏を名乗るようになります。
先代旧事本紀の天孫本紀によると、饒速日尊14世孫に「物部阿遅古連公(もののべのあじこのむらじきみ)は水間君(水沼君)らの祖である」とあります。
物部阿遅古が、ウツシコオであることは、第951話:水間氏(2):物部阿遅古連公
で書きました。
そしてこの鞍手には、熱田神社(鞍手郡鞍手町新北)と八劔神社(鞍手郡鞍手町中山)があります。八劔神社は、剣岳(鞍手郡鞍手町中山)の山麓にあります。
熱田神社、八劔神社は草薙の剣を祀っています。草薙の剣はヤマトタケルがヤマタノオロチを退治したときに出てきた剣です。
このブログでは、台与は日本各地の河川の改修工事を行ったことがヤマトタケルの伝説になったことを書いてきました。この鞍手にも草薙の剣にまつわる伝承があります。
第691話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社
第692話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社
第694話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮
第695話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(5)~島穴神社
第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社
第698話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(8)~古峯神社
このことから、台与とをスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米はこの鞍手で遠賀川の河川工事を行ったと思われます。
八劔、剣岳の劔・剣とは河川改修工事の際に用いた鉄器のことです。
ヤマタノオロチは暴れ川(洪水)をおこす川のことです。
~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
・熱田神社のある鞍手郡鞍手町新北の「新北:にいきた」は、贄田物部の贄田(ニギタ)に通じています。
贄田は、京都府綴喜郡宇治田原町にある地名です。読み方は、発音の「NIEDA」から「I」が消えて、「NEDA」になったとされています。「贄田」とは魚などを朝廷に献上するための田んぼに由来します。京都府綴喜郡宇治田原町は、宇治に隣接しています。
宇治は、私が邪馬台国とする地です。
・第466話:辛国息長大姫は台与!では下記のように書きました。
秦氏(=台与)は、江戸期の三井家に似ています。三井家は京都市に本拠を置き、三井三池炭鉱を経営していました。秦氏は京都の太秦に本拠を置き、古宮八幡宮=田川郡香春町大字採銅所を経営していました。第73話:鬼道はサイエンス ~古代天皇は技術者&ビジネスマンとすると台与(豊)は広岡浅子でしょう。参照:春よ、来い (テレビドラマ) - Wikipedia
贄田物部は、日下部氏=台与(秦氏)、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米の一族です。贄田物部は、邪馬台国(北摂・京都府山城)から来たのです。
関連項目:第728話:北九州と神武天皇(=台与)
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




第907話:石井源太夫・鳥羽宿禰は磐井=継体天皇
第873話
「諏訪大社と出早雄命」が閲覧されました。10:37
<台与シリーズ>
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