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ワケ王朝は、のれん分け

  • tootake
  • 6月11日
  • 読了時間: 6分

更新日:6月13日

第710話


日本には、「ワケ王朝」があったという人がいます。

応神天皇(ホムタ・ワケをそれ以前の皇統とは無関係な人物と考え、新たに興った新王朝の創始者とする説があり、この応神天皇から始まる王朝は河内に宮や陵を多く築いていることから「河内王朝」、また「ワケ」の名がついた天皇が多いことから「ワケ王朝」と歴史学上呼称されています。~河内王朝 - Wikipedia


ワケは初め皇族の子孫、とりわけ軍事的指導者(王族将軍)で、地方に領地を得た者の称号として用いられています。その中心時代は4世紀前半の垂仁天皇から景行天皇およびヤマトタケルが日本を支配した時期です。


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*このブログでは、垂仁天皇から景行天皇およびヤマトタケルはすべて台与としています。

景行天皇=成務天皇=仲哀天皇=応神天皇=仁徳天皇=台与(豊)

ということです。~第502話:武内宿禰はウツシコオ(2)

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「ワケ:別」という称号は古代の人名に見られ、岐美二神(イザナギ・イザナミ)の生んだ島の名前にワケ・ヒコ・ヒメとつくのは擬人的な命名であるとされ、その名称は天武天皇朝以後の新しいものであろうと論じられています。「ワケ:別」のつく神名の成立については、歴史上の「別」の性格とからめて論じられており、大化改新前後までに形成されていた皇子分封の思想、すなわち、古事記、日本書紀で景行天皇が諸皇子に諸国郡を封じたのが「別」の起こりとしているように、「別」が天皇や皇子の国土統治を象徴するようになっていたことに基づく命名で、七世紀以後にできたものとする説があります。一方、大化以前の実在の姓や尊称という見方を否定し、創作されて伝承上の神名や人名に対して附加されたものと見なし、古事記の編集理念に基づいた称号体系の一環と考える説もあります。


上記の河内王朝以外にも「ワケ」の付く、人物がいます。白日別と建日別です。

伊耶那岐神・伊耶那美神が生んだ大八島国の第四の島、筑紫島は、身一つに面が四つあり、その四つのうち、筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい、熊曾国を建日別といいます。


「建日別」という神名について、「建日」は、勇猛な太陽の意とする説があります。

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上記は、一般論というか、ちゃんとした学者たちの説です。しかし、私の説は、学者たちの説とは少し異なります。


「分け」とは、文字通り分けることです。大阪の商家では、大店(おおだな)が番頭どんにのれん「分け」として店の名前を引き継いでいきます。いわゆる分家とはです。


第488話:杭全神社~息長氏と河内では次のように書きました。

河内の息長の一族も、古くから農耕に必要な土地の灌漑や河川の整備を行ってきたと思われ、ヤマトタケル(ヤマトタケルは台与 )の子とされる田別王=息長田別王(オキナガタワケ)の名は、田=農耕地を先代から「別=ワケ」与えられた、つまり引き継いだ王(継体天皇)という意味です。河内息長(おきなが)の一族も、恐らく、古くから農耕に必要な土地の灌漑や河川の整備を行ってきた有力者で、「田別王」とは田=農耕地を先代から「別=ワケ」与えられた、つまり引き継いだ王ということです。


茨木市の東奈良遺跡、高槻市の安満遺跡、そして奈良県磯城郡にある鍵・唐古遺跡遺跡です。といった大規模な遺跡を引き継いだのが台与です。「分け:ワケ」は、別れで正当な継承者という意味です。


上賀茂神社は賀茂雷神社の賀茂別雷(カモ・ワケ・ミカヅチ)は、室町時代の賀茂之本地では、阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)と同一視されています。アジスキタカヒコネは台与です。~第553話:阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食


そして、下賀茂神社は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で、祭神は賀茂建角身命(カモ・タケツノミ)です。賀茂建角身命(タケツノミ)はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。~ 第280話:建角身命もウツシコオ

上賀茂神社の賀茂別雷(台与)の親が、下賀茂神社の賀茂建角身(=ウツシコオ)ということです。


鴨神社が下賀茂と上賀茂と2つに分かれているのは、第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社で書いたように、台与はヤマト(邪馬台国)の大王です。スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)は台与の父(あるいは祖父)で台与の宰相です。ウツシコオが実力者であることは間違いありませんが、大王である台与と同じ場所に祀るには差しさわりがあると当時の人は考えたのだと思います。


・千葉県にある香取神宮と茨城県にある鹿島神宮は、近い距離にあるのにともに大きな神社です。香取神宮の武甕槌(タケミカズチ)は台与で、鹿島神宮の経津主(ふつぬし)はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。*賀茂別雷(カモ・ワケ・ミカヅチ)=武甕槌(タケミカヅチ)は台与です。甕槌(ミカヅチ)はイカヅチ=雷です。第441話:タケミカヅチは台与!!


・別=ワケは、先代から分かれた、つまり引き継いだ王ということから、継体天皇の「継」は「分け」と同じ意味です。

・福井県敦賀市曙町にある氣比神宮特有の神であるイザサワケ(伊奢沙別/去来紗別)は、「イザサワケ」のうち「イザ」は誘い・促し、「サ」は神稲、「ワケ」は男子の敬称の意といわれていますが、上記のように「ワケ」とは、神稲である台与のことです。すなわち、イザサワケとは台与のことです。

・白日別と建日別も台与です。→第711話:建日別・白日別は台与


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

    




 13歳で邪馬台国の大王に即位した臺與のイメージ Anime Princess With Black Hair


 
 
 

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tootake
13 jun
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氣比神宮 - Wikipedia

境内から天筒山の方角の敦賀北小学校校庭には「土公(どこう)」と称される小丘がある

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tootake
10 jun
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tootake
10 jun
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<台与シリーズ>

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