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忍陵神社(2):津桙神社

  • tootake
  • 19 時間前
  • 読了時間: 5分

第892話


前回:忍陵神社(1)の忍陵神社は、津桙神社に近隣の2社を合祀し改称したものです。

奈良県磯城郡にある多神社の「多神宮注進状」の裏書に、多神社の若宮・皇子神命神社ご祭神が瓊々杵尊で、高宮郷天津瓊々杵神社の元は河内国讃良郡にある津桙神社と同体異名だと書かれています。河内国讃良郡は大阪府寝屋川市・四條畷市のことです。


津桙神社は津桙氏の氏神だったと言います。日本古代氏族事典には津鉾氏は出てこず、どういう氏族かはよく分からないようです。


津桙神社の桙は、津桙は八千矛の矛とする説もあります。八千矛神とは大国主*の別名です。

津桙神社の神官がかつて「津守長者」と呼ばれ、その屋敷の跡を通称「ツンボジ:津守地」と呼ばれていたことから、津鉾氏と津守氏との関りが推測されす。

・大国主は台与です。~第798話:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市

・津守氏はウツシコオの一族です。~第775話:邪馬台国の水軍(2):津守氏

・長者もウツシコオです。~第854話:長者伝説と台与(邪馬台国)


江戸時代の「赤山*津桙神社縁起書」によると、津桙神社は、河内国讃良郡甲可村新宮大権現で、その起源は、「天武天皇*の御宇、役優婆塞*の開祖で、そもそも新宮大権現*と申し奉るは、遠く本地を尋ねるに薬師如来の国跡薬師三山の一所なり、人王十二代景行天皇の御宇、何地となく小船*漂い来る、その船より裸形真人(*下記)といへる人 熊野山*に登り、すなはち本宮三所を移して新宮権現を草創とす」と記されています。

*赤山~津桙神社は現在地の近くにある赤山とかつては呼ばれる場所にありました。

*天武天皇は台与です。~第760話:天武天皇は台与(1):ツクヨミ

*役優婆塞とは役行者のことです。第475話:役の行者(役 小角)と韓国広足では、役行者もウツシコオとしています。

*権現は台与です。~第720話:中臣印達神社:権現は台与

*熊野山~第543話:熊野の神々は、、、

*小舟~応神天皇も船(小船)で、難波に着いており、古事記はその船を「空船」と書いてあり、もとはウツボブネ*を意味する訓が付いていただろうとの説があります。日本書紀で、は瓊々杵尊(ニニギ)が゛真床追衾゛に覆われて降臨したと書かれていますが、これをウツボ舟の要素を持つものとして、応神天皇と重ねられています。。

ニニギも応神天皇も台代です。

第436話:真床追衾瓊瓊杵尊:ニニギは台与 第581話:応神天皇(第15代)は台与


*ウツボブネとは、香川県東かがわ市に水主神社(みぬしじんじゃ)があり、倭迹々日百襲姫命を祀っています。社伝ではヤマトトモモソ姫は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。このときヤマトトモモソ姫は、うつぼ船に乗ってきたとされています。~第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ


津桙神社の「桙」を「矛」とする説もあります。するとて、天日矛の矛」となり、「津桙」が「日矛」ことだとも考えられます。「津桙」とは水辺の朝日子のことであり、その社がこの津桙神社と同体だったといいます。


大隅正八幡宮(鹿児島神宮)縁起に載る、王女大比留女が朝日を胸に受けて皇子を懐妊し、王が母子を空船(うつぼぶね)に乗せて大隅*の磯にたどり着いた由緒譚や、古事記に載る天之日矛*の妻となる阿加流比売の難波渡来譚でも、水辺で日光に感精した母とその子が空船で到着する話で共通し、その幼子の姿をかりた神が密閉された容器に籠って来臨すると話が書かれています。

・阿加流比売は台与です。

・天之日矛はウツシコオです。

 第325話:天之日矛はウツシコオ 第329話:アメノヒボコはウツシコオ

(注:裸形真人)

那智大社は孝昭天皇代に裸行(裸形上人)が開基したとされています。孝昭天皇は台与です。~孝昭天皇は台与:日原は目原 

裸形も台与でしょう。台与はアメノウズメでもあります。hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

*大隅は、九州ではなく、京都府の大住です。~第307話:大隅隼人は京都府京田辺市


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
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<台与シリーズ>

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