天武天皇は台与(1):ツクヨミ
- tootake
- 7月31日
- 読了時間: 4分
更新日:8月13日
第760話 #大海人皇子 #邪馬台国 #台与
戸矢学氏は、「 ツクヨミ 秘された神」 (河出文庫) 河出書房新社の中で、ツクヨミ(月読)は、天武天皇だとされておられます。
第三章 天武天皇の謎~ツクヨミの正体 天武天皇の偉大な功績 p.107より引用
「これまでたびたび言及した天武天皇について本格的に語らなければならない。ツクヨミと、それほどに深いかかわりを持っているのである。あえて私は断言しよう。
「ツクヨミ」の謎も解明できない。「月を読む」ことは、すなわち「天文遁甲を能くする」ことなのである。さて、それでは天文遁甲の「天文」とはなにか。今にいう天文学と異なるのは言うまでもないが、端的にいえば目的が大きく違う。天文を観測することまではいっしょだが、観測してその結果どうするのかがまったく違うのだ。が、ツクヨミとは天武天皇自身のことである。そして、その発想の源に陰陽道がある。」
第四十代天皇。漢風諡号は天武天皇、和風諡号は天渟中原瀛真人天皇。諱は大海人。即位するまで大海人皇子と呼ばれれていました。
私は、第749話:出羽三山(2)~月山・月(調)と兎を書いた時点で、ツクヨミは台与だと思いました。ツクヨミの月は調(つき)です。税金として国に治める(調)→調(つき)→月という連想です。日本で税を定めたのは崇神天皇です。崇神天皇は台与です。
~第575話: 崇神天皇(第10代)は志理都比古
天武天皇の出生については、曖昧な点があります。
鎌倉時代に成立した一代要記や本朝皇胤紹運録、皇年代略記が記す没年65歳から計算すると、天武天皇の生年は推古天皇30年(622年)か31年(623年)となりまる。これは天智天皇の生年である推古天皇34年(626年)の前です。これについては、65歳は56歳の写し間違いで、舒明天皇3年(631年)生まれだとする説が古く行なわれてきたました。
1974年に作家の佐々克明がこの違いを捉え、天武天皇は天智天皇より年上であり、日本書紀が兄弟としたのは事実を隠したものであろうとする説を唱えます。ここから主に在野の歴史研究家の間で様々な異説が生まれ、活発な議論が交わされるようになり、佐々は天武天皇の正体を新羅の皇族金多遂としましたが、小林惠子は漢皇子とする説を提起し、年齢逆転を唱える作家の間ではこれが有力なものとなっています。漢皇子は皇極天皇が舒明天皇と再婚する前に高向王(用明天皇の孫)との間に設けた子で、天智天皇の異父兄です。その後も様々な論争がありましたが、結局、天武天皇の生年は不明ということになっています。
漢皇子は用明天皇の孫・高向王と宝皇女の子とされる一方、天武天皇の父母が曖昧で、整合性を保つため同人物化されたとの説があります。
今回のポイント~天武天皇の出自は曖昧であるということです。
私などは、この漢皇子が前回書いた:昆支王(こにきし)は、応神天皇(台与)
百済王=昆支王(こにきし)なのでは、とつい思ってしまいます。
ちなみに、天武天皇の妃は鸕野讃良皇女で、のちの持統天皇です。
第546話:鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ) では、鸕野讃良皇女は台与ではないかとしています。
第588話:持統天皇(第41代)~高天原は交野市 では、ますます鸕野讃良皇女は台与の可能性が強くなりました。
鸕野讃良皇女=持統天皇=天武天皇ではないのでしょうか。次回に続く→天武天皇は台与(2)
<天武天皇は台与>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語