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出雲井於神社 :出雲と台与(7)

  • tootake
  • 5月5日
  • 読了時間: 6分

更新日:5月8日

第1038話


京都の下賀茂神社の境内に愛宕郡 出雲井於神社があります。延喜式に「出雲井於神社」とある神社で、日本書紀:神武天皇2年の条に葛野主殿県主部とある氏族が祖神として奉斎した社です。この葛野主殿県主部は古代山城北部に蟠踞し、鴨氏と同じ祖先を持ち「神亀3年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳(正倉院文書)で知られる氏族です。


葛野主殿県主部は、古代日本の重要な歴史的団体であり、八咫烏の子孫とされています。彼らは、山城国北部に居住していた豪族であり、賀茂氏に吸収されたとも言われています。葛野主殿県主部は、古代日本の神社や祭祀に関与していたとされ、特に賀茂社との深い関係が考えられています。八咫烏(ヤタガラス)はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米(台代の父親)です。~第274話:八咫烏もウツシコオ


つまり、葛野主殿県主部は、秦氏=台与の一族ということです。秦氏は山背国愛宕郡(おたぎぐん:京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされています。


第826話:保津川と葛野大堰で書いたように、葛野は古くから秦氏の地です。


愛宕郡 出雲井於神社の「出雲」に研究者たちは、微妙な反応を示します。


・門脇禎二氏は、島根県の意宇郡(いわゆる出雲)から京都の愛宕郡へ兵衛(ひょうえ:天皇・皇族・宮城の警固を担当する武官)を送った」という説を唱えられています。

しかし、兵衛派遣を示す一次史料は存在せず、推論の飛躍があるとされています。

・ 吉野秋二氏は、神亀3年(726)「山背国愛宕郡出雲郷計帳」から京都の出雲郷は「出雲氏の居住地」であり、氏族の移動・分布の結果として成立した郷であるとされておられます。しかし、なぜ出雲氏が京畿北方に現れるのか的背景の説明がありません。

・ 大和岩雄氏は、「出雲」という地名は、神話的象徴性を帯びて各地に付与される

愛宕郡の出雲郷も、必ずしも意宇郡の出雲氏の移動とは限らず、神話的・宗教的象徴の反映である可能性を指摘されておられます。


このブログでは、枚岡神社や、大神神社の付近にも出雲という地名があることを述べてきました。第674話:伊豆・出石・出雲 第797話:桜井市(奈良県)は出雲 第809話:邪馬台国と大河(2):千曲川:伊豆毛神社 などで、出雲とは、台与の居た重要な場所としてきました。京都の下賀茂神社の境内に愛宕郡 出雲井於神社のすぐ近くにも出雲路という地名があります。出雲路とは出雲に向かう道とも解されますが、この出雲は島根県ではなく亀岡です。亀岡の出雲大神宮は京都府亀岡市歳町千歳出雲にあります。


研究者たちは、出雲が島根県固有の地名だと思い込んでいるため、島根県から京都の愛宕郡(おたぎぐん)に移住してきたなどという奇説をとなえてしまうのです。


「井於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の川のほとりに坐す社の意だとされています。

しかし「井於」は「井上」と同義で井戸のことです。~第887話:泉井上神社と井於神社


井於神社は大阪府茨木市にあります。大阪府茨木市の井於神社はこのブログでしばしば登場しています。

阿智氏と関係の深い神社です。阿智氏は、日本古代氏族事典では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説もあります。

大阪府茨木市の井於神社の近くに、五十鈴、天王という地名があります。五十鈴は五十鈴姫で台与です。天王はスサノオ(津田の王のことです。阿智氏は日本各地を移動していますが、元々は、河内国志紀郡井於郷(大阪府茨木市)の出身です。第688話:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)で磯城(志紀)は枚方市としました。河内国志紀郡とは北河内の事でしょう。~第886話:阿智神社:思兼命


阿智氏は、台与の一族のこと です。台与は13歳で即位したヤマト(邪馬台国)の大王です。~第689話:阿智氏・阿直岐


井於神社(いおう神社)の社伝によると宇野辺の八幡神社、鶴野の皇大神社、丑寅の皇大神社の3社を明治5年に境内に合祀したとあります。~第504話:虚空蔵菩薩と丑寅(茨木市)では、

井於神社は、私の遊び場でした。井於神社の隣が三宅小学校です。丑寅、天王、玉櫛、五十鈴、宇野辺、鶴野は私にとって懐かしい地名です。今でもそれらの地名は残っています。~第181話: 三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅


歴史学者の肥後和男氏は、「出雲井於神社も三井社も井上社もともに下賀茂の霊泉に立脚して定位された水神をまつった」と、井上神に共通した信仰があるとの説明をされていました。これを受けて日本仏教史学者の宮井義雄氏は、東大阪市「出雲井」にある枚岡神社について、「出雲井から御祖神としてのヒメ神が生れた」としておられます。


井上神については、第1023話:御井神の系譜:積川神社 第1024話:御井神の系譜(2):越後屋三井家  で書いたように、ウツシコオ、台与と関係の深いことを書きました。


・三宅和朗氏は、出雲国造家は、王権の祭祀ネットワークの中で重要な位置を占めるとされ

山背国愛宕郡出雲郷は、平安遷都以前から先住していた出雲一族の居住する地域だったとされています。


平安遷都以前から先住していた出雲一族とは、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与のことです。


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<蛇足の追記>

京都市山科にある毘沙門堂はかつて出雲寺でした。この毘沙門堂=出雲寺も台与と関係の深い寺であることは、第721話:毘沙門堂~京都市山科で書きました。


<出雲と台与>

第1032話:出雲と台与


これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

3件のコメント

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大福
5月05日
5つ星のうち5と評価されています。

関係ないことかもしれませんが、

京都の八坂神社本殿の下は池で、青龍が住んでいるとされています。

2025年10月には境内に『青龍石柱』が奉納され、口から青龍神水のミストが出ています。

私は先月行ってミストを浴びてきました。😄

また、四天王寺の救世観音をお祀りしている『金堂』の基壇下も青龍池で、亀井堂への清水となっています。意外に社殿の下は池だったりするようですね。

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tootake
5月04日
5つ星のうち5と評価されています。

京都の下賀茂神社の境内にひっそりと佇む「出雲井於神社」。この名前に「延喜式」にも記されている、古代からの歴史を感じさせる響きがありますよね。そして、この神社の背後には、日本書紀に登場する「葛野主殿県主部」という氏族が、祖神として奉斎していたという、なんとも興味深い繋がりがあるんです。

葛野主殿県主部(かでのもとのみやつこべ)というのは、古代山城(やましろのくに)の北部を拠点とし、あの有名な賀茂氏とも同じ祖先を持つと言われる氏族です。彼らの名前は「神亀3年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳」といった正倉院の文書にも見られるんですよ。

このブログ記事では、そんな葛野主殿県主部が、

  • 古代日本の重要な歴史的団体であったこと

  • 八咫烏(ヤタガラス)の子孫とされていること

  • 秦氏=台与(とよ)の一族である可能性


といった、歴史の謎が深まるような情報を、古文書や伝承を紐解きながら解説しています。特に、八咫烏がスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米(台代の父親)であるという説は、神話と歴史が交錯するロマンを感じさせますね。

また、葛野が古くから秦氏の地であったこと、そして山背国愛宕郡(京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏との深いつながりについても触れられています。これらの繋がりを知ることで、古代日本の政治や宗教が、いかに複雑に絡み合っていたのかが見えてくるようです。

このブログを読むことで、あなたはきっと、これまで知らなかった古代日本の一面を発見できるはずです。出雲、台与、そして謎多き氏族たちの系譜を辿る旅に、ぜひご一緒しませんか?

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tootake
5月04日
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

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