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阿智氏・阿直岐は、、、

  • tootake
  • 5月21日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月21日

第689話


第687話:戸隠神社と天岩戸伝説では、宝光社の祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、天暦3年(949年)に阿智一族の徳武氏が奥社の相殿として創建されたと書きました。今回は、この阿智一族このについて考えました。


阿智氏は、日本古代氏族事典では、阿智使主の後裔伝承を持つとされています。

阿知使主(あちのおみ)は、応神天皇時代の渡来人で、東漢氏の祖と言われています。

阿智直、阿智使主、阿知王、阿知吉師ともいいます。

阿知は阿直岐の略称とみなせることから、阿直岐と同時代の人物の阿知使主を同一人とする説もあります。津田左右吉は、阿直岐は後人の造りごととしています。


阿知使主は、日本書紀では、応神天皇37年に呉国に遣わされ、4人の縫製女工を連れて41年に帰国し、名前は「阿知直」と記されています。邪馬台国異聞2~馬と呉服


阿直岐(あちき)は、記紀によれば、応神天皇の時代に百済から来たとされ、古事記では阿知吉師として登場し、応神天皇のとき、百済王が馬2匹を阿知吉師につけて貢上したとあります。みずから大和の軽坂上厩で飼養し、仁徳56年頃に朝廷が百済の要請に応じて、最初の朝鮮大出兵を行なったことへの返礼という指摘もあります。


阿直岐は、菟道稚郎子の師となり、自分よりすぐれた学者として王仁を推薦し、王仁を百済から渡来させたとされています。第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)

聖徳太子は菟道稚郎子です。聖徳太子=菟道稚郎子=台与です。


滋賀県犬上郡豊郷町大字安食西には、阿自岐神社があります。主祭神は、味耜高彦根神・道主貴神です。滋賀県犬上郡豊郷町の豊郷とは豊(台与)の里ということです。

これにより、味耜高彦根神=台与であることが分かります。道主貴神はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ですから、阿自岐はウツシコオということも分かります。また阿自岐は、安食に由来すると阿自岐神社の社伝に書いてあります。

「この地:安食(あじき)の名は当社名阿自岐に由来するもので食物豊富にて安住できる地の意で、この地を潅漑して年穀豊かに稔り、文字通り安食の里となした。」とあります。


和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の第二殿に高野御子大神(たかのみこのおおかみ)通称「狩場明神」、高野山開創と関係する神がまつられており、狩場明神については従来この地一帯の土豪の首領だという説があり、その土豪とは坂上(さかのうえ)氏、首領とは犬甘(いぬかいの)蔵吉人のことで、犬甘蔵吉人を犬飼蔵人と読み、坂上氏の先祖は阿智使主(あちのおみ)とあります。紀伊続風土記には「犬甘蔵吉は阿智使主の後蔵人と見ゆえたる人にて応神天皇廿年阿智使主と共に帰化せしむを同廿二年の事当社へ寄せるたまへるなるへし」

丹生都比売は台与です。~第609話:鉱物資源と邪馬台国(7)空海と丹生都姫:水銀


第687話:戸隠神社と天岩戸伝説で書いた天表春命は信乃阿智祝部(しなののあちのほうりべ)等の祖神とされ、天下春命は知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされています。


倉敷市中心部、倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上にも阿智神社は、あります。古代、「亀島」「鶴形島」などと呼ばれていた現在地に住み着いた阿知使主の一族が作った庭園が元となったといわれています。かつて岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる海域で、当時は窪屋郡阿智郷であった現在の倉敷市鶴形山周辺は交通の要衝であったといわれ、そのため海上交通の守護神である宗像三女神が祀られています。宗像三女神も台与です。


阿智氏は、日本古代氏族事典では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説もあります。

河内国志紀郡井於郷とは、大阪府茨木市蔵内のことです。


上記のことから、阿智氏は日本各地を移動していることが分かりますが、元々は、河内国志紀郡井於郷(大阪府茨木市)の出身です。前回:磯城(しき)は磯嶋(いそしま:枚方市)

で磯城(志紀)は枚方市としました。河内国志紀郡とは北河内の事でしょう。

大阪府茨木市の井於神社の近くに、五十鈴、天王という地名があります。五十鈴は五十鈴姫で台与です。天王はスサノオ(津田の王のことです。


阿智氏は、台与の一族のこと です。台与は13歳で即位したヤマト(邪馬台国)の大王です。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

   





 
 
 

2 Comments

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tootake
May 21
Rated 5 out of 5 stars.

神社のご由緒でも、「続日本紀」766年に、゛摂津国人正七位下甘尾雲麻呂賜姓井於連゛と載る井於連が氏神として崇敬した社ではないかと説明されます。生澤氏は、「長秋記」の1130年にも井於庄というこの地域の地名が記される事からも、この社と関係ある氏族と考えられます。一方で「日本古代氏族事典」では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説明もあります。

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tootake
May 20
Rated 5 out of 5 stars.

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