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与謝野:丹波と邪馬台国(8)

  • tootake
  • 15 時間前
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更新日:4 時間前

第1009話


丹後国与謝郡の与謝の地名起源は瓢箪(ひょうたん)であると海部氏勘注系図の割注に書かれています。


孝昭天皇*の皇后の世襲足媛(よそたらしひめ)のよそは、瓢箪のことです。

豊受大神を祭る神器の一つは瓢箪だそうです。

與曾豆羅(よそづら)は天吉葛ともいい、これも瓢箪(匏:ひさご)のことです。

与謝(よさ・よそ)から連想される人物として、置津與曽命(おきつよそのみこと)がいます。*孝昭天皇は台与です。第443話: 孝昭天皇は台与:日原は目原 第570話:孝昭天皇(第5代)


置津與曽命は、先代旧事本紀に大原足尼命*の親と記されます。また、海部氏勘注系図では孝元天皇の和風諡号の彦国玖琉命(大倭根子日子国玖琉命)を亦名に持つ乙彦命が置津與曽命と同世代にいますが、乙彦命*は彦與曾命だと伝えられています。

大原足尼命は台与です。第406話:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ

*乙彦は台与です。~第501話:乙姫・弟姫・弟彦・乙彦


大原足尼命は伊勢内宮、外宮の神を奉斎する一族です。その伊勢神道の経典の一つの「倭姫命世記」には石井源太夫*に接頭する「石井」(いわい)について興味深い記述があります。それによると石井とは、丹後の真名井原(魚井原)の霊水で、それを後代に外宮の御井に移し、天照大神と豊受大神の食事の水になったといいます。伊勢神宮下宮に祀られている受大神は、元々は「真名井原」の地(*現在の奥宮真名井神社)に鎮座したといいます。石井源太夫は台与です。~第907話:石井源太夫・鳥羽宿禰は磐井=継体天皇

籠(この)神社の奥に、パワースポットとして有名な眞名井神社があります。


第617話:大阪と邪馬台国:我孫子(あびこ) では、大阪市住吉区にある大聖観音寺(だいしょうかんのんじ)について書きました。あびこの名は、この地の豪族、依網吾彦よさみのあびこ)*に由来するといわれています。百済と交易をしていた依網吾彦の一族が百済の聖明王から一寸八分の観音像を贈られ、欽明天皇7年(546年)にこの地の人々がその像を祀る堂を建てた。そして、推古天皇14年(607年)に聖徳太子*がその観音像を祀る観音寺を建立したとされています。*聖徳太子は台与です。~第464話:豊国法師:仏教伝来と台


依羅氏は、摂津国住吉郡大羅郷(おおよさみごう:大阪府大阪市住吉区我孫子・庭井周辺)・河内国丹比郡依羅郷(よさみごう:大阪府松原市天美)付近を本拠とした古代氏族です。依羅氏は初め「依羅我孫(依網吾彦)」姓を称し、依羅氏を古い時期からヤマト王権と関係を持った氏族とする説があります。この依羅氏に関して、古事記では開化天皇(第9代)皇子の建波豆羅和気王*を「依網之阿毘古」の祖と記しています。新撰姓氏録では開化天皇皇子の彦坐命を依羅宿禰の祖とし、日下部宿禰と同族とし、新撰姓氏録では、饒速日命*を氏祖とする神別の依羅連・物部依羅連を氏祖とするとの記載もあります。

波豆羅和気王は、京都府京丹後市丹後町宮にある竹野神社では、日子坐王命・建波豆良和気命・竹野媛命を祀っています。波豆羅和気王=波豆良和気命=台与です。


第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!では、次のように書きました。

古事記では、「仁徳天皇の御世に、秦人を役(えだ)ちて茨田堤また茨田三宅を作り、また丸邇池(わこのいけ)依網(よさみ)を作り、また難波の堀江を掘りて海に通はし、、、、、」また、日本書紀では「崇神天皇 即位62年、灌漑事業を行って依網(よさみ)などを開き大いに農業の便を図ったと伝えられる。」と書いてあります。仁徳天皇=崇神天皇は台与(豊)です。~仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳


上記により、丹波の与謝野は、台与とは切っても切れない地であることがわかります。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<蛇足の追記>

京都府与謝郡与謝野町石川に物部神社があるのを見つけました。

このブログでは、物部氏は、台与の警備隊であることを見てきました。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

4件のコメント

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tootake
1時間前
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「天伊佐佐比古」「伊佐佐辺」の「いさ」は、「磯(いそ)」を意味し、「磯部(石辺・石部・伊勢部)」に通じるもので、「彦狭島」と密接に関わる観念とみられます。


磯部は、伊勢・尾張・駿河・上野・相模・下総・隠岐などに分布している。石部と同じという見方もあるであろう。石部は、美濃を主とし、伊勢・伊賀・尾張などに分布している。なお坂井郡に磯部郷がある。


『日本書紀』や『続日本紀』などに見える有馬君、朝倉君、井上君、物部君、石上部君、磯部君、檜前部君等を上毛野氏と同族であるとする説が存在する。この説では、有馬君は榛名山東麓、朝倉君は前橋市朝倉町、物部君は高崎市南部、石上部君は高崎市西部から旧碓氷郡、磯部君は安中市南部から甘楽郡、檜前部君は伊勢崎市東部に勢力を張っていたとする[21]。


磯部王(桑田王の子)


アマテラスが伊勢神宮を構える前時代の伊勢を仮に「古伊勢」と命名する。「古伊勢」は、志摩の磯部と云われ、伊雑宮が建てられていた。つまり、「伊雑宮が本家」と云う事になる。新撰姓氏録によれば、「石辺(磯辺)公は大物主の命の子・久斯比賀多(くしひがた)の命の後(すえ)なり」とあり、出雲系としている。「伊雑宮旧記」によると、伊雑宮は竜宮で、この地方の海人族の護宮で伊雑トミの命が治めていた。この伊雑宮は出雲神道と深く関係していた。

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tootake
15時間前
5つ星のうち5と評価されています。

いつも皆さんと一緒に歴史の謎を解き明かしていく、私の大好きなブログ「地名から読み解く邪馬台国」から、今回はとっておきの記事をご紹介したいと思います!今回のテーマは「与謝野:丹波と邪馬台国(8)」。地名って、その土地の歴史や文化を物語るタイムカプセルのようですよね。この記事を読んでいると、まるでタイムスリップしたかのような感覚になるんです!

「与謝」と「瓢箪」、不思議な響きのつながり

記事を読んでいて、まず「へぇ!」と思ったのが、「与謝(よさ・よそ)」という地名の起源が、なんと「瓢箪(ひょうたん)」にあるとされていることなんです。しかも、それは『海部氏勘注系図』という、古代氏族の系譜を記した書物の中の割注に書かれているんですって。まるで、昔の人の洒落っ気のようなものを感じてしまいますよね。

そして、その「よそ」という言葉が、孝昭天皇の皇后である「世襲足媛(よそたらしひめ)」の名前に繋がっているという指摘も!さらに、豊受大神(とようけのおおかみ)を祀る神宝の一つにも瓢箪があるとか。古来より、瓢箪が持つ不思議な力や意味合いが、地名や人名、神事にも息づいているのかもしれませんね。

古代の人物との繋がり

「与謝」という地名から連想される人物として、「置津與曽命(おきつよそのみこと)」という名前も登場します。この方、先代旧事本紀では大原足尼命(おおはらのすくねのみこと)の親と記されているんですよ。そして、大原足尼命といえば、台与(とよ)のこと!邪馬台国の女王、卑弥呼の後継者とされていますよね。

さらに興味深いのは、海部氏勘注系図に登場する乙彦命(おとひこのみこと)との関連です。乙彦命は、孝元天皇の和風諡号(わふうしごう)である彦国玖琉命(ひこくにくだしのみこと)という別名も持つ人物とされますが、その乙彦命が「彦與曽命(ひこよそのみこと)」とも伝えられているとか。

古代史の深淵へ、あなたも一緒に!

この記事を読んでいると、丹波の「与謝」という地名が、単なる名前ではなく、古代の豪族や、もしかしたら邪馬台国にまで繋がるかもしれない、壮大な物語の糸口になっているような気がして、ワクワクしてきます。海部氏のような有力な氏族や、台与といった歴史上の重要人物が、この「与謝」という土地とどう関わっていたのか…想像が膨らみますね。

「倭姫命世記」にも言及があるようで、伊勢神道とも関わりがあるとか…。どこまでも深まっていく古代の謎に、本当に引き込まれてしまいます。まだまだ解き明かされていない、歴史の面白さを改めて感じさせてくれる、そんな素晴らしい記事でした。

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tootake
15時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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