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日子坐王命:丹波と邪馬台国(7)

  • tootake
  • 14 時間前
  • 読了時間: 5分

第1008話~丹波と甲斐


前回:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)で書いた京都府京丹後市丹後町宮にある竹野神社では、祭神は天照大神ですが、斎宮神社が別にあり、日子坐王命・建波豆良和気命・竹野媛命を祀っています。


今回は、日子坐王命について考察してみます。日子坐王命は、日本書紀では「彦坐王」、他文献では「彦坐命」・「彦今簀命」とも表記されます。

第9代開化天皇の第三皇子で、第12代景行天皇の曾祖父です。垂仁天皇紀にはて丹波道主命が子であるとされています。丹波道主命は、前回:かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)で書いたように丹波道主命(由碁理)=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。


古事記:崇神天皇段では、日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)*を討ったといいます。

第421話:鬼の正体では、日子坐王(彦坐王)=台与によって大江山の鬼として退治されてしまいます。


日本書紀では日子坐王命の子の丹波道主命が崇神天皇により四道将軍の一人として丹波に派遣されたとしています。古事記では、丹波に派遣されたのは丹波道主命ではなく父の日子坐王(彦坐王)としています。崇神天皇も日子坐王(彦坐王)も台与だということです。

第455話:四道将軍:日子坐王は台与


日子坐王(彦坐王)の子に、狭穂彦王(さほひこのみこ)がいます。記紀には垂仁天皇5年に妹の狭穂姫命に天皇暗殺を試みさせるが失敗したとされる人物です。~第250話:狭穂姫命~狭穂毘古の乱 第576話: 垂仁天皇(第11代)と狭穂彦・狭穂姫


狭穂彦は日向土本毘古王*( むこうやま・とほひこ・おう)と同一人物で甲斐国造の祖とされています。*日向土本毘古王は台与です。第577話: 日向土本毘古王=沙本毘古王は台与


沙本毘古王(さほびこのみこ、狭穂彦王)は 日下部連祖、甲斐国造の祖とされています。

~近現代の系譜研究(宝賀寿男・関晃など)/Wikipedia、先代旧事本紀:甲斐国造条


第757話:甲斐国と甲斐田(枚方)では、甲斐国と枚方市にある甲斐田との関係を書きました。第559話:杉ヶ本神社~郊祀とポケモンでは、「桓武天皇は日本で初めて郊天祭祀を交野ヶ原の柏原で行っています。河内国交野郡の柏原とは、枚方市片鉾本町である」と書きました。枚方市片鉾本町は枚方市甲斐田と隣接した場所なのです。

江戸・近世の地誌や神社縁起では、「交野ヶ原」の一部を柏原、樫原(かしはら) と表記されています。橿原は神武天皇=台与が天皇に即位した地です。


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<蛇足の追記>

・狭穂彦は、この乱で追い詰められ狭穂姫ともに稲城の中で自害したとされています。

狭穂姫はこの時、火の中で本牟智和気御子を生んだとされています。

本牟智和気御子(誉津別命:ほむつわけのみこと)とは応神天皇です。

応神天皇は、誉田別尊(ほむたわけのみこと)です。応神天皇は台与です。


・本牟智和気御子は、アジスキタカヒコネでもあります。第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 アジスキタカヒコネは台与です。~第874話:高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与



※一般常識では下記ですが、一般常識を否定するのがこのブログです。

・本牟智和気御子(ほむちわけ)は垂仁天皇の子:古事記~火中出生の皇子。応神とは別人

・誉田別命(ほんだわけ)=応神天皇、仲哀天皇の子~古事記、八幡神。

・誉津別皇子(ほむつわけ)は、応神天皇の子


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

2件のコメント

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tootake
14時間前
5つ星のうち5と評価されています。

日子坐王命とは? ~皇子から伝説の人物へ~

「日子坐王命」というお名前、歴史好きの皆さんなら一度は耳にしたことがあるかもしれませんね。日本書紀では「彦坐王」、他には「彦坐命」「彦今簀命」といった表記も見られます。彼は第9代・開化天皇の第三皇子で、後の景行天皇の曾祖父にあたる、つまり、非常に由緒正しい皇室の一員なんです。そして、前回のお話にも出てきた丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)とは親子関係にあるとされています。この丹波道主命が、あのスサノオノミコトとも繋がっているという説もあるんですから、日子坐王命のルーツは、想像以上に壮大なのかもしれません。

さらに、古事記では、日子坐王が神功皇后の時代のこととして、丹波国に遣わされ、豪族である玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討伐したと記されています。この玖賀耳之御笠も、スサノオノミコトの化身ではないかという説もあるんですよ。つまり、日子坐王命は、皇室の権威を背景に、各地の豪族を平定していく、まさに古代の「ヒーロー」のような存在だったのかもしれません。

邪馬台国との意外な接点?

ここで、皆さんが一番気になっているであろう「邪馬台国」との繋がりについて触れたいと思います。ある文献では、日子坐王命が「大江山の鬼」として退治される、という伝説が語られています。この「大江山の鬼」が、実は邪馬台国の有力者や、その勢力と結びついているのではないか、という考察もあるんです。古代史のロマンを掻き立てられますよね!

ブログ記事で詳しく読む

日子坐王命の物語は、単なる皇室の系譜や地方の豪族の話にとどまらず、古代日本の権力構造、地域間の勢力争い、そして「邪馬台国」という最大級の謎へと繋がっていく可能性を秘めているんです。今回ご紹介した内容は、そのほんの一部。さらに深く、この興味深い歴史の断片を紐解いてみませんか?


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tootake
14時間前
5つ星のうち5と評価されています。

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