七拳脛命はナガスネヒコ(長脛彦)
- tootake
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第991話
古事記:景行天皇の上に七拳脛命(ななつかはぎのみこと)なる人物が登場します。
この人物が、久米氏の祖のようです。
・七拳脛命の孫とされる猪石心足尼(いいしこりのすくね)が系図は伝わっていませんが久米氏の嫡流とされています。
・七拳脛命の8世孫の那爾毛古比売(なにけこ姫)が、前回:物部氏について(9):久米物部で述べた伊予来目部播磨国司の山部小楯*の孫でとされています。 中臣可多能古の妻となり、御食子と国子を産んでおいます。つまり、中臣鎌子(藤原鎌足)*の祖母です。
*山部小楯は前回も書いたように台与です。山部小楯はオケとヲケを見出したことで山部の姓を賜ったとされています。久米族の山部連は山部の総領的伴造(とものみやつこ)です。
~第978話:オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞 第447話: 小楯姫は台与:小楯は枚方
*中臣鎌子(藤原鎌足)はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。
~第787話:中臣鎌足
・山部比治(やまべのひじ)は、七拳脛命の9世孫で、播磨国風土記:~穴禾(しさは:宍粟郡」に、「孝徳天皇の御世に、揖保の郡を分割して穴禾の郡を作った時、山部比治が任命されて里長となったので、この人の名前により、比治の里という。」という記事があります。比治の真名井は、籠神社の奥の宮、真名井神社が比定地の一つとされています。「天の羽衣伝説」の伝承地です。
*籠神社の奥の宮、真名井神社は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与に関係の深い地です。
~第657話:卑弥呼の残像:元伊勢(4)~真名井神社 第669話:元伊勢(番外編)~神呪寺:真名井御前
この山部比治の孫が、万葉歌人で三十六歌仙の一人、山部赤人*です。古来、柿本人麻呂*とともに歌聖と称された人物です。
*山部赤人は台与です。~第429話:山部赤人は台与
*柿本人麻呂も台与です。~第377話:猿丸幻想(2)~柿本人麻呂
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七拳脛命について、古事記では
「凡そこの倭建命(ヤマトタケル)、国を平けに廻り行でましし時、久米直(クメノアタヒ)の祖、名は七拳脛(ななつかはぎ)、恒に膳夫*として従ひ仕へ奉りき。」と書かれています。
七拳脛命は、大久米命の9世孫で、ヤマトタケル の東征の際に、いつも膳手(かしわで)として仕えていたとあります。大久米命はを彷彿とさせ同一人物であるとの説もあります。
*膳夫:膳手(かしはで)とは「食器を扱う者」の意味ですが、ここでは常にヤマトタケルに寄り添っている者と解されます。
七拳脛命は、長脛彦(ナガスネヒコ:長髄彦)=スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)であることは間違いありません。なぜなら、七拳脛命はヤマトタケルにいつも寄り添っている人物だからです。ウツシコオは台与の父(あるいは祖父)です。
~第768話:長髄彦と粉河寺~那賀郡
※ヤマトタケルは台与です。~第439話:ヤマトタケルは台与
第691話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社
第692話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社
第694話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮
第695話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(5)~島穴神社
第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社
第698話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(8)~古峯神社
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このブログでは、毎回、下段に※台与とスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のコンビとは、以下です。前者が台与です。と書いています。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
ナガスネヒコは、いつも饒速日(ニギハヤヒ)に寄り添っていました。
饒速日(ニギハヤヒ)は台与です。
これまでの記事はこちらです。
<目次>

※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。



浮穴
◆ 土蜘蛛 二十六顧 (「肥前国風土記」~7) | かむなからのみち ~天地悠久~
肥前国風土記 現代語訳-人文研究見聞録
衝撃の発見!古事記に隠された「七拳脛命(ななつかはぎのみこと)」の秘密
皆さん、こんにちは!歴史の深淵を覗き込むのが好きな皆さんへ、今日はとっておきの発見をお届けしたいんです。なんだかワクワクしませんか?
先日、古事記を読んでいて、ある人物に目が釘付けになりました。それが「七拳脛命(ななつかはぎのみこと)」という、なんとも intriguing な名前を持つ方なんです。この名前を聞くだけで、どんな物語が隠されているんだろう?って、想像が膨らみますよね。
この七拳脛命、実は久米氏の祖先とされているんです。さらに驚くべきは、その子孫がたどっていくと、あの有名な藤原鎌足(中臣鎌子)公の祖母にも繋がっているようなんです!いやはや、歴史というのは本当に面白いもので、点と点が繋がっていく様は、まるで宝探しをしているみたいで、ドキドキが止まりません。
久米氏といえば、物部氏とも深い関わりがあるそうなんです。今回のブログでは、この七拳脛命から始まる系図を追いながら、久米氏、そして物部氏のルーツに迫ってみました。昔の豪族たちの系譜って、複雑で掴みどころがないように見えて、実は現代に繋がる大きな物語を秘めているんですね。
七拳脛命の謎、解き明かしてみませんか?
古事記の記述を紐解きながら、七拳脛命がどのような人物で、なぜ久米氏や物部氏の祖とされているのか、そしてその系譜がどのように現代に繋がっていくのかを、私の発見をもとに分かりやすく解説しました。特に、ナガスネヒコ(長脛彦)という人物との関連性も気になるところですよね。
<台与シリーズ>
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