第23話
他田坐天照御魂神社(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社で祭神の正体として、神祇宝典では天照御魂命、神社覈録では天日神命、神名帳考証では天照国照彦火明命・志貴連祖饒速日命では天火明命、粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社(播磨三大社)では祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる・くにてるひこ・あめのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)として祀られています。
天照とは言わずと知れたアマテラス、卑弥呼ではないかとも想像されているあの天照大神のことです。実は饒速日は太陽(日、火)の神様でもあったのです。前述の他田坐天照御魂神社(おさだにますあまてるみたまじんじゃ)は敏達天皇が設置した日祀部が置かれた場所とされています。日祀部とは、太陽を観察する部署で作神社 (奈良県磯城郡三宅町石見)と他田(おさだ)の地を線で結ぶとその山頂にいたり、その頂上から朝日を石見からは冬至、他田からは、立春、立冬を見ることができます。
前回述べた茨木市にある饒速日が天下った場所、新屋坐天照御魂神社は福井神社とも呼ばれています。以下は古代史研究家の大和岩男氏の説を引用です。
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福井(茨木市)の天照御魂神社は、三島の重要な神社で太陽祭祀に関わっており、この神社を通る南北線に対してそれぞれ東方へ30度・45度・60度の位置にある天岩門別神社は30度、溝杭神社(茨木神社内)は45度、西川原にある天照御魂神社は60度です。
饒速日を祀る天照神社はまさに太陽信仰の祭祀場だったのです。
むろん桜井市の他田坐天照御魂神社よりも茨木市のある太陽信仰の祭祀場の方がかなり古いです。
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これらのことにより、饒速日が太陽の神・天照であったことは確認できます。では、この事実は一部の研究者を除き、広く知られていないのは何故でしょう。簡単です。記紀(古事記、日本書紀)がこれらのことを書かなかったからです。藤原不比等が中央集権国家を作るために藤原氏にとって不利なことを書かせなかったのでしょう。しかもその前に物部氏は蘇我氏によって滅ぼされています。蘇我馬子は「記紀」の前に「日本国史」を作っています。仏教を導入しようとしていた蘇我氏はイカガシコオ以来、神道を司っていた物部氏のことが邪魔だったのです。今でもスサノオや石切さん(饒速日)は、庶民に人気があります。当時もそうだったのでしょう。馬子や聖徳太子は物部氏の先祖であるスサノオや饒速日の存在を抹殺したかったに違いありません。
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