軽は台与~軽の酒折池・軽井沢
- tootake
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第1026話
古事記、日本書紀には「軽」という固有名詞が時々出てきます。
人名では、軽大娘皇女、木梨軽皇子、軽皇子(孝徳天皇)、軽皇子(文武天皇)などです。
他に允恭天皇の皇女の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)がいます。軽大娘皇女は、衣通郎女(そとおりひめ)としてよく知られています。
衣通郎は台与です。~第398話:衣通姫(そとおりひめ)
衣通郎*は、美しさが衣を通してあらわれているという意味です。
木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)は、軽大娘皇女とは同母の妹であり、允恭天皇の第一皇子、皇太子です。日本書紀で容姿が美しかったことが記されており、美男子であることが強調されています。木梨軽皇子は、実の妹である軽大娘皇女と通じたことで、伊予*に流されます。しかし、この話はフィクションです。軽大娘皇女、木梨軽皇子、軽皇子(孝徳天皇)、軽皇子(文武天皇)はすべて台与のことです。
古事記:大国主条の最後には三諸山の上にいる神、大年神の神統譜が掲載されて、この大年神の妻神一人の天知迦流美豆比売について、古事記伝は「美豆」を「みづみづしき意」として地名の「軽」に関わる神名としています。
前回、映画国宝と天知迦流美豆姫で書いたように、「美豆」は京都府京都市伏見区淀美豆町のことです。そして「美豆」は台与のことです。「美豆」は地名の「軽」に関わる神名ということは、「美豆」=「軽」=台与ということです。
地名としての「軽」については、第851話:hidemaru3375.com/post/羽曳野:大阪と邪馬台国で、羽曳野市軽里に軽羽迦神社があり、白鳥陵古墳からも近い竹内街道沿いにある軽墓村の村社であることを書きました。
古事記には「軽の酒折池」と記述があります。池があった場所は奈良県橿原市大軽町付近だとされていますが、日本書紀の「酒折池」と対応する「反折池(サカオリノイケ)」は、奈良県橿原市大軽町付近とも河内の狭山(大阪府南河内郡狭山町)ともいわれています。酒折池(サカオリノイケ)は、古代の農業用水路として重要な役割を果たし、崇神天皇の時代に作られたとされています。
第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!では、次のように書かきました。
古事記では、仁徳天皇の段に「仁徳天皇の御世に、秦人を役(えだ)ちて茨田堤また茨田三宅を作り、また丸邇池(わこのいけ)、依網(よさみ)池を作り、、」とあり、崇神天皇段に崇神天皇の御世に「依網池(よさみいけ)をつくり、軽の酒折池をつくる」
と書いてあります。このことにより仁徳天皇は、崇神天皇と同一人物と思われます。
軽の酒折池も、軽=台与=仁徳天皇=崇神天皇が作った農業用のため池の一つだったのです。
ところでヤマトタケルが東国遠征に行った際に甲斐国で「酒折宮」という場所で老人と出会うシーンがあるのです。第694話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮
ヤマトタケルは台与ですので、甲斐国で「酒折宮」があったのも納得できます。
甲斐国と台与の関係については、第1014話:甲斐国と邪馬台国で書きました。
甲斐国造家の系図は、「甲斐国造系図」に登場する塩見足尼は、第694話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(4)~酒折宮で登場しています。
古代の天皇の「軽」が入る宮は、応神天皇の軽島豊明宮、懿徳天皇の軽曲峡宮、孝元天皇の軽境原宮があります。これらの天皇は、台与です。
第569話:懿徳天皇(第4代) 第573話:孝元天皇(第8代) 第581話:応神天皇(第15代)は台与
軽井沢も「軽」の付く地名です。軽井沢も台与と関係のある地名です。
では、次のように書いています。
熊野皇大神社(くまのこうたいじんじゃ)は、碓氷峠*に位置する神社です。本宮は伊邪那美命、日本武尊(ヤマトタケル)を祀っています。
第834話:穂高・佐久・上高地:地名の由来で書いたように、この辺りはスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米・台与と関係の深い地です。
「軽」ついては諸説あり判然としませんが、古語、方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」と言います。ウツシコオ・台与の一族が、碓井峠を荷物を背負って登っていく様子が一瞬身に浮かびました。
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*伊予~第906話:伊予湯岡碑:聖徳太子の嘘(2)では、伊予と聖徳太子=台与のことを書きました。
*日本書紀では、衣通郎は忍坂大中姫の同母妹、弟姫であるとしています。
弟姫も台与です。~第501話:乙姫・弟姫・弟彦・乙彦
*碓氷峠~第833話:碓井貞光~頼光四天王(4)
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




皆さん、こんにちは!歴史の謎にワクワクする皆さんへ、今日は「軽」という文字に隠された、とっても面白いお話をお届けしたいと思います。古事記や日本書紀を紐解くと、「軽」という名前、時々見かけませんか?これが、ただの地名や人名としてだけではなく、古代における重要な意味を持っていたようなんです。一緒に、その秘密を解き明かしていきましょう!
「軽」が結ぶ、あの人物とこの場所
古事記や日本書紀には、「軽」という言葉が、人名として度々登場します。例えば、允恭天皇の皇女である軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)、そして彼女と深い関わりを持つ木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)などです。彼らの物語は、当時の権力争いや人間ドラマを垣間見せてくれます。しかし、興味深いのは、これらの「軽」が付く人物が、実は、あの有名な「台与(とよ)」と同一人物、あるいはその別称である可能性が示唆されている点です。美しさで知られる衣通姫(そとおりひめ)も、この「軽」がつながる存在なんですよ。
さらに、「軽」という地名や言葉が、酒折池や軽井沢といった、歴史的に興味深い場所とも結びついているようです。この、単なる文字に隠された深い意味を探求することで、古代の地理や文化、そして人々の生活が、より鮮やかに見えてくるのではないでしょうか。
古文書の行間を読む、歴史探訪へようこそ
このブログ記事では、「軽」という文字が、単に響きの良い言葉だったのか、それとも何か特定の意味や、人、場所と深い繋がりがあったのか、古事記や日本書紀の記述を丁寧に追いながら、その謎に迫ります。美しさゆえの悲劇、そして神話の世界へと続く、古代のロマンに満ちた旅へと、皆さんを誘います。歴史の書物に隠された、もう一つの物語を発見しませんか?
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