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邪馬台国前史Ⅴ~伏見稲荷

更新日:4月9日

第121話~伏見稲荷は饒速日の妹


渚姫一行は、難波の南方(ミナミ・カタ:大阪市淀川区)で丸木舟に乗り換え、河内湖を手漕ぎで三島を目指した。

  

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日本の各地にカタという地名があります。宗像(ムナ・カタ)、枚方(ヒラ・カタ)、行方(ナメ・カタ)。カタとはそこで物資の補給や荷下ろしをする港のことではないでしょうか。

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南方と枚方は毎日何隻もの丸木舟が淀川(山代川)を行き来している。

河内湖は、流れが緩やかなので小型のジャンクで山代川を遡りたかったのだが、大彦がそれを許さなかった。

三島の港は、想像以上に多くの丸太船が出入りしていた。何本も溝(運河)が掘ってあって、内陸に舟に乗ったまま進んで行ける。真っ黒になった漕ぎ手が何人も乗っている大きな船が渚姫と彦幸の船を追い越して行った。鉱物を山積みにして舟がどんどん奥に入っていく。


「亀岡から運んできた金(かね)や。この奥で金を溶かすんや。」大彦が教えてくれた。

この奥には、東奈良遺跡がある。

大彦がさっきまで乗っていた大型のジャンクは、熊野から積んできた精製された金(かね)を積んでおり瀬戸内海を経由して大陸まで行くという。

大歳の屋敷に、無事着いたのだが、大歳はおらず、大歳の母の味舌姫とその娘の宇迦(ウカ)が一行を手厚く接待してくれた。味舌姫はイチキシマ姫である。


翌日、渚姫は市杵島姫に連れられて、東雲(しののめ:茨木市学園南町)から船で対岸の白肩(枚方)に渡った。その地に大歳は新しい都と屋敷を作っている最中なのだそうだ。

渚姫は、淀川を渡ったすぐの所の土地を与えられた。枚方市渚〒573-1178

紀伊続風土記に「ある説では名草は渚の意味なり」と記されている。


彦幸と手置帆負命は、指図してそこに御殿をたてた。枚方市御殿山町〒573-1182

※他都市の皆さんへ 渚=御殿山町と理解してください。


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手置帆負命・彦佐知命の二神の孫の讃岐忌部・紀伊忌部を率い、紀伊の国の材木を採取し、畝傍山の麓に橿原の御殿を作ったと記紀には書かれています。橿原の御殿は虚構で本当は三島の渚だと思われます。

手置帆負命は彦狭知命と木を切り出し瑞殿を作った伝承から共に工匠(工作を職とする人)の守護神とされ、木造建築の上棟式(棟上げ)などにおいて祭神とされています。

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渚姫は、中宮となった。中宮とは天皇の后の意味である。


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<宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)>


京都の伏見稲荷大社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:倉稲魂命)です。

宇迦之御魂神は古事記では、須佐之男命が櫛名田比売の次に娶った神大市比売との間に生まれたとされています。

同母の兄に大年神(おおとしのかみ)がいます。大年は大歳で饒速日のことです。神大市姫は、市杵島姫神(イチキシマヒメ)すなわち真下姫=菊理媛神です。宇迦之御魂神は饒速日(大歳)の妹です。菊理媛神~大目は大日(守口市)



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




伏見稲荷


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tootake
Oct 15, 2023
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