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地球幾何学5~下賀茂神社

更新日:4月16日

第174回


仁徳天皇陵→牧野車塚古墳→男山八幡、と繋いできた一直線を更に延長していくと京都市内の下賀茂神社にたどり着きます(下図参照)。下賀茂神社(賀茂御祖神社)の祭神は、賀茂建角身命=八咫烏です。賀茂建角身命は、雷神であり、剣の神でもあります。そして火雷神として知られています。


賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫です。神武東征の際、高木神・天照大神

ウツシコオ卑弥呼)の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導し、金鵄として勝利に貢献したとされています。


一方、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の祭神は、賀茂別雷命です。賀茂別雷命も火雷神として知られています。室町時代の『賀茂之本地』では記紀に出てくる阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)と同一視されています。


賀茂建角身命は賀茂別雷命の祖父です。

天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)は旧事本紀では、事代主神の子。母は活玉依媛。と書きました。玉依姫

玉依日売は、山城国風土記では丹塗矢に化身した火雷命(ほのいかづちのみこと)を床の近くに置いていたところ、可茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を懐妊し出産したとされています。つまり、天日方奇日方命は建甕槌だということです。


賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂県主氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称されています。


賀茂県主とは誰でしょう。私には思い当たる人物がいます。

山代風土記逸文の加茂神社由来説話によれば、賀茂建角身命は神武天皇を先導してヤマトの葛城山に宿り、そこから次第に鴨川の上流葛城に移ったとされています。その経路を風土記で辿れば葛城山から、さらに北上して、山代川(木津川)を臨む地、山代国の岡田の賀茂神社(京都府相楽郡加茂町)に至り、さらに山代川との合流点から、葛野川(桂川)と賀茂河の合流点に至り、この川を遡って久我国の北の山基に定座したと伝えられています。久我国の北の山基とは、今の上賀茂神社の西、西賀茂の大宮の森、下賀茂神社の旧社地とされる所です。


そして当時、この辺りを支配してしていたと思われるのは、タケハニヤスです。タケハニヤスの乱を起こした人物です。賀茂県主=賀茂御祖とはタケハニヤスのことではないでしょうか。タケハニヤスは孝元天皇(=饒速日)のれっきとした子です。本当はタケハニヤスとい名前ではなかったと思われやす。母親のハニヤス姫(埴安媛)という名も不自然です。


このプログ(小説)では、タケハニヤスが大規模な反乱を起こしたため、大和朝廷では反逆者を出雲と呼ぶようになったというのがテーマの一つになっています。タケハニヤスを討ちちとった大彦(=大国主)も後に時の宰相のウツシコオによって出雲と呼ばれるようになってしまいます。タケハニヤスの乱最終章


タケハニヤスの根拠地は、愛宕郡(おたぎぐん)であったと思われます。愛宕郡は乙訓(おとくに)郡の別名で、京都市北区の一部:紫野・紫竹・大宮・西賀茂・出雲路・小山・上賀茂・鷹峯・雲ケ畑を指します。賀茂川の周辺です。タケハニヤスは、この愛宕郡をみずから、国(クニ:狗奴)としていました。タケハニヤスの乱(最終章) ~京都市北区出雲路


仁徳天皇陵→牧野車塚古墳→男山八幡、と繋いできた一直線は実は下賀茂神社のすぐ近くにある出雲路〒 603-8135だと思われます。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。。 

※これまでの記事はこちらです。



京都市出雲




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6 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Apr 08
Rated 5 out of 5 stars.

賀茂建角身命と賀茂別雷命の違いがよく分かりません。神魂命(かみむすびのみこと)の孫ということは孝霊天皇の孫、すなわち大彦、すなわち大国主の子ということです。阿遅鉏高日子根神も大国主の子です。私には賀茂建角身命と賀茂別雷命は同じ神(人物)のように思えます。賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂県主氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称されています。

素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇

大国主は、大彦 ~出雲は三島


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tootake
Dec 12, 2023
Rated 5 out of 5 stars.

氣比神宮参詣

神功皇后摂政13年2月8日、14歳の誉田別尊は武内宿禰に連れられ禊のため角鹿(敦賀)の笥飯大神に参詣した。角鹿は父帝が笥飯宮を設け母后が熊襲征伐と新羅遠征へ出発した地であり、太子の角鹿参詣によって一連の出征が終わったと解釈できる。このとき太子の誉田別尊と大神の去来紗別尊(いざさわけのみこと)が互いの名を交換したという説話がある。『書紀』は分注に一伝として「誉田別尊の元の名は去来紗別尊といい氣比神宮の笥飯大神と名前を交換して誉田別尊の名を得たのであろうが、他に所見なく未詳」としている。『古事記』でも同様の説話があるが、さらにその続きとして「魚(な)と名(な)の交換」の説話がある。「名の交換」とはこれの誤伝とする説が有力である。詳しくは「氣比神宮」参照。17日、太子が角鹿から戻ると母后は大殿で宴を開き、祝いの酒を飲み交わして歌を詠んだ。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 12, 2023
Rated 5 out of 5 stars.

角鹿神社の御祭神は都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)。 ツヌガアラシトは朝鮮南部の国・任那(みまな)の皇子で、第10代崇神天皇の御代に氣比の浦に貢物を携えて上陸し、氣比大神宮の司祭と越国の政治を任せられました。 その政所の跡にツヌガアラシトを御祭神として祀ったのが角鹿神社です。


八幡神は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた1。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され12、神社内に神宮寺が作られた。 八幡神は、氣比神宮の摂社である角鹿神社や、鶴岡八幡宮、宇佐神宮など全国に多くの神社があります。八幡神は、弓矢の神として知られ、武人たちから崇敬を集めていました。また、八幡神は、神仏習合が進んだ時代には、八幡大菩薩としても信仰されていました12

『日本書紀』によると、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は、加羅国王の息子で、額に角が生えていたとされます。一方、アメノヒボコは、新羅の国王の子で、額に角が生えていたとされます。このため、アメノヒボコと都怒我阿羅斯等は同一人物と見る説があります1。ただし、『日本書紀』以外にはあまり情報が残っていないため、詳しいことは分かっていません2341


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 12, 2023
Rated 5 out of 5 stars.

氣比神宮

所在地 福井県敦賀市曙町11-68

位置 北緯35度39分17.85秒 東経136度4分28.92秒座標: 北緯35度39分17.85秒 東経136度4分28.92秒

主祭神 伊奢沙別命


去来紗別神・伊奢沙和気神(読み)いざさわけのかみ

いざさわけ‐の‐かみ【去来紗別神・伊奢沙和気神】


福井県敦賀市の気比(けひ)神宮の祭神。記紀に見え、「古事記」によれば、はじめ品陀和気命(ほむたわけのみこと)(=応神天皇)の前名であったが、神功皇后の朝鮮遠征の帰途、角鹿(つぬが)の笥飯(けひ)の大神(誉田別神)が夢に現われて、名をとりかえることを望んだという。


社格等 式内社(名神大7座)

越前国一宮

創建 (伝)第14代仲哀天皇8年(創祀は上古)

別名 笥飯宮・笥飯大神宮

福井県中央部、敦賀市市街地の北東部に鎮座する。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝である[要出典]。神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。


『古事記』『日本書紀』では早い時期に神宮についての記事が見えるが、特に仲哀天皇(第14代)・神功皇后・応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担う。また、中世には越前国の一宮に位置づけられており、福井県から遠くは新潟県まで及ぶ諸所に多くの社領を有していた。


八幡神は応神天皇の神霊とされたことから皇祖神としても位置づけられ、承久記には「日本国の帝位は伊勢天照太神・八幡大菩薩の御計ひ」と記されており、天照皇大神に次ぐ皇室の守護神とされています。誉田八幡宮の創建と応神天皇とのつながりが古くから結び付けられ、皇室も宇佐神宮(宇佐八幡宮)や石清水八幡宮を伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬しています。


応神天皇は、大彦ではないかと私は思っています。根拠としては、大彦を祭る神社がほとんどないことです。あることはあるのですが、応神天皇を祭る神社に比べると皆無と言っても良いくらいです。


応神天皇は、大彦ではないかと私は思っています。根拠としては、大彦を祭る神社がほとんどないことです。あることはあるのですが、応神天皇を祭る神社に比べると皆無と言っても良いくらいです。


大彦は、このプログでも述べて来たように、数々の功績があります。

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tootake
Dec 11, 2023
Rated 5 out of 5 stars.
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