イタケルは台与(3)~和歌山
- tootake
- 7月9日
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更新日:7月10日
第738話
五十猛(イタケル)は、日本を青い山にしていったと日本書紀に書いてあります。
和歌山県和歌山市に伊太祈曽神社があり、祭神は五十猛(イタケル)です。和歌山は、紀伊国(きのくに)つまり木国で大変温暖で雨が多いです。山には豊かに木が生えています。そういうことから、森林の神である五十猛が和歌山県に祀られていても不思議ではないでしょう。
日本書紀によると、高天原を追われた素戔嗚尊とその子の五十猛(イタケル)は、「共に新羅に降り立つがその地を気に入ることはなく、船で出雲国に移動した。そして素戔嗚尊は高天原から持ってきていた木の種を五十猛神に渡して日本中にその種を蒔くように命じた。五十猛神は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に九州から順番に日本中に種を蒔き始めて国中を青山にし、最後に木の国(紀伊国)に降り立った。このことから五十猛神は有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)とも呼ばれ、紀伊国に祀られることとなった。」とされています。日本書紀、先代旧事本紀では紀伊(和歌山)は古来林業の盛んな地であったので、紀伊の人々が信仰していた神と考えられです。
実は、五十猛は、「紀氏の神」で、紀氏の本拠地が紀州(和歌山)です。
紀氏は、記紀などの所伝によれば、孝元天皇の子孫で、武内宿禰*の子である紀角を始祖とし、母方が紀伊国造家の出自であったとされています。
*武内宿祢はウツシコオです。~第324話:武内宿禰はウツシコオ!!
このブログでは、第256話:ウガヤフキアエズのミコト 第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ) 第591話:彦狭知の物語(3)~安曇氏
などで、彦狭知(ヒコサチ)=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は和歌山県和歌山市(名草)の生まれであるとしています。
イソタケル=イタケルはイソ(磯)のタケル(武)と解釈すれば海人族の名になります。綿津見豊玉彦の孫に日子波限建鵜草葺不合命(ひこ・なぎさ・たけ・うがやふきあえず)の「なぎさたけ」と「いそたける」は同じ意味です。五十猛(イタケル・イソタケル)の紀伊国統治地域は名草(なぐさ)郡です。名草の由来について紀伊続風土記に「ある説では渚の意味なり」と記されています。名草は、今の和歌山市です。
安曇氏の祖と云われる磯武良(いそのたける、いそたけら、安曇磯良)も五十猛と発音が同じです。
ウツシコオの名前の由来となった「内(うち)=宇治(うじ)」は、正統な文献で判断するならば、「山城国綴喜郡有智郷」が「内氏」の本貫とされいます。「内(うち)=宇治(うじ)」は、「大和国宇智郡」にも、「紀伊国名草郡宇治」の地名があり、いずれもウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と関連のある地です。
新撰姓氏録:左京皇別によると、道守臣(朝臣)一族は、武内宿禰の子である波多朝臣同祖、波多矢代宿禰之後也」とあるものと、「開化天皇皇子武豊葉列別*(たけとよはずらわけ)命之後也」の2系統が記されており、紀氏は武内宿禰の系譜です。
*別(ワケ)は台与です。~第710話:ワケ王朝は、のれん分け
※海部氏と同様の系図をもつ尾張氏は、「天香語山命─天村雲命」を祖としています。
海部氏系図:勘注系図で見ると、天村雲命の亦の名として「天五十楯天香語山命」とあります。となれば、天香語山命が五十猛命であるということになります。
このブログでは、天香語山命=高倉下(タカクラジ)=大彦=台与であるとしています。
~第80話:大彦
第543話:熊野の神々は、、、で書いたように和歌山県新宮市のゴトビキ岩(神倉神社)の祭神は高倉下(タカクラジ)です。倉治(クラジ)私が台与の住まい(我家:ワギヘ)としている交野市の地名です。そこは饒速日(ニギハヤヒ)が舞い降りたとされる磐船神社があります。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
上記により、和歌山県は、五十猛(イタケル)と密接な関係があり、「天五十楯天香語山命」とあることから、五十猛が台与であることが分かります。
イソタケルのタケルという名前から、クマソタケル、カワカミタケル、ヤマトタケルなどの人物が次々と創作されたものと思われます。~第404話:熊襲建=川上梟帥とヤマトタケル
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五十猛については、過去にこのブログでは、
第289話:大彦は五十猛の子 第153話:劔神社(直方)~ヤマトタケルは五十猛
第99話:五十猛の九州征圧 第77話:伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
第53話:五十猛彦は饒速日!
第736話:イタケルは台与(1)
第737話:イタケルは台与(2)~製鉄 などの記事を書いてきました。
五十の付く記紀の中の人物は、台与(豊)です。
・五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)は台与(豊)です。
・五十瓊敷皇子(印色入日子命)~日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤
・五十狭芹彦命(いさぜりひこ‐の‐みこと)は日本書紀で、孝霊天皇の皇子。吉備津彦命(桃太郎)
・五十迹手(いそとて:イタテ)、イツツヒコ(五十彦:彦五十瀬)~倭人と韓人 イツツヒコ・イソタケル・イタテ
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
臺與(とよ)台与のイメージ Model|AIイラストモデル | PixAI



<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
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hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語
孝徳天皇 - Wikipedia
都島
まちの名に歴史あり ~総集編~ | 交野市
佐久多神社
柳田国男氏は、「くなど」と「佐久(さく」は、同じ意味であると『石神問答』という著書で言われている。
〝佐久奈度はやはり、クナドの神でございます。
祭 神:天照大御神、素盞男之神、忍穂耳神、天之穂日之命、天津日子根之命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸嶋比売命 咲くやこの花姫
阿曇氏 - Wikipedia