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イタケルは台与(1)

  • tootake
  • 3 日前
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更新日:2 日前

第736話 


「イタケル」は「五十猛」と書きます。日本書紀の読み方では「イタケル」ですが、「イソタケ」とも読みます。「イタケル」「イソタケル」と読み方は神社により異なり統一されておらず、紀伊国(和歌山) 一宮である伊太祁曽(イタキソ)神社はその御由緒でイソタケルは誤りでイタケルだと明記しています。一方で、五十猛の上陸伝承のある石見国五十猛村(島根県大田市五十猛町)が好字二字令により726年(神亀3年)に改称された際には「磯竹」の字が当てられており、少なくとも奈良時代以降はイソタケルが主流になっていたことが示唆されています。


また、「イタケル」は、射楯神(いたてのかみ)とも呼ばれています。

「初め五十猛神、天降ります時に、多に樹種を持ちて下る。然かれども、韓国に殖ゑずして蓋に持ち帰る。遂に筑紫より始めて、凡て大八洲国の内に播殖して、青山に成さずといふことなし。所以に、五十猛命を称けて有功の神となす。即ち紀伊国に所坐す大神是なり」とあり、林業の神としても信仰されています(日本書紀、先代旧事本紀)。

紀伊(和歌山)は古来林業の盛んな地であったので、それらの人々が信仰していた神と考えられています。また、土の船を作り海を渡ったことから、造船、航海安全、大漁の神として信仰されています。伊太祁曽神社の「イタキソ」の「キソ」は長野県の木曽ではないかという研究者んもいます。


また、和歌山県和歌山市園部には、伊達神社(いたて)があり、別称を「薗部神社(園部神社)」。また志磨神社(和歌山市中之島)、静火神社(和歌山市和田、竈山神社摂社)ともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称されています。祭神は、五十猛命と神八井耳命です。神八井耳命は台与です。~第537話:神八耳命は台与(豊)


宮城県宮城県加美郡色麻町にも伊達神社(いだてじんじゃ)があって、五十孟神と武甕槌神・経津主神(フツヌシ)を祀っています。五十孟神=武甕槌神=台与、経津主神はウツシコオですので、五十孟神と経津主神はいつもの台与とウツシコオのコンビです。宮城県で伊達といえば、伊達政宗ですが、伊達は本来は「だて」ではなく「いだて」と読むのでしょう。


日本書紀では、五十猛神(イタケル/イソタケル)は、素戔嗚(スサノオ)の子であるとされています。

このブログでは、すでに五十猛は台与としています。~第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊) やはり台与はウツシコオの子であるようです。


イタケルは、高天原を追放されたスサノオとともに新羅曽尸茂梨に天降り、スサノオがこの地吾居ること欲さず(乃興言曰 此地吾不欲居)と言ったので、一緒に埴土船で渡って出雲斐伊川上の鳥上峯に至ったとあります。


出雲斐伊川上の鳥上峯とは、大阪府交野市の事だと思います。出雲は元々近畿の地名です。

京都市出雲路神楽町(いずもじ:〒603-8136)の近くには、下賀茂神社があり平岡神社は、大阪府東大阪市出雲井町(いずもいちょう)にあります。→第674話:伊豆・出石・出雲


垂仁天皇紀に、五十瓊敷命(いにしきいりひこ)が茅沼の菟砥の川上宮に居て、大刀一千口を作ったとあります。垂仁天皇、五十瓊敷命は台与(豊)です。菟砥の川上宮とは、交野市と思われます。川上は河上で、河上の哮ヶ峯は大阪府交野市の饒速日が天下った磐船神社周辺の地域です。交野市は古代の製鉄場遺跡があり、継体天皇の遺跡とされています。 森製鉄遺跡は大阪府交野市

五十瓊敷命も台与です。~第490話:日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤


五十猛神が天降る際に多くの樹木の種を持っていたが、新羅には植えずに全てを持ってきて、九州からはじめて大八洲国に植えたので、青山に被われる国となったと日本書紀にあります。五十猛が大八洲国(日本各地)に木を植えたのは、船を作るためとされていますが、製鉄の際に大量に使用する木材を必要としたからです。次回に続く→イタケルは台与(2)~製鉄


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

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