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泉津~泉(5)京都府木津川市

  • tootake
  • 9月30日
  • 読了時間: 6分

第821話


泉津(いずみつ)は、古代において木津川流域に存在した港で、奈良の都・平城京への物資輸送の要衝として重要な役割を果たしました。泉津は、現在の京都府木津川市木津周辺、木津川が大きくU字に曲がる地点に位置していました。現在の「泉大橋」付近がその名残とされます。「泉木津」とも呼ばれ、木津川をさかのぼる水運の終着点であり、奈良方面への陸路の起点でもありました。


泉津は平城京の「外港」として、淀川・木津川水系を通じて全国から集められた特産品や建築資材が集積される場所でした。ここから奈良坂を越えて平城京へと運ばれました。

泉津には官衙(役所)施設が置かれていたとされ、木材・塩・海藻などの物資の集積・管理が行われていました。平城京出土の木簡や正倉院文書にも「泉津」の名が記されています。


泉津は、淀川・木津川を通じて瀬戸内海や近江・日本海方面とつながり、さらに奈良坂を越えて平城京へ至るルートの中継地でした。紀ノ川・大和川ルートに比べて地形が緩やかで、交通の便が良かったとされます。泉津は単なる港ではなく、物資の集積・流通・祭祀・行政が複合的に行われる「市」としての性格も持っていたと考えられています。


◎渡来人との関係

泉津の対岸には「狛(高麗):こま」の地名が残り、朝鮮半島からの渡来人の居住地であったことが示唆されます。


・秦氏~泉津は木津川水系の要衝であり、秦氏が開発に関与した嵯峨野や太秦からの物流拠点として機能したと思われます。 秦氏は財務・土木・養蚕・機織・製塩などの技術に長けており、泉津の港湾機能や市的性格に貢献していたと考えられます。

台与は秦氏です。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 


・漢氏(やまとのあやうじ)~漢氏は、 応神天皇の時代に後漢霊帝の曾孫とされる阿知使主(あちのおみ)が率いて渡来したと伝えられます。漢氏は、大和国を中心に活動し、文筆・技術・外交に長けた氏族として知られます。木津川流域は大和への玄関口であり、東漢氏が率いた漢人集団が泉津を経由して奈良方面へ進出した可能性があります。真弓鑵子塚古墳(奈良県)など、東漢氏の墓域とされる遺跡が泉津に近接しており、地理的・文化的な接点が見られます。


阿智氏は、日本古代氏族事典では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説もあります。

河内国志紀郡井於郷とは、大阪府茨木市蔵内のことです。

第689話:阿智氏・阿直岐は、では、阿智氏は台与、ウツシコオ(内色許男命)一族のこととしてます。


泉津周辺には「狛(こま)」や「椿井」「真弓」など、渡来系氏族に関連する地名が残っており、彼らの居住・活動の痕跡と考えられます。上津遺跡・椿井大塚山古墳、上津遺跡では墨書土器や瓦などが出土し、渡来系技術の影響が見られます。 椿井大塚山古墳からは三角縁神獣鏡が多数出土しており、渡来系首長層との関係が指摘されています。


泉津は、渡来系氏族がもたらした技術・文化が大和王権に伝播する中継地であり、彼らの活動が港湾・市・祭祀・物流の各面に影響を与えていたと考えられます。とくに秦氏と東漢氏は、泉津を拠点にして山城・大和・河内を結ぶ広域ネットワークを形成していた可能性があります。


渡来人は鉄器・農具・織物・建築技術などを日本にもたらしました。泉津はそれらの物資が集積・流通する港湾都市として機能しており、渡来人の技術がここで活用されたと考えられます。上津遺跡の発掘では、須恵器・墨書土器・土馬・銭貨などが出土しており、渡来系文化の影響が見られます。


ところで、伊豆美(いずみ)神社が、東京都狛江市中和泉にあります。伊豆美神社がある狛江(こまえ)の狛とは、高麗人という意味です。この辺りには、古代の高麗人が住んでいたとされています。狛については、新撰姓氏録に「狛首(おびと)、高麗国安岡上王より出ず」とあります。江をつけたのは、多摩川江(べり)にいたからです。


狛江(こまえ)という地名は、木津川市の狛(こま)と同じです。

東京都の伊豆美(いずみ)神社のは伊豆美は泉津、泉橋と同じです。

さらには、多摩川の対岸には行基が建てた寺まであります。


龍厳寺~神奈川県川崎市多摩区堰 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされています。

ここでまた行基が登場します。このブログでは、台与の居たと思われる場所には必ずと言ってよいほど行基が登場します。行基は大阪府の南河内で溜池を数多くつくるなど土木工事の達人です。~観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田

この辺りに行基が登場するということは、多摩川が頻繁に氾濫したからです。


東京都に伊豆美(いずみ)神社があるのは、台与がこの地区にまで進出していたことを示しています。


そもそも、泉町(いずみ)という地名について、関心を持ったのは、第674話:伊豆・出石・出雲で伊豆(いず)・出石(いずし)・出雲(いずも)の地名の元になったいずとは、

伊豆速布留神、伊豆豊益命、伊豆目比売命など、伊豆(いず)の付く人物(台与)に由来すると思われるからです。山背国相楽郡の伊豆美(いずみ)は、現在の京都府木津川市加茂町周辺に比定されています。


<泉(地名)>


{参考文献}

淀川・木津川から大和へ 大和の外港 木津「泉津」を訪ねて](https://infokkkna.com/ironroad/dock/iron/7iron05.pdf)

相楽郡条里と泉津(京都府埋蔵文化財論集)](https://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu3/part3/3-41-300.pdf)

秦氏 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F)

渡来系氏族 - 系図コネクション](https://www.his-trip.info/keizu/category17.html)

Mindan: 常識を覆す日本最大級の石室 渡来の東漢氏](https://mindan.org/old/front/newsDetail1100.html)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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3件のコメント

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tootake
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<台与シリーズ>

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