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出雲の誕生:出雲と台与(3)

  • tootake
  • 37 分前
  • 読了時間: 5分

第1034話~出雲振根と淤宇宿禰


出雲臣(出雲国造)の祖として、二人の名前が伝えられています。

出雲振根(イズモフルネ)と淤宇宿禰(オウのスクネ)です。

出雲振根は出雲西部の豪族で、淤宇宿禰は出雲東部の豪族で、出雲の国造であったともされています。しかし、その根拠は十分に論証されたものではありません。


出雲フルネは、古代出雲の首長である「出雲建(いずもたける)」を指す言葉であり、日本書紀や古事記の神話に登場する人物です。景行天皇の時代に倭建命(日本武尊)に討たれたという逸話が伝えられています。

第165話: 出雲振根(いずもふるね)では、出雲振根の弟の飯入根(イイイリネ)は姓氏録には「土師宿禰・菅原朝臣の祖の天穂日(アメノホヒ*の12代孫の飯入根」とあり、同じく弟の甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)は同じく姓氏録の「凡河内忌寸*の祖で天穂日の13代孫可美乾飯入根」と同一人物ではないかと思われます。出雲振根も河内(大阪府)の人物だった可能性があります。と書いています。*アメノホヒは前回:出雲と台与(2):アメノホヒ、キヒサツミで台与としました。


*凡河内氏(おおしこうちうじ)は、畿内(河内)を中心として勢力があった古代豪族で、大河内氏・凡河内忌寸とも書かれる。「凡川内国造」(河内国造)も参照。隅田八幡宮人物画像鏡に見られる「開中費直」の文言を「河内直(かわちのあたい)」と解釈する説があります。第526話:武寧王はウツシコオ!では、隅田八幡宮人物画像鏡の銘文を元にして、ウツシコオとの関係を書きました。


淤宇宿禰(意宇宿祢:おうのすくね)は、日本書紀等に伝わる古墳時代の豪族で出雲国造です。出雲国造家に伝わる「古系図」によると、淤宇宿禰も「天穂日命(あめのほひ)」から数えて17代目として、「意宇足奴命」の名で記録されています。この頃の国造家はまだ「出雲」ではなく「意宇」でした。


淤宇宿禰は仁徳紀に初見し、オオナモチ(大穴持ち=大国主)の祭神として国造に就いたとされています。ところが、その国造は、大宝二年(702年)に諸国造とともに藤原京に召集され、詔(みことのり)によって、「諸国国造の氏を定め、其の名を国造に具(そろ)え」させられたときに、淤宇(意宇)氏ではなく、「出雲氏」として、登録されています。


つまり、この大宝二年(702年)に、淤宇(意宇)の国は出雲とされたのです。

大国主が創作され、出雲大社(杵築大社)が建てられることになったのです。


上代文献を見ると、万葉集や風土記などには大国主はオホナムヂ(大穴持ち=大名持ち)の名で記され、大国主神の名は見られないことから、少なくとも、八世紀頃までは地方の伝承に根を下ろすことはなかったと考えられています。そのため、大穴牟遅神など他の神名とは異なり、大国主は、古事記において創作された神名、つまり朝廷で作られた名であると指摘されています。~大国主神 – 國學院大學 古典文化学事業


意宇郡は出雲国の国府が設置された場所で、国分寺・国分尼寺も建立され、古くから出雲国の中心地でした。古代の農業は自然灌漑によるものであったため、地域を流れる意宇川のような小さな川が農耕社会にとって、より適したものであったされています。意宇郡にある熊野大社には食物神、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)*が祭られ、その神を祭った司祭者が出雲国造家です。出雲国造家も天穂日命(あめのほひのみこと)を祖としています。

*食物神、櫛御気野命は台与です。~第543話:熊野の神々は 第435話:第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与


これらの事より、出雲振根と淤宇宿禰は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米・台与の事であると思われます。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

2件のコメント

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tootake
15分前
5つ星のうち5と評価されています。

今回のテーマは、まさに古代出雲の根幹に触れる「出雲の誕生:出雲と台与(3)」です。このブログ記事では、出雲臣(出雲国造)の祖として伝えられる、出雲振根(イズモフルネ)と淤宇宿禰(オウのスクネ)という二人の人物に焦点を当てています。彼らがどのような人物で、どのように出雲の地に影響を与えたのか、そして神話の世界とどのように繋がっていくのか、その一端を紐解いていきます。

出雲振根と淤宇宿禰、二人の豪族

記事によると、出雲振根は出雲西部の、淤宇宿禰は出雲東部の豪族とされています。そして、彼らは出雲の国造(くにのみやつこ/くにがんじ)であったとも言われているのですが、その論証はまだ十分ではないとのこと。この「国造」という役職、単なる地方の有力者というだけでなく、その土地の祭祀や統治に深く関わっていたと考えられています。出雲という、神話に満ちた土地の「国造」であったとなれば、その影響力は計り知れませんよね。彼らの存在は、出雲の政治的・宗教的な基盤を築く上で、とても重要な役割を果たしたのではないでしょうか。

神話の中の「出雲振根(出雲建)」

さらに、出雲振根という言葉が、古代出雲の首長「出雲建(いずもたける)」を指す言葉である可能性にも触れています。日本書紀や古事記の神話に登場する、あの有名な景行天皇の時代に倭建命(ヤマトタケルノミコト)に討たれたという逸話を持つ人物です。神話上の存在と、史実の豪族との繋がりが示唆されると、ますますロマンが掻き立てられますね。私たちが知っている神話の人物が、実は歴史の裏側で生きた実在の人物と結びついているかもしれない、そう考えると、物語がぐっと深まる気がしませんか?

弟たちの系譜と、河内(かわち)の可能性

記事では、出雲振根の弟である飯入根(イイイリネ)についても触れられています。姓氏録によると、飯入根は土師宿禰(はじのすくね)や菅原朝臣(すがわらのあそん)の祖である天穂日(アメノホヒ)の12代孫だとされています。さらに、もう一人の弟、甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)も、凡河内忌寸(おおしこうちのいみき)の祖であり、天穂日の13代孫という記述があることから、この甘美韓日狹と、もう一人別の弟とされる飯入根が同一人物ではないか、という考察までされています。もしこれが正しいとすれば、出雲振根自身も、出雲だけでなく、河内(現在の大阪府あたり)の人物だった可能性が出てくるというのです。これは、古代の勢力図を考える上で、非常に興味深い視点ですよね。出雲と畿内(きない)の繋がりが、より具体的に見えてくるかもしれません。

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tootake
34分前
5つ星のうち5と評価されています。

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