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岡田鴨神社と元明天皇

  • tootake
  • 10月4日
  • 読了時間: 6分

更新日:10月5日

第825話


岡田鴨神社は、京都府木津川市加茂町にあります。建角身命(タケツノミ)です。

タケツノミは八咫烏=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。

  第280話:建角身命もウツシコオ 第274話:八咫烏もウツシコオ


山城国風土記によれば、建角身命は大和国葛城から山城国岡田賀茂を経て洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まったとあります。


日本書紀では、神武天皇が熊野から大和へ際には、八咫烏が現れて道案内をしたと記されています。この八咫烏の正体が賀茂建角身命で、神武天皇の軍を大和へ導いた「導きの神」とされています。この功績により、賀茂建角身命の子孫は山城国(京都)の賀茂地方に定着し、賀茂県主(かものあがたぬし)氏族の祖となったとされます。


このブログでは、鴨王(弟磯城=ウズヒコ=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命))が、葛城から木津川を遡って下鴨神社に至ったとしています。この岡田鴨神社の付近も加茂(鴨・賀茂)という地名です。


岡田鴨神社は元々現在地より北方(木津川河岸に「鴨大明神趾」)に鎮座していましたが、木津川の流路が変わりたびたび水害に遭うようになったため、現在地に遷座したということです。現在地は元明天皇の岡田離宮の旧跡と伝えられています。


元明天皇は、第43代天皇で、女性の天皇です。諱は、阿閇(あへ)です。

阿閇とは、安部(阿部)のことです。第552話:で書いた敢国神社2~稚き児の宮

では、「敢国神社の祭神は、大彦命*で、大彦は四道将軍として北陸地方を平定し、その子孫は伊賀国阿拝郡一帯に居住して阿閇氏(敢氏/阿閉氏)を称し、大彦命を祖神として祀ったと伝わっています。」と書きました。そして「伊賀国には稚き児の宮」と表現される神社は、伊賀国一宮である敢国神社(あえくに)のことです。稚き児とは13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した台与のことです。つまり元明天皇は、台与をモデルに創作された人物ということが分かります。古事記、日本書紀は歴史書ではなく小説なのです。

*大彦は台与です。~第676話:弥彦神社と台与


元明天皇は銅とかかわりの深い天皇です。

慶雲5年1月11日(708年2月7日)、武蔵国秩父(黒谷)より銅(和銅)が献じられたので和銅に改元し、元明天皇は和同開珎を鋳造させたとあります。鋳造させたのは、もちろん台与ではなく、この時期に大和の実権を握った藤原不比等です。

第813話:藤原不比等と田辺氏


和銅発見の地、埼玉県秩父市黒谷に鎮座する聖神社には、元明天皇下賜と伝えられる和銅製蜈蚣雌雄一対が神宝として納められています。また、養老6年(722年)11月13日に元明金命(げんみょう こがねの みこと)として合祀され今日に至っています。


岡田鴨神社の近くに銭司(ぜず)という地名があります。日本でも古い貨幣として知られている「和同開珎」(わどうかいちん)を鋳造していたところです。奈良時代の銭司はいわば現在の造幣局に当たります。この場所からは、銅銭だけでなく銀銭も出土しています。


この銭司(ぜず)は鋳造所で、ここで使用された銅は、金属分析では長門(山口県)の長登銅山のものだという結果が出ています。この付近で産する銅ではないということは、その製造技術を持った人々がこの辺りに住んでいたということです。{参考文献}謎の四世紀 上垣内憲一



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相楽郡(さがらかぐん)は、奈良時代には聖武天皇が都を置いた「恭仁京(くにきょう)」が存在しました。これは現在の木津川市加茂地区にあたり、伊豆美郷もこの文化圏に含まれていた可能性があります。恭仁京(くにきょう)跡は、伊豆美郷の近隣に位置し、奈良時代に都が置かれた重要な史跡です。このブログでは、恭仁=国→魏志倭人伝にで述べられている狗奴国としています。~第366話:狗奴国と女王国


したがって、岡田鴨神社のあるあたりはウツシコオ、台与の拠点地であり、恭仁=国→魏志倭人伝にで述べられている狗奴国であると思われるのです。


第674話:伊豆・出石・出雲で伊豆(いず)・出石(いずし)・出雲(いずも)の地名の元になったいずとは、伊豆速布留神、伊豆豊益命、伊豆目比売命など、伊豆(いず)の付く人物(台与)に由来すると思われます。と書きました。山背国相楽郡の伊豆美(いずみ)は、現在の京都府木津川市加茂町周辺に比定されています。~第820話:伊豆美(いずみ)~泉町(4)木津川市


<泉(地名)>



    :八咫烏の活躍

    :鴨王~瀬戸内海


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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tootake
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tootake
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<台与シリーズ>

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