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泉町(2):恩智神社(八尾市)

  • tootake
  • 9月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:9月27日

第818話


私の住む枚方市の近辺(吹田市、宝塚市、 門真市、 八尾市)には泉町という地名があります。これらはすべて台与に関係している地なのです。このブログでは、泉(いずみ)という地名は台与と関係のある地であることを見てきました。

第812話:泉国:大鳥大社


前回の泉町(1):垂水神社(吹田市)に続き、今回は、八尾市です。八尾市は、河内国の一部として、弥生時代から耕作が行われていた肥沃なデルタ地帯です。


八尾市には、いくつか重要な神社があります。その一つが、恩智(おんち)神社です。恩智神社は大阪府八尾市恩智中町にあります。主祭神は、大御食津彦大神と大御食津姫大神です。恩智神社は、河内国二宮と伝わっており、神使は兎と龍とされています。なお八尾市泉町から約2Km先を恩智川が流れています。


恩智神社の祭神は、

大御食津彦大神(おおみけつひこのおおかみ、大御食津彦命)

大御食津姫大神(おおみけつひめのおおかみ、大御食津姫命)

「ミケツ」の字義から食物を司る神(穀神)とされており、現在の神社側では大御食津彦命は天児屋根命の後裔、大御食津姫命は豊受大神(伊勢神宮外宮祭神)に同じとされています。天児屋命後裔の御食津臣命(大御食津彦大神)の妻:御食津比売命(大御食津姫大神)は、諸系譜』第六冊では天津日子根命の後裔とされています。


・大御食津姫大神=大宜都比売(おおげつひめ)は台与です。

・天津日子根命、活津日子根命も台与です。~第717話:活津日子根命は彦根(地名)


恩智(onchi)は内(uchi)に繋がります。「内」は、京都府八幡市内里のことで、考古学者の上垣内憲一先生はこの内色許男命の出身地について内里であるとされています。天王山の麓で木津川、淀川、桂川が合流地点にのすぐそばです。


明治時代までは奈良の春日大社の猿楽は恩智神社が受け持っていました。

猿楽は多氏と関係があります。多氏は、雅楽や神楽歌、舞楽などを父子相伝で伝える楽人の家系として宮廷に仕えました。多氏は神武天皇の皇子・神八井耳命を祖とする皇別氏族で、そして、多氏は神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされています。

神八井耳命は台与です。~第537話:神八耳命は台与(豊)


恩智神社は、現鎮座地に遷座するまでは西方の天王の杜(現在の御旅所)に鎮座したといいます。この地は、同地は弥生時代中期を中心とする遺跡(恩智遺跡)として知られ、恩智神社の創祀との関連性が指摘されています。同地一帯は縄文時代に始まる考古遺跡として知られ、特に弥生時代中期の集落遺跡が認められています。遺跡自体は南北1.2キロメートル・東西1.0キロメートルに広がるが、そのうち天王の杜を中心とする南北20メートル・東西50メートルが「恩智遺跡」として大阪府指定史跡に指定されています。恩智神社の北方では銅鐸の出土しています。


<兎と龍>

兎は、宇治(菟道)の「菟」で、菟から兎となり、内(うち)が宇治=兎というわけです。

地名「宇治」について、山城国風土記では、日本書紀の垂仁天皇紀・仲哀天皇紀・神功皇后紀にはすでに「菟道河(宇治川)」の記載があることから、菟道稚郎子の側が地名を冠したものと見られています。現在では、北・東・南を山で囲まれて西には巨椋池が広がるという地理的な奥まりを示す「内(うち)」や、宇治を中心とした地方権力によるという政治的な意味での「内」が、「宇治」の由来と考えられています。宇治市史 1(宇治市役所、1973年)と書いています。

第342話:聖徳太子は菟道稚郎子→聖徳太子は台与です。第781話:日出処天子の嘘


龍はヤマタノオロチのことで、台与とウツシコオはヤマタノオロチ=淀川を退治しました。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



ree

 
 
 

1件のコメント

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tootake
9月26日
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