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白浜神社・三島大社~伊豆

  • tootake
  • 9月20日
  • 読了時間: 7分

更新日:9月21日

第811話


静岡県下田市白浜に白浜神社(伊古奈比咩命神社)があります。

社殿によると、「御祭神、三嶋大明神は今から2400年前、若宮、剣の御子と共に南方より黒潮に乗って北上し、伊豆の白浜に上陸しました。富士の大神様より伊豆の土地を譲って頂き、南伊豆の下賀茂より后神として伊古奈比命を迎え、白浜に鎮まり、後に伊豆七島を造られた神様です。」となっています


その三島大明神の本体は、多くの三島神社が大山祇神としている大山祇(おおやまつみです)です。13世紀の釈日本紀、伊予国風土記では「御嶋(三島)に座す神は大山積神」という記述があります。第265:大山祇は三島(摂津)の王では、「大山祇はもともとは山の神ではなく、和多志=渡しの大神と言われていることから、淀川の水運を管理・支配していた人物です。」と書きました。


三嶋大明神は、大山祇=ウツシコオで、伊古奈比命は台与です。

物部氏が伊豆に来たことは、はっきりしています。 伊豆國造は、物部連の祖:天藐[藐の兒は生]桙命八世の孫・若建命です。

伊豆国造は伊豆国(現・静岡県三島市周辺)を支配した国造であり、仲哀天皇(14代)の后・神功皇后摂政の時代、物部連の祖で機織(はたおり)を司る天藐(藐の兒は生)桙命又は天御鉾命(あめのみほこのみこと)の八世孫・若多祁命又は若建命(わかたけのみこと)を国造に定めたことに始まるとされています。孝徳天皇(36代)の時代には駿河国の属国であったが、681年には伊豆国として分離し、伊豆氏や後の日下部氏が伊豆国造の後裔とされ、若多祁命の裔孫・矢田部氏の子孫は伊豆国三島神社の神主を代々世襲しています。


白浜神社の社殿にある若宮、剣の御子が若建命=台与でしょう。

天藐(藐の兒は生)桙命又は天御鉾命(あめのみほこのみこと)=アメノヒボコ=ウツシコオです。~ 第329話:アメノヒボコはウツシコオ


また日本各地にある三島神社は、賀茂氏との関係も示唆され、事代主神を祭る三島神社もあります。静岡県三島市にある三嶋大社は江戸時代以前は主祭神を大山祇神としていましたが、明治に国学者の支持を受けたことから主祭神を事代主神に変更し、昭和に再度大山祇神説ましが浮上すると、大山祇神・事代主神二神同座に改めています。これを受けて、一部の三島神社は事代主神単独、または事代主神を併せて祭っています。

*事代主もウツシコオです。

第275話:事代主もウツシコオ 第806話:五社水路と三島溝咋耳


静岡県の三島大社の「三嶋」は伊豆大島、三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われていますが、これは間違いです。三島大社鎮座地の地名は「三島」ですが、これは先の伊豆諸島を指す「三島」とは異なり、大阪府三島郡の三島です。静岡県の三島は、古代には伊豆国の国府があったことから「国府(こう)」と称されていました。そして三嶋神が国府に祀られたのち、13世紀末頃から大社にちなんで地名も「三島」と呼ぶようになったのです。


愛媛県今治市大三島にある大山祇神社の「大三島記文』(社伝)では、大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとされています。

小千命は台代です。~第778話:邪馬台国の水軍(5):小千御子


釈日本紀(伊予国風土記』(逸文)越智郡御島の条)に大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたとしています。摂津国の御嶋は、私が邪馬台国とする地です。~第6話:三島(御島) 本当の奈良



伊勢津彦*や沼奈川別ら大彦軍はヤマト王国の磯城王家出身で、彼ら賀茂族の祖先は摂津国三島(高槻市)の三島家です。賀茂族は三島家の活玉依姫が出雲*王国8代目副王の事代主に嫁いで生まれた子孫なので、賀茂族は三島家の活玉依姫や出雲王家の事代主が祖神となっています。故に白浜神社の推定通り三島大明神は事代主で間違いありません。

*伊勢津彦は台与です。~第354話:伊勢津彦はタケミナカタ

伊豆国の成立には、出雲族の移動と定着、そしてヤマト王権との連携が複雑に絡んでいた可能性が高いです。

富家伝承によると、初期ヤマト王権は丹波から南下した海部氏と出雲系の登美家による合体王朝であり、伊豆もそのネットワークの一部だったとされます。

~引用ここまで~


*伊勢津彦は台与です。~第354話:伊勢津彦はタケミナカタ で、タケミナカタ=台与のこととしています。

*出雲は台与のいる場所のことです。このブログでは、出雲については、第797話:桜井市(奈良県)は出雲 第674話:伊豆・出石・出雲などで書いてきたように出雲=台与のこととしています。

伊豆・出石・出雲の地名の元となったのは、山背国(京都府)相楽郡の伊豆美(いずみ:水泉)です。古代の出雲の人々とは、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)と台与のことだと思います。


白浜神社の宮司の原さんは、三島大明神は「南方から来た圧倒的な技術力、統率力を持った存在であり、そのカリスマを神として祀ったのが始まりだ」と言われています。

また下田という土地そのものも三島大明神やペリーなど、大きな力を持った人を引き寄せる何かがあるのでは、と考えているそうです。~下田にある伊豆最古の神社!「白浜神社」で御神木と絶景の海岸鳥居を堪能 | たびらい観光情報


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<蛇足の追記>

三島市の三島大社が、「御島」が大島・三宅島・新島の3島を指すとするのは古代より、三宅島の噴火がために、神の島とされたからです。

ちなみに私が通っていた小学校は、三島郡三島町三宅小学校です。


このブログを書いていて、時々「伊豆」という固有名詞に出くわすことがあります。

倭姫命世記に、阿佐加之弥子(阿坂の峰)に伊豆速布留神(いつはやふるのかみ)がいると書かれています。ここでは伊豆速布留神は、悪神、荒神(荒悪神)とされ、本来は当地一帯を領有する神でしたが、水田耕作における水神信仰と結びついて、龍天明神の俗称を得たものとされています

このブログでは、出雲については、第797話:桜井市(奈良県)は出雲

第674話:伊豆・出石・出雲などで書いてきたように出雲=台与のこととしています。

伊豆・出石・出雲の地名の元となったのは、山背国(京都府)相楽郡の伊豆美(いずみ:水泉)です。


木津川(きづがわ)は、三重県および京都府を流れる淀川水系の支流です。この木津川は、かつて泉川(いずみかわ)と呼ばれていました。伊豆(いず)という地名のもとになったなったのは泉川(いずみ)のいずです。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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三宅島の流人たち

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久伊豆神社(ひさいづじんじゃ)は今から約千五百年前の欽明天皇の御代(539~571)、出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたりこの地に出雲族の親神たる大已貴命(大国主命)を勧請したのが始まりとされています。平安時代、武蔵野に勢力を誇った武士集団「武蔵七党」のうち野与党と私市党の崇敬を集め、その勢力下にあった元荒川流域に久伊豆信仰が広まりました。戦国時代、扇谷上杉家の重臣、太田道灌が岩槻城を築くとその城郭内に総鎮守としておかれます。それ以後、江戸時代まで城の守護神として歴代城主から厚い崇敬をうけ、太刀や神輿など数々の品が奉納されました。近年では平成二十六年「平成の大造営」を行い、多くの氏子崇敬者のご奉賛により社殿も新しく蘇り、その御神徳は益々高まっております。


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関東の邪馬台国2~上殖葉皇子

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