泉町(1):垂水神社(吹田市)
- tootake
- 9月26日
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更新日:10月1日
第817話
泉町という地名が、私の住む枚方市の近辺にいくつかあります。
吹田市、宝塚市、 門真市、 八尾市には泉町があります。これらはすべて台与に関係している地なのです。
泉(いずみ)という地名は台与と関係のある地であることを見てきました。
第812話:泉国:大鳥大社
第811話:白浜神社・三島大社~伊豆
第674話:伊豆・出石・出雲 第797話:桜井市(奈良県)は出雲 第809話:邪馬台国と大河(2):千曲川:伊豆毛神社
などです。木津川(きづがわ)は、三重県および京都府を流れる淀川水系の支流です。この木津川は、かつて泉川(いずみかわ)と呼ばれていました。伊豆(いず)という地名のもとになったなったのは泉川(いずみ)のいずです。木津川(きづがわ)周辺には、椿井大塚山古墳、玉川鉱山、大住など邪馬台国と関わりのある重要な川です。
~第599話:彦狭知の物語(11)~椿井大塚山古墳 第606話:鉱物資源と邪馬台国(4)~椿井大塚山古墳
宝塚市の泉町(〒665-0864 兵庫県宝塚市)については、すでに第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市で書いていますので、今回は大阪府吹田市の泉町(〒564-0041 大阪府吹田市)について書きます。
垂水神社は、吹田市の泉町のすぐ近くにあります。垂水は泉と同じ意味です。
祭神は、豊城入彦命で、配祀として大己貴命 、少彦名命も祀られています。これらの人物は台与であることは、このブログですでに述べています。~hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
垂水神社は千里山山裾に鎮座しています。神社の北側にかっては摂津一の薬水と称えられた清らかな泉からの滝があったそうです。北大阪の開発の波で地下水脈が隠れ、今ではわずかに千里山からの水が流れているに過ぎませんが、修行の場としてのなごりは残っています。
社伝によると、「豊城入彦命は、崇神天皇の第一皇子でありながら、弟の垂仁天皇に皇位を譲り東国開発の旅に出た。のちに四道将軍の一人に数えられる豊城入彦命が、第一歩を記したのがこの垂水の地であり、子孫が神として祭り社を阿利真公*とその末裔に伝えたという。」なお、境内には弥生時代の住居址(*垂水遺跡)が確認されています。
新撰姓氏録には、「孝徳天皇の御代、祭神である豊城入彦命の子孫である阿利真公(ありまのきみ)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って当地から水を送り、その功績をたたえられ、垂水公(たるみのきみ)の姓を賜り、垂水神社を創始した。」 とあります。*阿利真公は台与です。~有馬温泉と台与
千里丘陵の南端に位置するこの垂水神社は、上町台地に位置する難波宮と、ほぼ南北の直線上にあって、距離にして約15㎞ですので、難波宮から滝が見えていたとも考えられます。
地図で見ますと、当社は難波宮のほぼ真北にあたります。直線距離で約10㎞、歩いて3時間くらいです。昭和50年代までは、神社境内から大阪城天守閣が見えました。
このブログでは、台与が日本各地で、土木工事を行ってきたことを述べました。
仁徳天皇=台与は、堀江の掘削、茨田堤の建設しています。
~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤
吹田市の泉町から、難波長柄豊碕宮に、懸け樋(水道)を作って水を送ったというのは、豊城入彦命=台与ではないかと思ってしまいます。
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垂水遣跡は千里丘陵東南端の丘陵上に展開する弥生時代を中心とする集落遺跡であり、垂水町1丁目から円山町にかけて拡がっています。 昭和初期に住宅開発に伴って発見され、考古学会に招介されましたが、以後住宅の開発が進んだため、現在、垂永神社裏山の境内地のみに、当時の面影が残されています。
垂水遺跡は、弥生時代中期後半から邑(ムラ)としての現模か大きくなって、後期まで人々の生活が続いたことか明らかとなりました。この時期は、中国の史書にみられるように、我が国ではムラの統合が進み、クニの成立をみる時期であり、この頃の大阪湾岸の動きを考える上でも注目される遺跡です。弥生時代後期以後、古墳時代に至ると、垂水遺跡は衰退していたようであり、その頃には、南方に新たに垂水南遺跡が出現します。
垂水南遺跡の第3面からは、壺や高杯が立った状態で出土しており、単なる廃棄ではなく祭祀の場であった可能性が高いとされています。
出土した銅鏡模造品や玉類(勾玉・管玉)は、神聖性や儀礼との関係を示唆しており、垂水神社の祭祀活動との連続性が考えられています。
<吹田市にある邪馬台国>
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




多氏の出自について(10) | 気まぐれな梟
岡田鴨神社 - Wikipedia
泉橋寺(せんきょうじ) - 木津川市
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
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