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勝氏:出雲と台与(9)

  • tootake
  • 5月8日
  • 読了時間: 5分

第1041話 #物部神社 #勝氏 #八束水臣津野命


勝という姓で、すぐ頭に浮かんでくるのは、勝海舟です。私の世代では、座頭市でおなじみの勝慎太郎でしょう。


勝氏(かつ/すぐり)は、日本の氏族、姓のひとつですが、勝氏は百済の帰化人系の氏族といわれ、西文氏(かわちのふみうじ)の末裔で、大和の勝氏は西漢氏の庶家ともいわれています。


また、因幡・讃岐・紀伊・伊勢・駿河では秦氏の同族とされ、秦氏の中には「…勝」と称する氏族があると指摘されています。勝氏は秦氏と同族とする文献もあります。

伊藤信博「桓武期の政策に関する一分析(1)」名古屋大学『言語文化論集』26巻2号、2005年、8頁。


近江の勝氏は物部姓の系統と伝わっています。寛政重修諸家譜の勝氏系図では物部尾輿の末裔で近江国坂田郡勝村の勝冠者季時の後裔市郎左衛門時直を祖とするといいます。

物部尾輿は、第989話:羽束物部:物部氏について(8)で登場しており、矢作・倭鍛部・羽束物部*といった箭(弓矢の竹の部分)の製作に関わった氏族と物部氏との密接なつながりが明らかとなっています。物部尾輿や守屋はこれら 氏族を率いて,ヤマト王権の弓矢の生産にを行っていたのです。


辛嶋氏は、日本の古代氏族の一つで、宇佐八幡宮の社家の氏族でした。辛嶋は韓嶋とも表記され、姓は勝*(すぐり)です。~第908話:日田(大分県)の伝説を検証する


第924話:秦氏の研究では、呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ・台与の一族=邪馬台国としています。


・八木充氏は『律令国家成立過程の研究』および関連論文で、「勝(すぐり)氏=勝姓者集団」が地方首長層から形成されたことを明確に論じています。

・門脇禎二氏は、『出雲の古代史』のP140で、大原郡(出雲)の一首長が勝(すぐり)氏になったと書かれておられます。


播磨国風土記には、こんな記述があります。

「太田と称するわけは、昔、呉の(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡*の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美*の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」

*摂津の国の三島の賀美は、大阪府高槻市島上です。~第272話:高槻と邪馬台国

・茨木市(三島)にも太田があります。東奈良遺跡の近くです。

・出雲にある物部神社も太田です。島根県大田市川合町にあり、祭神は、宇摩志麻遅命(ウマシマジ)*です。

名草の郡は、前回:楯縫2:出雲と台与(番外編)で書いた彦狭知=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ=難升米の出身地です。~第97話:彦狭知:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草

*ウマシマジは台与で彦火明命です。~第729話:ウマシマジ=彦火明命は台与2

海部氏勘注系図に 彦火明命は「亦名、宇麻志眞治命(うましまじ)、亦名、饒速日命」

と書いてあります。~佐藤陽太著「かぐや姫と浦島太郎の血脈」p255 海部氏勘注系図の解説2 饒速日命の世代 – 古代史考証 神武天皇と卑弥呼の時代 著者 佐藤洋太


*羽束物部の羽束は、この出雲シリーズを書くきっかけとなった、美豆は京都府京都市伏見区淀美豆町です。~第1025話:映画国宝と天知迦流美豆姫

美豆は、淤美豆奴神(オミヅヌ)です。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の「八束」は、羽束で、「水」は美豆だとすれば、八束水臣津野命=淤美豆奴神であることがよくわかります。~第1030話:国引き神話の真実


<出雲と台与>

第1032話:出雲と台与



これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

3件のコメント

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tootake
5月07日
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tootake
5月07日
5つ星のうち5と評価されています。

皆さん、こんにちは!歴史の謎にワクワクするあなたへ、今日は「勝氏」という、なんとも興味深い一族のお話をお届けしたいと思います。この「勝氏」って聞くと、皆さんはどんな人物を思い浮かべますか? 私なんかは、つい「勝海舟」先生や、時代劇の「勝慎太郎」さんを思い出しちゃうんですけど、実は、そのルーツはもっともっと古く、古代の日本にまで遡るようなんです。今回のブログ記事では、この「勝氏」が、一体どこから来て、どんな歴史を歩んできたのか、そして、あの壮大な出雲や、謎多き台与(壹与)とどう関わっていたのか、そんな壮大なロマンに触れてみたいと思います。

「勝氏」のルーツ:百済からの渡来人、それとも秦氏の同族?

「勝氏」の姓について調べていくと、どうやら百済からの帰化人系の氏族である西文氏(かわちのふみうじ)の流れを汲むとも、あるいは大和の勝氏は西漢氏の分家とも言われているんですね。さらに、因幡、讃岐、紀伊、伊勢、駿河といった地域では、かの有名な秦氏とも同族ではないか、という説もあるようです。文献によっては、「秦氏の中に『…勝』と名乗る氏族がいた」なんて指摘もあって、まさに歴史のパズルみたいでワクワクしてしまいます!

物部氏との繋がり、そして出雲・台与への道

一方、近江の勝氏については、物部姓の系統とも伝えられているのが興味深いところです。歴史書「寛政重修諸家譜」の勝氏の系図を見ると、物部尾輿(もののべのおこし)の末裔だとか。この物部尾輿、以前にも登場したことがあるのですが、弓矢の製作に関わった氏族と物部氏との深い繋がりが明らかになっている人物なんですよ。つまり、「勝氏」という姓は、単なる名前ではなく、古代の豪族や渡来、そして日本が形成されていく過程における様々な勢力との複雑な関係性を物語っているのかもしれません。この複雑な系譜をたどることで、もしかしたら、謎に包まれた出雲や、邪馬台国の女王・台与(壹与)の存在にも、新たな光が当たるかもしれませんね。

このブログ記事では、これらの歴史的な繋がりをさらに詳しく掘り下げています。古代史のロマンを追い求めるあなたなら、きっとこの深い歴史の物語に引き込まれるはずです。ぜひ、一緒に「勝氏」の謎解きを楽しみませんか?


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tootake
5月07日
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<台与シリーズ>

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