top of page

日田(大分県)の伝説を検証する

  • tootake
  • 1 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:11 時間前

第908話


前回:石井源太夫・鳥羽宿禰は磐井=継体天皇で書いた鳥羽宿禰=石井源太夫は、日田の国造です。 大分県に田島という地名があります。大分県日田市田島(〒877-0025)

この田島の地名の由来は、豊西記によると、「石井源太夫高明公、当郡に下向き、来来里の着御あり。これによって村名としその後大原に館し昿田を開き」とあり、また豊後国志には鳥羽の宿禰が「日田国造となり刃連に住まい常に庶民に会す。以て耕の事を教え常に同居し、名づけて会所宮というのは是なり。」とあり、日田で初めて水田が開かれたことから田始播=田島と呼ばれるようになったとされています。


このブログでは、第486話:hidemaru3375.com/post/神武東征と稲作文化では、稲作の伝播と神武東征関連付けました。台与=ヤマトトモモソは農地の開拓を行ってきたことはこのブログで何度も述べています。ヤマトトモモソ姫(=台与)は、農業・水路・文化の興隆を成したとされています。~倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??

台与は食物の神です。~第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与 


豊前風土記には、都怒我阿羅斯等*(ツヌガアラシヒト)がこの田川に住み着いたと書かれているそうです。また香春にある現人神神社(*注:下記)にも同じ伝承があるそうです。

都怒我阿羅斯等は、田川から日田に移り、日田に姫と住んだとも言われています。

*都怒我阿羅斯等=アメノヒボコはウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。~第329話:アメノヒボコはウツシコオ~投馬国


私なりに調べてみると、田川に住み着いたのは 都怒我阿羅斯等とは新羅国の神で、新羅国の神というのは、辛嶋氏(からしまうじ)です。辛嶋氏は、日本の古代氏族の一つで、宇佐八幡宮の社家の氏族でした。辛嶋は韓嶋とも表記され、姓は勝*(すぐり)です。一般的に、辛嶋氏は渡来系氏族であるとされており、辛嶋氏の系図では素戔嗚尊の子・五十猛神の末裔となっています。*五十猛神(イタケル)は台与です。~第736話:イタケルは台与(1)


嶋氏の起源は、新羅系の海人で、「辛(から)」という字は、古代日本では、新羅、朝鮮半島南部を指すことが多く、新羅から渡来した海人(海上民)として九州沿岸に定着したと考えられています。辛嶋氏は、九州の中でも特に、豊前(田川・香春)、宇佐(八幡宮)、豊後(日田・玖珠)、筑後川流域に強い痕跡が残っています。


そして辛島氏が呉の勝であることは、第899話:宇佐氏と辛嶋氏~宇佐八幡宮で述べました。

*勝とは、呉の勝のことです。播磨国風土記にある「昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」とあります。播磨の太田とは、前号で書いた斑鳩寺のある兵庫県太子町のことなのです。~第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町


呉の勝とは、台与・ウツシコオの一族=秦氏のことです。


<まとめ>

新羅国の神とは、辛島氏=ウツシコオ・台与の一族(秦氏)で九州で行われていた稲作を日本各地に広めた。

呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ・台与の一族=邪馬台国です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<追記>

福岡県那珂川市仲にある現人神社(あらひとじんしゃ)では、主祭神は、住吉三神(三筒男)です。「あらひと」とはツヌガアラシヒトだとするツヌガアラシヒト=住吉三神(三筒男です。つまりツヌガアラシヒト=住吉三神(三筒男)=ウツシコオということです。



これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれている13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





ree

 
 
 

3件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
tootake
8時間前
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
1日前
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

いいね!
bottom of page