top of page

鉱物資源と邪馬台国6~淡路島:鉄

tootake

更新日:3月1日

第608話 #五斗長垣内遺跡(垣内遺跡) #伊弉諾神宮 #鉄剣


五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は、兵庫県淡路市黒谷*にある弥生時代の遺跡です。弥生時代後期における日本列島最大規模の鉄器生産集落です。私がいつも参考にさせていただいている上垣内憲一先生は、ここから神武天皇の東征(=鉄を求める旅)が始まったのではないかとされておられます。


五斗長垣内遺跡は2001年に発見されたばかりで、2007年から発掘調査が実施されています。弥生時代後期の1世紀ごろのおよそ150年間にわたり存在したと考えられ、遺跡には鍛冶工房として使われた竪穴の建物が復元されています。


記紀は、神話の記述をイザナギ、イザナミの国生みから始めています。その国生みの冒頭に現れるのが、淡路島です。伊弉諾(いざなぎ)を祭る神社が淡路島にあります。伊弉諾神宮で幽宮御記に祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあるため、本来は伊弉諾尊のみを祀ったと考えられています。その伊弉諾神宮の近くにあるのが垣内遺跡で、そこから車で10分くらいのところにあります。


弥生時代後期の鉄器生産工房として使われた竪穴建物23軒から成っており、うち12軒から鉄を加工した炉跡の遺構が確認されました。また石槌や鉄床石、砥石など、鉄を加工するための石製工具も数多く出土しています。


上垣内憲一先生は、淡路島で鉄器を製造していた集団こそが神武天皇を統率者とする集団の母体になったと考えておられます。~「謎の四世紀」p142 

淡路島に神武天皇幼名とされる佐野(〒 656-2212)という地名がありこの地が神武東征の出発点と考えられ更なる鉄を求めて淡路島から大阪府の佐野(和泉佐野)に移動したと考えられるとされておられます。


この伊弉諾神宮が垣内遺跡の近くにあるせいか、上垣内憲一先生は「天尾羽張」は鉄剣であったのではないかと述べられておられます。「天尾羽張」は伊弉諾(イザナギ)は、妻神たる伊邪那美(イザナミ)の死因となった迦具土神(カグツチ)*を、身に帯びた十拳剣をもって首を斬り、殺すとあり。 古事記では、この十拳剣の名前を「天尾羽張」と記しています


伊弉諾(イザナギ)と、伊邪那美(イザナミ)は卑弥呼やウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王、台与(豊)らの一世代前の人物と考えれています。このブログでも、第355話:サナギ(銅鐸)はイザナギ!では、銅鐸や鉄鉱採取の製鉄文化を担った神を、サナギの神とし、その名に接頭語である「イ」を付け、イザナギ神になったのではないかと書いています。伊弉諾(イザナギ)は鉄器がヤマト(邪馬台国)に普及する前の銅鐸時代の人物だと思っていました。しかし、淡路島で鉄器を製造していた集団=イザナギだとすると話は変わってきます。


五斗長垣内遺跡は、弥生時代後期の1世紀ごろのおよそ150年間にわたり存在したとされていますから、卑弥呼やウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王以前から鉄器が作られていたということでしょう。


なお、第560話では、「天之尾羽張」は中平銘大刀で卑弥呼が、倭国の乱終結後に中国からもたらされたものであると考えられています。と書きました。


天之尾羽張」は中平銘大刀で卑弥呼が貰った剣なのか、伊邪那美(イザナミ)が迦具土神(カグツチ)を切った十拳剣なのか分からなくなってきました。しかし、どちらにせよ天之尾羽張は上垣内憲一先生が言われるよう鉄で出来た剣であることは間違いないでしょう。

イザナギや卑弥呼の時代にはもう銅剣は時代遅れになっていたのです。

山幸彦海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作ったと記紀には書かれています。山幸彦海幸彦も鉄の剣を持っていたのです。

第270話:銅鐸・銅剣は廃棄物


============================================


*黒谷の黒とは、古代の工場、炉(溶鉱炉)の事のようです。

和歌山県和歌山市太田*にも谷遺跡があります。奈良県磯城郡田原本町田は孝霊天皇の宮がありました。京都府弥栄町部奈具には奈具遺跡があります。黒とは、溶鉱炉の火で地面が黒く焼けたことからきているのです。そして黒姫は台与(豊)です。~第509話:黒姫~真黒比売命・迦具漏比売


迦具土神迦具(かぐ)とは、火具のことではないでしょうか。火具とは炉(溶鉱炉)だと思います。迦具土神火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んだとされています。



<関連項目>


<鉱物と邪馬台国シリーズ>

鉱物資源と邪馬台国(4)~玉川鉱山  宝石・貴石=玉、自然銅


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

4 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 01
Rated 5 out of 5 stars.

創建の年代は不詳。『播磨国風土記』逸文[原 1]には「爾保都比売命(にほつひめのみこと)」が見え、丹生都比売神と同一視される[12]。同文によれば、神功皇后の三韓征伐の際、爾保都比売命が国造の石坂比売命に憑いて神託し、赤土を授けて勝利が得られたため、「管川の藤代の峯」にこの神を祀ったという。その場所は現在の高野町上筒香の東の峰(北緯34度13分26.90秒 東経135度43分38.91秒)に比定され[注 4]、丹生川の水源地にあたる[12]。また同地は丹生都比売神社の旧鎮座地と見られているが、そこから天野への移転の経緯は明らかではなく[12]、高野山への土地譲り(後述)に際して遷ったとする説がある[10]。


一方『丹生大明神告門』[注 3]では、丹生都比売神は伊都郡奄田村(現・九度山町東北部)の石口に天降り、大和国吉野郡の丹生川上水分峰に上ったのち、大和国・紀伊国の各地に忌杖を刺し、開墾・田地作りに携わって最終的に天野原に鎮座したと伝える[10]。

Like

秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 28
Rated 5 out of 5 stars.

丹生都比売神の性格については大きく分けて2説がある[10]。

1つは水神とみるもので、その根拠として天野の地が紀の川の一水源地であること、空海が丹生都比売神社から譲り受けたという神領は有田川・貴志川・丹生川・鞆淵川の流域のほぼ全域を占めていたこと、関係する丹生川上神社は水神信仰であること、東大寺のお水取りで水を送る遠敷明神(おにゅうみょうじん;若狭彦神社)の存在、御田祭などの祭事における性格等が挙げられる[10]。

Like


秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 28
Rated 5 out of 5 stars.

台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与! 

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与! 八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

Like
bottom of page