top of page

石神井公園と豊嶋氏

  • tootake
  • 10月6日
  • 読了時間: 6分

更新日:10月6日

第827話~関東の邪馬台国(4)


石神井公園は、東京都練馬区にあります。木々に囲まれ静寂な趣の三宝寺池と、ボートで賑わう石神井池のほかに、石神井城址とこれに関する幾つかの遺跡があります。


石神井公園の石神とは台与のことではないかと思い当たりました。

石(岩)は台与(豊)のキーワードです。

・石井(イワイ)、健磐龍命(たけいわたつのみこと)神武西征~健磐龍命

・石井(イワ)源太夫などイワのつく人物は台与です。

・君が代ににある「千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて」

「さざれ石」とは群雄割拠の日本(邪馬台国)で、「いわお」とは統一された日本(大和朝廷)のことです。第364話:君が代(1)~志賀海神社 第365話:君が代(2):君はウツシコオでは、君が代の「君」はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)としましたが、「君」は台与です。台与(トヨ)日本の最初の大王(天皇)=「君」です。


練馬区石神井台にある石神井氷川神社は、石神井郷の総鎮守社です。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む全域の鎮守(守り神)です。かつてはこの地域は、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の五つの村からなっていました。本社はその各村民より、長きに渡り崇敬を受けてきた神社です。今日なお、一般に「石神井のお氷川さま」呼ばれ、親しまれています。神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。

豊嶋(としま)氏は武蔵国豊島郡が発祥とされ、豊嶋氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりであったと伝えられています。豊島氏(豊嶋:としまし)は、南武蔵(主に現代の東京都周辺)に勢力を持っていた武家で、平姓秩父氏の一族で、武蔵国豊嶋郡から発展し平安時代から室町時代にかけて国人系領主として存続していました。

現在の「豊島区」という地名は豊嶋氏に由来するものです。


この豊島氏も、本貫は、摂津国豊島郡です。摂津国豊島郡とは、池田市の全域、豊中市の大部分、箕面市の大部分、吹田市の一部(江坂町、円山町、垂水町*、広芝町、江の木町より南西および山手町・千里山西・千里山東の各一部)です。

*垂水町については、第817話:泉町(1):垂水神社(吹田市)で述べた通り台与と関係の深い地です。


東京都(武蔵国)の豊島郡(としまぐん)は、千代田区、中央区、港区、台東区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、荒川区、北区、板橋区、墨田区の南部分、および練馬区の大部分の区域にあたります。


練馬区には大泉町・西大泉・西大泉町・南大泉などの地名があります。この辺りは元々、「泉」という地名だったのではないでしょうか。「泉」とは、台与の居た場所のことです。


第674話:伊豆・出石・出雲で伊豆(いず)・出石(いずし)・出雲(いずも)の地名の元になったいずとは、伊豆速布留神、伊豆豊益命、伊豆目比売命など、伊豆(いず)の付く人物(台与)に由来すると思われます。と書きました。山背国相楽郡の伊豆美(いずみ)は、現在の京都府木津川市加茂町周辺に比定されています。~第820話:伊豆美(いずみ)~泉町(4)木津川市

<泉(地名)>


豊島氏は紀伊国から熊野権現を勧請し、郡内に多くの熊野神社を設けた。その最大のものが王子神社です。


「王子」という地名が熊野信仰と関係するのは、熊野三山の御子神「王子大神」を祀る神社が勧請されたことに由来し、中世の熊野詣の儀礼拠点としての「王子社」の伝統を継承しているためです。王子という地名の由来は、1322年(元亨2年)に豊島氏が熊野三山の御子神「王子大神」を勧請し、社殿を再興して「若一王子宮」としたことにあります。

この「王子大神」とは、熊野信仰における重要な神格で、熊野三山の御子神を祀る神社群「王子社」の伝統に連なるものです。したがって、王子という地名は単なる地名変更ではなく、熊野信仰の象徴的な神格を祀ることで、熊野詣の霊的ネットワークに組み込まれた場所であることを意味します。豊島氏による勧請は、熊野信仰の拠点としての地位を確立する意図があったと考えられます。


熊野古道を歩くと、「○○王子」と名のついた神社や跡地が数多く現れます。これらは総称して「九十九王子(くじゅうくおうじ)」と呼ばれ、院政期(12世紀)から鎌倉時代にかけて熊野詣が盛んになった際に、修験者たちによって整備された儀礼空間です。

王子とは童子の姿ということです。童子とは13歳で邪馬台国(ヤマト)の大王(天皇)に即位した台与のことです。


熊野の神とは、台与とスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。~第543話:熊野の神々


<関東にある邪馬台国>

第733話:神田明神は台与?


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





ree

 
 
 

2件のコメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
tootake
10月06日
5つ星のうち5と評価されています。
いいね!

tootake
10月05日
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与!  八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

いいね!
bottom of page