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氷川神社と氷川女体神社~埼玉県さいたま市

  • tootake
  • 7月1日
  • 読了時間: 5分

更新日:7月3日

第730話 #行基 #三室 #桂木観音


関東でスサノオを祀る有名な神社といえば、氷川神社ですが、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区高鼻町)の近くに、氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ:埼玉県さいたま市緑区)があります。氷川神社、氷川女体神社ともに武蔵国一宮を称しています。


このブログでは、大きな神社の近くには同じような大きな神社があることを見てきました。

上賀茂神社と下賀茂神社、鹿島神宮と香取神宮などです。~第697話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(7)~鹿島香取神社

・上賀茂神社の祭神は賀茂雷大神(=台与)で、下賀茂神社の祭神は賀茂建角身命(=ウツシコオ)です。別は台与です。~第710話:ワケ王朝は、のれん分け

鹿島神宮の祭神は武甕槌大神で、香取神宮の祭神は経津主大神です。

武甕槌(たけみかづち)は台与で、経津主(ふつぬし)はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


台与とウツシコオのコンビが埼玉県に遠征してきたときに拠点にした名残が氷川神社と氷川女体神社でしょう。


ところで、氷川女体神社周辺の地名は三室と呼ばれ、「三室の氷川神社」ともよばれています。三室とは、御室で高貴な人が住むところいう意味であると、第722話:三室戸寺~宇治(莵道)で書きました。


この辺りは当社は、旧見沼を一望できる大地の突端「三室」に鎮座する。見沼は神沼として古代から存在した沼で、享保十二年(1727)の新田開発までは、一二平方キロメートルという広大なものであった。この沼は御手洗として当社と一体であり、ここに坐す神は女體神、すなわち女神であったといいます。


氷川神社の祭神:スサノオはウツシコオで、氷川神社の祭神:奇稲田姫命は台与ということです。奇稲田姫命(クシナダヒメ)とはクシ(奇)・イナダ(稲田)姫ということす。稲田姫は、稲の神つまり稲荷神(宇迦之御魂神:うかのみたま)=豊受姫=台与です。


須佐之男命は出雲の国の簸の川で、八岐大蛇を退治しています。「簸の川」が「氷川」

とすれば、この地でもスサノオ・台与のコンビが河川を改修し、稲作の促進したのでしょう。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2


ということは、例の行基もこの辺りに来たのではないかと思って調べてみました。

このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は、天智天皇7年(668年)、河内国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)で父・高志才智、母・蜂田古爾比売の長子として生まれました。24歳で戒師の葛城山高宮寺徳光禅師のもとで受戒し、飛鳥寺、次に薬師寺で法相宗を主として教学を学び名を行基と改めます。教えを受けたとされる道昭は、入唐して玄奘の教えを受けたことで有名であり、それとともに井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架けて、後の行基の事業への影響を指摘されています。行基も日本各地で治水工事を行っています。


氷川神社からは、かなり遠いのですが、埼玉県毛呂山町に桂木観音があります。

桂木寺略縁起によると、行基が訪れた地と伝わっています。行基が当地を訪れた際、その風景が葛城(かつらき)*に似ていることから、「桂木(かつらぎ)」という名となり、行基により堂宇と仏像が作られ、評判となり、多くの信仰者から寄進があり、観音堂を含めた七堂伽藍が建立されたと伝わっています。 また、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿では、「ここより房総、上下野州、或いは秩父の山々などまのあたりにみわたされたり、また近くは川越城、伊佐沼など眼下に見えり」と記されており、当時の眺望が遮るものがなかったため、現在の千葉県、茨城県、栃木県、群馬県などの関東一円を見渡すことができたのです。*このブログでは、葛城は台与の自宅(我家:ワギヘ)のある大阪府交野市としています。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市


氷川神社からは、かなり遠くにある埼玉県毛呂山町から、関東平野を眺めながら行基は台与のことを偲んだのでしょう。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




 
 
 

3 Comments

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tootake
Jun 30
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佐久多神社

柳田国男氏は、「くなど」と「佐久(さく」は、同じ意味であると『石神問答』という著書で言われている。

〝佐久奈度はやはり、クナドの神でございます。

祭 神:天照大御神、素盞男之神、忍穂耳神、天之穂日之命、天津日子根之命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸嶋比売命

 相殿:韓国伊太氐神社

神々の里出雲の地を訪ねて 曽枳能夜神社

https://izumo-enmusubi.com/entry/asuki-jinjya/

曽枳能夜神社(出雲市斐川町神氷) - Shrine-heritager 伎比佐加美高日子命

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tootake
Jun 30
Rated 5 out of 5 stars.

<台与シリーズ>

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