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坂上田村麻呂は台与:苅田彦神社

  • tootake
  • 24 時間前
  • 読了時間: 6分

更新日:18 時間前

第993話


苅田彦神社 (かりたひこじんじゃ)は、福井県大飯郡おおい町名田庄小倉にあります。

創祀年代は社伝によると、平安時代の大同元年(806年)とされています。

近く(福井県大飯郡おおい町名田庄下)には苅田比売神社もあります。

それぞれ、苅田彦と苅田比売を祀っています。

伝承によると、秋日、刈り取った稲の上に御神霊が降臨したため、苅田彦・苅田比売の名が付けられた穀霊神であるといいます。

・穀霊神は台与です。第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与

・福井県大飯郡おおい町は福井県小浜市に近く、この辺りは台与ゆかりの地です。

若狭国遠敷郡には、苅田彦命・苅田姫命を祀る式内社である苅田彦神社・苅田比売神社があります。


苅田彦・苅田比売は、備中国 小田郡の在田神社(岡山県笠岡市有田)でも、祀られています。この在田神社によれば、苅田彦命・苅田姫命は、阿知使主・坂上苅田麻呂の末裔で、鉄鉱や水銀を採掘した一族の神であるといいます。


坂上苅田麻呂(さかのうえ の かりたまろ)は、坂上田村麻呂の父親です。坂上苅田麻呂は、奈良時代の公卿・武人で坂上養の子。官位は従三位です。


阿智使主(あちのおみ)は、坂上氏の祖とされています。坂上氏は、征夷大将軍となった坂上田村麻呂の一族です。苅田彦・苅田比売は、鉄鉱や水銀を採掘した犬一族の神であるというのなら、苅田彦・苅田比売は、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)と台与でしょう。前回:タケミナカタはなぜ諏訪に行ったのか?で書いたように、ウツシコオと台与は鉄鉱や水銀をさがして日本各地を歩き回っています。


苅田彦・苅田比売の苅田については、第956話:苅田は、フェリー乗り場で書いたように大阪の苅田は住吉区にあります。住吉は、神功皇后(台与)と武内宿祢(ウツシコオ)と関係の深い場所で、邪馬台国当時には瀬戸内海から中国、朝鮮に船出する出発点です。


第488話:杭全神社~息長氏と河内で書いた杭全神社(くまたじんじゃ)は、平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰を集めています。第488話:杭全神社~息長氏と河内 第479話:継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社で書いた楯原神社の近くにあります。


大阪の住吉区、平野区は坂上氏との関連の深い地なのです。


備中国 小田郡の在田神社のある岡山県笠岡市も古来より交通の要所です。

瀬戸内海の中央で主要な潮待ち港であった鞆の浦から近い良港を持ち古来より海運業が栄ええていますた。山陰地方の日本海と山陽地方の瀬戸内海を結ぶ陰陽連絡街道の一部であり、石見銀山の中心地である大森(島根県大田市)から積出港笠岡港までを結ぶ石見銀山街道(銀の道)は「上下・府中・福山道」、中国地方各地からの街道が集まる備後国北部における物資集積地東城(現庄原市)と笠岡を結ぶ東城街道は笠岡往来、高山市往来、出雲街道等と呼ばれていました。


坂上苅田麻呂は青森県弘前市にある岩木山神社でも祀られています。一介の役人(従三位)にすぎない苅田麻呂がなぜ祭神とされたのでしょう。つまり、これらの事項から考察すると、坂上氏(阿智使主の後裔)=坂上田村麻呂=坂上苅田麻呂はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与であると考えられます。


<付記>

続日本紀には坂上苅田麻呂の祖先の阿知使主(阿智王)が応神天皇の時代に17県の人夫を率いて百済から日本へと帰従し、大和国高市郡檜前村(現在の奈良県高市郡明日香村)を賜って居住したとしています。日本書紀では東漢直の祖阿知使主とその子都加使主が17県の党類を率いて来帰とあり、古事記にも倭漢直の祖、阿知直とあることから記紀が成立した8世紀初期には東漢氏の始祖が阿知使主であると認識されていました。古事記では阿知吉師(あちきし)と書いて阿直岐と同一人になっています。漢氏は渡来後は多数の技能,技術を持つ人々と漢部という部を配下に置いて、大和の飛鳥を中心に広く分布していました。


第689話:阿智氏・阿直岐はでは、阿智氏は、日本古代氏族事典では、井上姓と通じていて、阿智使主の後裔伝承を持ち、その名は河内国志紀郡井於郷の地名にもとづくという説もあります。河内国志紀郡井於郷とは、大阪府茨木市蔵内のことです。大阪府茨木市蔵内は、台与ゆかりの地です。


<関連項目>

第863話:清水寺と地主神社

第911話:坂上田村麻呂は台与:清水寺と坂上田村麻呂

第941話:坂上田村麻呂と金


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

4件のコメント

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大福
17時間前
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北九州にも京都郡『苅田町』がありますが、『かりた』ではなく『かんだ』と読みます。

元の『神田』の読み方でしょうね。

地名って不思議です、なんでやねん!って感じ。😄

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tootake
8時間前
返信先

第956話:苅田はフェリー乗り場

福岡県京都郡の苅田の事も書きましたよ。 

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tootake
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

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https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??  神八耳命は台与(豊)

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与!

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台

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tootake
1日前
5つ星のうち5と評価されています。

「坂上田村麻呂は台与!?」古の謎を解き明かす旅へ

皆さん、こんにちは!歴史のロマンを追い求める日々を送っています。今日は、私が最近発見して、思わず「えっ!?」と声が出てしまった、とある神社の話について、皆さんとシェアしたいと思います。それは、遠い昔の日本に生きた人々が、どんな思いで神々を祀り、どんな物語を紡いできたのか、その一端を垣間見せてくれるような、そんなお話なんです。

福井県、海に面した静かな町に、ひっそりと佇む苅田彦神社(かりたひこじんじゃ)。社伝によれば、その歴史は平安時代の大同元年、西暦806年まで遡るそうです。すぐ近くには、苅田比売神社(かりたひめじんじゃ)もあり、この二つの神社は、それぞれ苅田彦命と苅田比売命という、穀物の神様を祀っているのだとか。なんでも、秋の収穫期に、刈り取った稲の上に神様が降りてこられたことが、その名の由来だと伝えられているんですって。なんとも詩的で、豊かな恵みへの感謝が伝わってくるようで、心が温かくなるお話ですよね。

農耕社会であった私たちのご先祖様にとって、穀物の豊穣は文字通り命綱であり、その恵みをもたらす神様への信仰は、どんなものよりも大切だったはずです。そんな穀霊神、つまり穀物の神様こそが、「台与(とよ)」という存在なのではないか、という説があるんです。そして、この福井県のおおい町周辺は、そんな台与にゆかりのある地とも言われているんですよ。

この、一見するとシンプルな神社の由緒に、一体「坂上田村麻呂」や「台与」といった、歴史上の人物や神話の存在がどう結びつくのか…? 私も最初は「?」でしたが、さらに調べてみると、この苅田彦命・苅田比売命は、備中国(現在の岡山県笠岡市)にある在田神社でも祀られており、そこでは彼らが「阿知使主」という人物と関係があるとも記されているとか。古代史の断片が、こうして点と点として繋がっていく瞬間は、本当にワクワクしますよね!

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