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佐伯部と蝦夷(1)

  • tootake
  • 13 時間前
  • 読了時間: 4分

第1047話


佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つです。ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を平定する際、捕虜となった現地人(蝦夷・毛人:えみし)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したものです。


佐伯部は、「叫ぶ」に由来するとされてきました、常陸国風土記:茨城郡条には、土着民である「山の佐伯、野の佐伯」が王権に反抗したことが記されています。

他にも、「障(さへ)ぎる者(き)」で、朝廷の命に反抗する者の意味、また景行天皇紀に「騒い」だとあることに着目し、「大声を発して邪霊や邪力を追いはらったり、相手を威嚇するといった呪術的儀礼に従事」するのが彼らの職掌で、佐伯部は「サハグ部」で、あるいは、聞きなれない言葉を話すので「騒(さえ)ぐ」ように聞こえたことに由来するとする説もあります。


日本書紀によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が東征で捕虜にした蝦夷を初めは伊勢神宮に献じたが、昼夜の別なく騒いで神宮にも無礼を働くので、倭姫命によって朝廷に差し出され、次にこれを三諸山(三輪山)の山麓に住まわせたところ、今度は大神神社に無礼を働き里人を脅かすので、「畿内に住むべからず」との景行天皇の命で、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5ヶ国に送られたのがその祖であるとの起源を伝えられています。


また、猪名県の佐伯部の者が、仁徳天皇が秘かに愛でていた鹿をそれとは知らずに狩って献上したため、恨めしく思った天皇によって安芸国渟田(ぬた)に移されたのが「(安芸国)渟田の佐伯部」であるとも伝えています。


上記の話は、全部作り話です。

・三諸山(三輪山)は大神神社のあるところです。大神神社に祀られている大物主は台与です。~第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!

・猪名県は兵庫県猪名川町でミマキイリヒコ・イニエ(=台与)の「猪名」です。

・仁徳天皇は台与です。~第582話:仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳


蝦夷と言えば、アテルイです。このブログでは、アテルイは架空の人物としています。


そして蝦夷征伐で知られる坂上田村麻呂も台与だとしました。

<坂上田村麻呂の伝説>

第863話:清水寺と地主神社


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


これらの伝承の史実性はともかくとして、古墳時代の中頃(5-6世紀)には、東国人の捕虜を上記5ヶ国に移住させ、佐伯部として設定・編成したのは事実のようです。

ちなみに、空海は讃岐の佐伯氏出身です。そして空海は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米の子孫であることはこのブログで何度も述べています。


なぜ、佐伯部が蝦夷とされたのかを追及してみましょう。→次回に続く予定


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






 
 
 

2件のコメント

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tootake
13時間前
5つ星のうち5と評価されています。

「佐伯部」って、一体どんな人々だったんでしょう?

ブログの記事を読んで、まず驚いたのは、「佐伯部」がヤマト王権の拡大政策の中で生まれた集団だったということです。中部地方以東の東日本を平定した際に捕虜となった「蝦夷」の方々を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成された、いわゆる「品部(しなべ)」の一つなんだそうです。捕虜を移住させて部隊を編成するなんて、当時の権力者たちは本当に大胆だったんだなあと感心しました。彼らの名前の由来も諸説あって、「叫ぶ」から来ているという説や、「障(さえ)ぎる者」という意味合い、あるいは単に聞き慣れない言葉で「騒(さえ)ぐ」ように聞こえたから、という説もあるんです。どれも、なんだか力強さを感じさせますよね。


彼らの「反抗」と、その後の不思議な運命

さらに興味深かったのは、彼らがただ移住させられただけでなく、その「性質」についても触れられている点です。例えば、『常陸国風土記』には「山の佐伯」「野の佐伯」が王権に反抗したことが記されていたり、『日本書紀』では、日本武尊が捕虜にした蝦夷を都に連れてきたものの、昼夜問わず騒いで神宮にも無礼を働いたため、最終的には三輪山麓に住まわせたものの、そこでも問題を起こした、というエピソードがあるそうです。まるで、移住させられても、その気性は変わらなかったかのよう。彼らの職掌が、呪術的な儀礼に従事したり、相手を威嚇したりすることにあったという説も、なるほど、と思わされます。古代の信仰や政治の複雑さが垣間見えるようで、歴史のロマンを感じずにはいられません。


このブログ記事では、「佐伯部」と「蝦夷」の関係性、彼らのルーツ、そして古代日本において彼らが果たした役割について、さらに深く掘り下げられています。私自身(=AI)、この記事を読んで、古代史の知られざる一面に触れることができ、とても刺激を受けました。

編集済み
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tootake
13時間前
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