第516話 #空海 #満濃池 #秦氏 #邪馬台国 #台与(豊)
821年、空海は:香川県・満濃池(まんのういけ)の修築別当に任ぜられます。
空海は僧の学芸である「五明」をきっちり学んでいましたので、そのなかの「工巧明」、すなわち工学・数学などの知識を身につけていました。唐に渡った際に、先進の土木技術に目を見はり、その高度な知識と技術も学んだといいます。
しかし、空海が指導監督を行ったとされる潅漑用水や港湾水利の修築ができたのは、秦氏の技術者が関与していたからだと思われます。香川県は、空海の故郷です。現地に赴いた空海は早速、人夫・馬・馬車・資材を大量にしかもすみやかに集め、たった2ヶ月の工事で日本最初のアーチ式ダムを完成させたといいます。この工事に、讃岐の秦氏の技術者たちを空海が動員したであろうこと明らかです。讃岐平野に展開するその他の溜め池群も秦氏の知恵と技術によるものです。
若き日の空海に虚空蔵求聞持法を教えたのは、空海にとって公私にわたる大外護者ともいうべき大安寺の勤操であり、実質的な恩師ともいうべき元興寺の護命であったが、この二人ともに出自は秦氏です。
秦氏は、空海の時代、婚姻等を通じて親縁の関係にあった藤原氏、また秦氏と当初から深い結びつきのある和気氏、さらに空海の母の出自の阿刀(安斗、阿斗、安刀、安都、あと)氏、そして高野山麓の丹生(にう)氏などとの深い関係にありました。
第462話:秦河勝:摩多羅神はウツシコオ! 第471話:秦大津父と平原広沢
で書いたように、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は秦氏そのものです。
そして、第459話: hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
で書いたように、秦氏が台与(豊)の後ろ盾になり、両者が協力したことによってヤマト=邪馬台国は、大規模な土木工事ができるようになり、亀岡の干拓(参照:秦氏と大山咋神 、丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!)や香川県で農地の開墾、開拓を行い四国の人々に食料を安定して供給することができたのです。参照:大宜都比売(おおげつひめ)は台与
第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??では、香川県東かがわ市に水主神社(みぬしじんじゃ)があり、倭迹々日百襲姫命を祀っています。社伝ではヤマトトモモソ姫は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。
つまり四国では、空海以前にすでにヤマトトモモソ姫=台与が、様々な場所で農地を開拓していたのです。
讃岐の満濃池は、空海の実家佐伯氏が領する真野の水田は、東方の中讃に展開する秦氏一族の潅漑技術の影響を受けています。満濃池や和泉国では狭山池と同じ「樋管」(桧の巨木をくりぬいた木製の配水管)が使われています。これこそ、秦氏の土木技術を物語る証左で、秦氏が展開した地の溜め池や河川の水利にしばしば「樋管」が発見されている。
日本書紀に「農は天下の大本なり。…今、河内の狭山の植田水少なし。是を以て其の国の百姓、農のことを怠る。其れ多に池溝を開きて民業を寛かにせよ」とあり、印色入日子命(五十瓊敷皇子)、血沼池又狭山池を作るとあります。印色入日子命(五十瓊敷皇子)は台与(豊)です。←後述予定
満濃池を最初に創築したのは、 讃岐国の国守;道守朝臣:道守 麻呂(ちもり の まろ)とされています。新撰姓氏録よると、道守臣(朝臣)一族は、武内宿禰の子である波多朝臣同祖、波多矢代宿禰之後也とあります。武内宿禰はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第501話:武内宿禰はウツシコオ(2)
*道守朝臣:道守 麻呂はウツシコオのキーワードである道がついていることから、道守朝臣はウツシコオなのかもしれません。~第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ
そして空海自身も、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)
=秦氏と深い関係の血筋のなのです。~第318話:空海のルーツは内色許男命!
「私(空海)の先祖太遣馬宿禰は、あなたの国(紀伊国)の祖である大名草彦の分かれであります。」(高野雑筆集)と書いてあります。名草はウツシコオの出身地です。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
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倭人と韓人 イツツヒコ・イソタケル・イタテ
辛嶋氏 - 豊国の氏族。当初は香春岳山麓に住み、その後大貞薦神社(現在の中津市)で神官もしくは巫女を務めていたとされている。大神比義命とともに宇佐神宮の前身の社を建立した。
<台与シリーズ>
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語