佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)
- tootake
- 1 日前
- 読了時間: 6分
更新日:3 時間前
第1048話 #兵頭大社 #佐伯直
前回:佐伯部と蝦夷(1)で書いた佐伯部を率いていたのが、佐伯氏です。
日本書紀によれば、部民としての佐伯部は、もともと東国人の捕虜(蝦夷)であったが騒がしいことを理由に景行天皇の命で、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に送られたのがその祖であるとの起源を伝えています。これらを統率したのが佐伯直人物です。
佐伯直(佐伯連)→佐伯氏→佐伯部ということです。
新撰姓氏録には、針間別佐伯直は、景行天皇の皇子・稲背入彦皇子の後裔氏族で、成務天皇の時代に同皇子の子である御諸別命(針間別命)が播磨国に封ぜられて以来、氏名を「針間別(はりまわけ)」とし、応神天皇が播磨国に行幸した時に、同国の佐伯部を御諸別命の子である針間国造の伊許自別命(阿良都命)に伴造として管掌させるとともに、「針間別佐伯直」と改賜姓したが、天智天皇9年(670年)の庚午年籍作成に際して、「針間別」の3字を除いて「佐伯直」と称するようになったとあります。
・針間別の「針間:はりま:播磨」は呉の勝が移動した地です。呉の勝は、紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それがの太田の村に移住して来たとされています。揖保は播磨(針間)です。
~第1041話:勝氏:出雲と台与(9)
・「別:ワケ」は台与です。~第710話:ワケ王朝は、のれん分け
滋賀県野洲市にある兵頭大社の社伝「兵主大明神縁起」によれば、景行天皇は皇子・稲背入彦命に命じて大和国穴師(奈良県桜井市穴師、穴師坐兵主神社)に八千矛神を祀らせ、これを「兵主大神」と称して崇敬したといいます。八千矛之神は日吉大社(大津市)から亀に乗って琵琶湖を渡り、そこから鹿に乗ってやってきたといいます。
・八千矛神は大国主(オオナムチ=大穴持ち=穴師)です。亀と鹿のキーワードがあるので、この八千矛神は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。
~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、 第358話: 鶴と亀がすーべった:籠神社
・景行天皇は皇子・稲背入彦命はヤマトタケルと兄弟ということになりますが、景行天皇=稲背入彦命*=台与(下記)です。
稲背入彦命は、近江国高穴穂宮への遷都に伴い、宮に近い穴太(現・滋賀県大津市穴太)に社地を定め、遷座させたとされています。成務天皇は、この宮で即位し、この地において60年間統治したと推定されています。成務天皇は台与です。~第963話:菊理媛神(ククリヒメ)~岐阜県可児市久々利
新撰姓氏録によると、佐伯氏は、天孫降臨の時に彦火瓊々杵尊を先導した天押日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、大伴室屋の時に大伴氏から別れた神別氏族であるとされています。
彦火瓊々杵尊は、台与(神武天皇)です。~第936話:彦火火出見尊は台与
天押日命は、神武天皇を導いた八咫烏(ヤタガラス)、塩土老翁に相当することから、ウツシコオです。~第111話:塩土老翁~浦島太郎2 第592話:彦狭知の物語4~八咫烏
新撰姓氏録では、佐伯氏は、王権に仕え、宮廷警備等の任につくようになった後、外敵からの攻撃を「遮(さへ)ぎる者」という意味で「さへき」と呼ばれるようになったとの説があります。前回:佐伯部と蝦夷(1)で書いた、「大声を発して邪霊や邪力を追いはらったり、相手を威嚇するといった呪術的儀礼に従事」するのが彼らの職掌で、佐伯部は「サハグ部」で、あるいは、聞きなれない言葉を話すので「騒(さえ)ぐ」ように聞こえたことに由来するとする説よりも、この「遮(さへ)ぎる者」を由来とした方が納得できます。
ウツシコオ(内色許男命)、台与は塞ノ神でもあります。塞ノ神は、外から侵入して来る邪霊を防ぎ止める神、峠・坂・辻・村境など、境界に祭られた神で、遮(さへ)ぎる神です。
~第536話:塞ノ神と佐比の岡とおくどさん
これらのことにより、佐伯部、佐伯氏はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与と関連の深い部族であると思います。
====================================
<追記>
出雲国譲り神話に稲背脛命という人物が登場します。事代主命の意見を聞くために出雲に派遣された神です。稲背脛命は、大己貴神(おおなむちのかみ)が事代主命の意見を聞くために、使者として熊野諸手船(別名:天鴿船)に乗せて派遣した神です。名前の「稲背脛」は、「否然(いなさ)を問う足」という意味があり、交渉や問いかけの役割を象徴しています。この国譲り神話における活動により、国譲りの成立に貢献した神とされています。
この稲背脛命は、稲背入彦命=台与と同一人物でしょう。出雲国譲り神話と台与については、最近書いたばかりです。
<出雲と台与>
第1032話:出雲と台与
第1033話:出雲と台与(2):アメノホヒ、キヒサツミ
第1034話:出雲の誕生:出雲と台与(3)
第1035話:天の夷鳥:出雲と台与(4)
第1036話:飯入根:出雲と台与(5)
第1037話:三島足奴:出雲と台与(6)
第1038話:出雲井於神社 :出雲と台与(7)
第1039話:楯縫:出雲と台与(8)
第1040話:楯縫2:出雲と台与(番外編)
第1041話:勝氏:出雲と台与(9)
第1042話:多具・多伎・多久:出雲と台与(10)
第1043話:ワカフツヌシ:出雲と台与(11)
次回に続く→佐伯氏と隼人:佐伯部と蝦夷(3)
これまでの記事はこちらです。
{広告}
本能寺の変、秀吉の中国大返しを描く、娯楽超大作、絶賛発売中!!
200円です。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<追記>の『「稲背脛」は、「否然(いなさ)を問う足」という意味があり、・・・』
出雲の「稲佐の浜」は「否然の浜」「稲背の浜」の意味でもあるのかもと思いました。
漢字が変わると感じが変わって意味がわからなくなりますね。😄
内神社(高野宮)
内神社 - Wikipedia
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
記事では、あの「佐伯氏」が率いた「佐伯部」と、彼らが関わった「蝦夷」について、さらに深く掘り下げられています。日本書紀に伝わる佐伯部の起源、つまり東国からの捕虜(蝦夷)が播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に送られたという話から、佐伯直(佐伯連)→佐伯氏→佐伯部という繋がりが、とても分かりやすく解説されているんです。
特に、「針間別佐伯直」がどのようにして「佐伯直」と称するようになったのか、その歴史的背景にも触れていて、まさに古代史のパズルが一つずつ解けていくような感覚を味わえました。呉の勝が移動した地名とも関連があるという点も、興味深いですよね。
このブログを読むと、まるでタイムスリップして、その時代の空気を肌で感じているような気分になります。歴史の教科書だけでは分からない、人々の営みや、地名に秘められた意味。それを知るたびに、古代へのロマンがより一層深まるんです。
記事を読む
邪馬台国や古代の日本に興味がある方、歴史の謎を解き明かすことに情熱を燃やしている方には、ぜひ bookmark していただきたいサイトです。私も、これからも新しい発見を皆さんと共有できたら嬉しいです!