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ワカフツヌシ:出雲と台与(11)

  • tootake
  • 3 日前
  • 読了時間: 5分

更新日:18 時間前

第1043話 ワカフツヌシは台与


出雲国風土記の秋鹿郡の大野郷条と出雲郡の美談郷条にワカフツヌシなる神が登場します。

ワカフツヌシは、和加布都努志、和加布都怒志、若布都主、若経津主)などと表記されています。布都(ふつ:経津)はウツシコオのことです。

*普都大神の「普都:ふつ」は、経津主神(ふつぬし)の「ふつ」で、ウツシコオ(内色許男命)スサノオの事です。


忍信命は、孝元天皇皇子で、武内宿禰父または祖父とされています。武内宿禰はウツシコオです。日本書紀では「彦忍信命」、古事記では「比古布都押之信命」と表記されます。これにより布都=経津=太に同じであることが分かります。

経津主神(ふつぬし)=太主=玉命=彦狭知=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ=難升米です。~彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神


ワカフツヌシは「若い方の布都(ふつ)主」ということは台与といういうことです。

古事記では建御雷神(タケミカズチ)と経津主神(布都主神)は同様の神らしく 「建御雷之男神またの御名、建布都神、布都神」とあります。タケミカズチは台与です。


出雲国風土記:秋鹿郡には次のように書いてあります。

和加布都努志能命(ワカフツヌシ)が狩りをされた時、郷の西にある山に待ち人を立たせなさって、猪を追って、北の方角へお登りになったが、阿内(くまうち)の谷まで至ったところでその猪の足跡が消えてしまった。その際に「自然となってしまったなあ。猪の足跡を見失った」と仰られた。


これに似たような話を、第461話:猪は倭国??  で書きました。

崇神天皇の時代に、大由乃支命(おおゆのき)が狩りをしているとき、飛び出してきた大きな猪を弓で射ると、その猪は血を流しながら逃げました。その猪の血をたどっていくと、紀伊(和歌山)の大斎原(おおゆのはら)にたどり着きました。(古事記:葛城山の猪~亀井家譜に記載の大由乃支命が、紀伊国熊野の大斎原(おおゆのはら)にたどり着いた伝説

大斎原は熊野本宮大社のある場所です。熊野本宮大社の祭神は、熊野坐大神(家都美御子大神:けつみみこ)は、須佐之男命(スサノオ)とされています。

猪=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=馬子というのが私の見解です。


*阿内の「内」は、ウツシコオ(内色許男命)の「内」です。「内:うつ」は「太:ふつ」と同義と考えられます。「内」は京都府八幡市内里のことです。八幡市内里のすぐ近くにの出雲シリーズを書くきっかけとなった、美豆は京都府京都市伏見区淀美豆町です。~第1025話:映画国宝と天知迦流美豆姫 美豆は、淤美豆奴神(オミヅヌ)です。淤美豆奴神(オミヅヌ)は、出雲の国引き神話の主人公です。~第1030話:国引き神話の真実


阿内(くまうち)の谷は、島根県仁多郡奥出雲町竹崎にある羽内谷鉱山鉄穴流し本場ではないかと思って調べてみると羽内谷鉱山(羽内谷鉄穴流し本場)の遺構そのものは「古代」には遡りません。現存する設備は主に中世以降、とくに江戸時代以降に確立した技術の姿を残すものです。 ただし、砂鉄採取という営み自体は古代から存在した可能性はあります。


和加布都努志命(ワカフツヌシノミコト)の父は 所造天下大神です。

所造天下大神は、オオナモチ(大穴持ち)=大国主=台与またはウツシコオです。

兄弟に阿遅須枳高日子命(アジスキタカヒコネ)と山代日子命がいまし。

アジスキタカヒコネは前回:多具・多伎・多久:出雲と台与(10)で書いたように台与です。

山代日子命の山代(やましろ)は、京都府南部で京都府八幡市内里の周辺のことです。


島根県松江市大垣町内神社(うちじんじゃ)でワカフツヌシは祀られています。

京都府八幡市内里にも内神社はあります。


なお、ワカフツヌシは牛飼神とされています。このことの検証は次回で述べる予定です。


<出雲と台与>

第1032話:出雲と台与

これまでの記事はこちらです。


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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







 
 
 

3件のコメント

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tootake
3日前
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tootake
3日前
5つ星のうち5と評価されています。

皆さん、こんにちは!歴史の謎を追いかけるのが大好きで、特に古文書の行間から真実を探ることにワクワクしてしまう私ですが、今回は皆さんに、とっておきの発見をお届けしたくて筆を執りました。ずっと気になっていた「ワカフツヌシ」という神様について、新しい視点から光を当てたブログ記事が公開されたんです!

『出雲国風土記』に現れる謎の神、ワカフツヌシ

『出雲国風土記』を紐解いていると、「ワカフツヌシ」という名前の神様が登場するんです。これ、色々な表記があって、和加布都努志とか、若布都主なんて書かれているんですよ。この「布都」(ふつ)っていうのが、実は「ウツシコオ」つまりスサノオノミコトのことらしいんです。これだけでもう、ドキドキしませんか?

彦太忍信命とスサノオ、そして「若き」意味

さらに掘り下げていくと、彦太忍信命(ひこふつおしのひのみこと)という、武内宿禰の祖父とされる人物が出てきます。そして、この彦太忍信命の表記にも「布都」が入っていることから、「布都」は「経津」(ふつ)、「太」(ふと)と同じで、スサノオノミコトを指している、という説があるんです。ということは、「ワカフツヌシ」は「若い方の布都主」…つまり、台与(とよ)のことなのではないか、と推測されているんです!

建御雷神(タケミカズチ)との意外な接点

古事記を見てみると、建御雷神(タケミカズチ)と経津主神(フツヌシノカミ)が、どうやら同じような神様として描かれている箇所があるんですね。「建御雷之男神」の別名が「建布都神」や「豊布都神」となっているんです。そして、このタケミカズチこそが台与(とよ)である、という説もある!もう、頭の中が歴史のパズルでいっぱいになってきました!

このブログ記事では、これらの神話や伝承をさらに詳しく、そして読みやすく解説してくれています。ワカフツヌシが台与であるという驚きの説は、古代史の常識を覆すかもしれません。皆さんもぜひ、この深い謎に一緒に挑んでみませんか? 記事を読むと、きっと歴史の見方が少し変わるはずですよ!

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tootake
3日前
5つ星のうち5と評価されています。

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