久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛!
- tootake
- 10月7日
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更新日:10月8日
第828話
埼玉県には約100社以上の久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)が存在すると推定されています。江戸時代には北埼玉郡に15社、南埼玉郡に38社が確認されており、現在も元荒川流域を中心に多数点在しています。
埼玉県の東部を中心に、さいたま市岩槻区、越谷市、蓮田市、加須市、久喜市、白岡市、草加市、八潮市、鴻巣市、行田市などに広く分布してます。
元荒川流域に集中しており、氷川神社(荒川流域)や香取神社(古利根川流域)と並ぶ、地域的な神社分布帯を形成しています。祭神は、主に大国主命(大己貴命)です。
香取神社は古利根川の左岸、久伊豆神社は元荒川の流域で利根川への合流点まで、氷川神社は綾瀬川を境に西部地域の入間水系の流域に分布していることがわかります。
一方、岩槻は、縄文時代からの遺跡があり、埼玉県内でもかなり早くから人が住み、古くから栄えていました。
久伊豆神社の伊豆は、第674話:伊豆・出石・出雲で書いたように、伊豆(いず)・出石(いずし)・出雲(いずも)の地名の元になったいずとは、台与に由来すると思われます。
この辺りは、平安末期から鎌倉時代にかけて活動した武士団「野与党」「私市党」の勢力範囲と久伊豆神社の分布が一致しており、在地勢力の信仰が背景にあると考えられています。
関東の武士団については、
第764話:関東にある邪馬台国(1)~埼玉
第765話:関東の邪馬台国2~上殖葉皇子
第766話:関東の邪馬台国3~田井氏
で書いたように、上殖葉皇子、「多治比」との関連を指摘しました。
・「多治比」は丹比で大阪府の地名です。・大阪府の丹比は反正天皇の宮のあった所です。
野与党、私市党は、武蔵七党の一つです。私市党(騎西党)の私市は大阪府交野市の地名で、事記(神話)・日本書紀に出てくるアマ・アメ(天)はこの交野市私市(天野)が起源です。~第347話:推古天皇は架空の天皇~交野市私市 第587話:推古天皇(第33代)は台与!
私市は、台与の居住地であったと思われます。騎西党(きさい)というのは、私市(きさいち)の当て字です。
加須市の玉敷神社が「久伊豆大明神」と称されていたことから、総本社とみなされることもあります。玉敷神社の祭神は大己貴命です。大己貴命は台与であることは、何度もこのブログで述べてきました。~第798話:ヲナンジ・大穴持ち・大国主~桜井市
久伊豆神社は、元荒川を中心とする埼玉県の一部だけに見られる神社で、氷川神社と香取神社の中間地帯を形成しています。分布上からみると氷川・香取・久伊豆の三社は、はっきり帯状にあって、香取神社は古利根川の左岸、久伊豆神社は元荒川の流域で利根川への合流点まで、氷川神社は綾瀬川を境に西部地域の入間水系の流域に分布していることがわかります。これらの神社は、過去に何度も水害があり、何度の河川修復の土木工事が行われたことを示しているのです。旧荒川(現在の隅田川)は、かつて荒川の本流でしたが、川幅が狭く堤防も低かったため、洪水被害が頻発していました。新荒川(荒川放水路)は、明治43年(1910年)の大洪水を契機に、東京の下町を水害から守るために造られた人工河川です。
・香取神宮のカトリは「楫取 = かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もあります。ウツシコオの幼名はヒコサチ(ヒコユキ)でもともとは熊野水軍です。船の操作にも長けていたほずです。参照:ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草
・氷川神社の祭神は、素戔嗚(スサノオ)ですので、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。
・荒川もヤマタノオロチであったということです。~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
荒川、多摩川、利根川の河川工事には多数の土木工事人を必要とします。
この土工事人については、第824話:穴太寺と穴太衆=土蜘蛛:台与の配下の土蜘蛛であるとしました。
関東の武士団:武蔵七党は、多摩川、利根川の河川工事を行った台与直属の土木工事人=土蜘蛛の末裔だと私は推理します。
前回の第827話:石神井公園と豊嶋氏で書いた豊嶋氏もそういった土蜘蛛のリーダーだったのでしょう。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

・埼玉県さいたま市~荒川 他9社
久伊豆神社 (さいたま市) – さいたま市岩槻区宮町 : 岩槻総鎮守、旧県社
伊豆神社 (さいたま市岩槻区加倉) – さいたま市岩槻区加倉
・埼玉県鴻巣市~荒川
久伊豆神社 (鴻巣市屈巣) – 鴻巣市屈巣
久伊豆神社 (鴻巣市北根) – 鴻巣市北根
・埼玉県熊谷市~利根川
赤城久伊豆神社 – 熊谷市石原
上之村神社 – 熊谷市上之 : 旧名 久伊豆神社 (明治2年に改称)
・埼玉県行田市~利根川、荒川 他7社
久伊豆神社 (行田市小見) – 行田市小見
大宮神社 (行田市) – 行田市持田 : 旧名 久伊豆神社 (明治以降に改称)
・埼玉県蓮田市~荒川 利根川 他6社
久伊豆神社 (蓮田市閏戸) – 蓮田市閏戸
久伊豆神社 (蓮田市黒浜) – 蓮田市黒浜
・埼玉県加須市~利根川
久伊豆神社 (加須市外田ケ谷) – 加須市外田ケ谷
・埼玉県越谷市~古利根川 他9社
久伊豆神社 (越谷市) – 越谷市越ヶ谷 : 越谷総鎮守、旧郷社
久伊豆神社 (越谷市川柳町) – 越谷市川柳町
・埼玉県久喜市~利根川 他7社
久伊豆神社 (久喜市江面) – 久喜市江面
久伊豆神社 (久喜市菖蒲町台) – 久喜市菖蒲町台
・埼玉県白岡市~荒川、利根川
久伊豆神社 (白岡市実ケ谷) – 白岡市実ケ谷
久伊豆神社 (白岡市野牛) – 白岡市野牛
久伊豆神社 (白岡市篠津) – 白岡市篠津
・埼玉県草加市~荒川、中川
久伊豆神社 (草加市) – 草加市青柳
・埼玉県八潮市~中川
久伊豆神社 (八潮市大字鶴ケ曽根1821) – 八潮市大字鶴ケ曽根1821
久伊豆神社 (八潮市大字鶴ケ曽根1941) – 八潮市大字鶴ケ曽根1941



十禅師 - Wikipedia
石上神宮 - Wikipedia
<台与シリーズ>
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