磐余玉穂宮:継体天皇
- tootake
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更新日:1 日前
第1120話
枚方市に片鉾という地名があります。
片鉾は、古代史にとって重要な地です。
第1118話:長岡京と樟葉の宮でも書いたように、日本で最初に行われた郊祀は、桓武天皇が延暦四年に河内国交野郡の柏原にて郊祀が行われたものとされています。
大阪府枚方市片鉾本町に片鉾郊祀壇跡伝承地があります。
その具体的な場所は枚方市片鉾本町にある杉ヶ本神社だとされています。~第559話: 杉ヶ本神社~郊祀とポケモン
このブログでは、継体天皇、神武天皇など古代の歴代天皇は台与だとしています。
神武天皇は橿原(かしはら)の地で、即位したといいます。橿原とは枚方の柏原(かしはら)のことだと思います。枚方市にかつて「柏原(かしはら)」という地名が記録として残っており、枚方市史や古地図、地名辞典・国土地理院の地名情報などで確認できます。←AIで確認しました。
片鉾の「鉾」は、古代の日本においては、 武器、 祭祀具、 権威の象徴(威儀・儀仗)
という三層構造をもつ存在でした。
古事記の天沼矛(あまのぬぼこ):国生み神話の中心的神具。
日本書紀の比々羅木(ひひらぎ)の八尋矛:呪術的な象徴武具。
京都祇園祭の山鉾も、鉾を立てた山車が起源で、 「鉾=神の依代(よりしろ)」としてされています。
では片鉾の「片」とは何でしょう。
継体天皇の宮については、樟葉宮、弟国宮(おとくにのみや)、そして前回:筒城宮と水尾神社と上御殿遺跡で書いた筒城宮で、最後に作った宮が磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)とされています。
「磐余(いわれ)」という地名は、日本書紀の神武東征の物語にも登場しています。磐余はもともとは「片居」あるいは「片立」と呼ばれていた土地に、多くの軍が集まり満ちあふれたことから、「磐余」と名づけられたと記されています。
初代・神武天皇の和風諡号に「神日本磐余彦天皇」とあることからも、この地がヤマト王権にとって特別な意味をもっていたことが分かります。
片鉾の「片」は「片居」あるいは「片立」の「片」ではないでしょうか。
「磐余(いわれ)」という地は、古代ヤマト王権の根拠地として、履中天皇の磐余稚桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、神功皇后の磐余若桜宮、用明天皇の磐余池辺雙槻宮などの諸宮があったと伝えられています。
また、履中天皇の条には、「磐余池を作る」と記されています。現在、池は存在しませんが、池之内(桜井市)、池尻町(橿原市)など池に由来する地名が残されており、近年の発掘調査では、この地域に池があったのではと推定される遺構が出土しています。
この池は、万葉集の大津皇子の辞世の歌をはじめ、平安時代の「枕草子」や「拾遺集」などにも取り上げられていることからかなりの長い期間にわたって存在していたとされています。
第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺では、明尾寺(大阪府枚方市山田池南町)は、用明天皇の宮:池辺宮(磐余池辺雙槻宮)の跡地であると思われます。
応神天皇は、「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とありますが、その池は場所は不明なままです。
これらの池も、枚方市にある山田池、中宮大池、今池のことではないかと勝手に思っています。
この周辺には、前述の杉ヶ本神社以外にも第490話: 日置氏と製鉄と台与(豊)~枚方市招堤などで書いた日置(ひおき)天神社(枚方市招提南町)、そして「鉾」の付く甲鉾神社(枚方市甲斐田町)などがあります。甲鉾神社(枚方市甲斐田町)の「甲斐田」は「甲斐国」と深い関係があります。甲鉾神社は、元の境内が2千坪の広大なものであった事が分かっています。~第757話:甲斐国と甲斐田(枚方) 第1014話:甲斐国と邪馬台国
継体天皇の磐余玉穂宮があったとされる、奈良県桜井市池ノ内には、宮跡などの遺跡は、発見されていません。樟葉宮、弟国宮(おとくにのみや)、筒城宮でも宮跡の形跡すらありません。学者たちは継体天皇は実在した可能性は高いと思っていますが、継体天皇が実在したという証拠は何一つありません。よくよく継体天皇の資料を読んでみると、継体天皇と思しき人物は存在したとあるのみです。立命館大学名誉教授は「ほとんど詳細不明だった磐井の乱を具体的に叙述するために、芸文類聚(げいもんるいじゅう)によって日本書紀の編纂者が作文したとみるのが、むしろいいのではないかと思います。」と述べられておられます。
「継体大王とその時代」枚方市文化財研究調査会編集 P292
桜井市池ノ内の集落に連なる小高い丘の上に、ひっそりと鎮座しているのが稚櫻(わかさくら)神社が鎮座しています。この神社は、平安時代中期に編纂された延喜式神名帳に記された由緒ある古社です。祭神は出雲色男命です。出雲色男命は伊香色雄命(いかがしこおのみこと)と同一人物です。伊加賀(いかが)は枚方市の地名です。~第7話:伊香色雄命(イカガシコオ)~枚方市伊加賀
出雲色男命=伊香色雄命=台与です。後述予定→出雲色男命と伊香色雄命
櫻神社の「櫻」は、桜井市の地名の由来とする説もあります。
「桜」は台与のキーワードです。←後述予定
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<蛇足の追記>用明天皇
新唐書の東夷伝には、次のように書かれています。
其王姓阿每氏,自言初主號天御中主 次用明,亦曰目多利思比孤,
つまり、用明天皇は、アメノタラシヒコ=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)となりますが、このブログで書いてきたことを総合するとアメノタラシヒコは、台与とウツシコオのコンビということになります。~第919話:東夷伝と用明天皇
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>



九頭神廃寺史跡公園 - 枚方市 - LocalWiki
久須婆(クス゛ハ)
クマノクスビ(熊野久須毘、熊野櫲樟
神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。「クマノ」は熊野のことであり、出雲の熊野大社(島根県松江市)のこととも、紀伊の熊野三山のことともされる。熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。
熊野三山の一つの熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の祭神・熊野夫須美大神は伊弉冉尊のこととされるが、これもクマノクスビのことであるとする説がある[1]。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与