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邪馬台国 第1120話~第1180話

tootake
9月17日
読了時間: 4分

更新日:9月17日

邪馬台国は、北摂=三島(御島)=枚方、交野、高槻、宇治であるという仮説をたて邪馬台国を探るプログです。


日本各地の地名をたどっていくと、そこから見えてきたのは、卑弥呼が亡くなったのち、

スサノオ、台与(豊)が日本各地で生き生きと活動する姿でした。


素戔嗚(スサノオ)、とよ(台与:豊)は日本各地の暴れ川(洪水)を起こす川の改修工事を行い稲作を促進していくとともに仏教の布教にも関わっていたのです。


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18件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
6時間前
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天五十楯天香語山命(あめのいたて あめのかごやまのみこと)は、系図資料の中で見られる非常に興味深い名称です。

この名前は、

  • 天五十楯命(天五多底命・天五田根命)

  • 天香語山命

という本来は別系統で伝えられる神名が結合した形と考えられています。 [jinja.nagoya], [jinjafan.jp], [ja.wikipedia.org]

通常の系譜では、

  • 天火明命(饒速日命) ↓

  • 天香語山命 ↓

  • 天村雲命(別名:天五多底命・天五田根命)

となります。 [kotobank.jp], [jinjafan.jp], [ja.wikipedia.org]

ところが海部氏系図やその注記では、

  • 天村雲命

  • 天香語山命

  • 天五十楯命

が同一人物の異名であるかのように扱われる箇所があり、その結果として

「天五十楯天香語山命」

という複合名が現れます。 [jinja.nagoya]

つまり研究上は、

「天五十楯天香語山命」は独立した別神というより、 天香語山命と天村雲命(天五十楯命)を習合・同一視した名称

として理解されることが多いです。 [jinja.nagoya], [jinjafan.jp]

ひろえさんの関心に引き寄せると、この問題は単なる神名の違いではなく、

  • 尾張氏系統

  • 海部氏系統

  • 度会氏系統

の祖先伝承が後世に整理される過程で、

父(天香語山命)と子(天村雲命)が一部の系図で融合してしまった可能性

を示す事例として見ることができます。 [jinja.nagoya], [ja.wikipedia.org]

実際、海部氏系図では天村雲命と天香語山命の関係が必ずしも一貫しておらず、親子・兄弟・別名が混在するため、古代氏族の祖先伝承を再編した痕跡として注目されています。 [jinja.nagoya]

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
6時間前
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一般的な神名解釈とは別に、「五十楯(イタテ)」と「五十迹手(イトテ)」は実は同根ではないかというものですね。

ご提示の記事では、

  • 五十猛(イタケル)

  • 伊都都比古(イツツヒコ)

  • 五十迹手(イトテ)

  • 五十楯(イタテ)

を、「五十(イツ・イソ・イト)」という共通要素をもつ一連の名称として捉えています。 [hidemaru3375.com]

ただし、史料的には区別が必要です。

『先代旧事本紀』などでは天村雲命の別名は「天五多底(アメノイタテ)」として伝わっています。 [jinja.nagoya], [jinjafan.jp]

一方、

五十迹手(イトテ)は『日本書紀』仲哀紀・神功皇后紀に登場する伊都県主の祖です。 ご提示の記事でもその人物として説明されています。 [hidemaru3375.com]

したがって、現在確認できる文献上では、

  • 五十楯 = イタテ

  • 五十迹手 = イトテ

として別々に伝えられています。

しかし、ひろえさんの着眼点には興味深い部分があります。

古代語では、

  • 五十 → イ・イツ・イソ・イト

  • 楯 → タテ

  • 迹手 → トテ・イトテ

のような音韻の揺れがあり得ます。

また、ご指摘のように関門海峡周辺の

  • イツツヒコ

  • 五十迹手

  • 五十猛

を同じ伝承群として見るなら、

「イタテ」と「イトテ」が同じ原型人物から分化した可能性

という仮説自体は立てられます。 [hidemaru3375.com]

ただし現段階では、それを直接示す古代史料は見当たりません。

私の見るところ、ひろえさんの仮説の強みは、

五十猛 → 五十迹手 → 五十楯 → イツツヒコ

を単なる音の類似でなく、下関・彦島・糸島・伊都国という海上交通ネットワークの中で結び付けようとしている点です。 [hidemaru3375.com]

一方で弱点は、

「五十楯=イタテ」と読む史料はあるが、 「五十楯=イトテ」と読む史料が確認できない

ことです。

そのため学術的に言えば、

  • 文献上の読みは「イタテ」

  • 仮説としては「イトテ(五十迹手)との同一系統を疑う余地がある」

という整理になるでしょう。

編集済み
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
6時間前
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天村雲命(あめのむらくものみこと)には、文献や伝承によっていくつかの別名があります。

主な別名は次のとおりです。

特に『先代旧事本紀』系統の伝承では、天五多底命(天五田根命) がよく知られています。 [jinja.nagoya], [weblio.jp]

また、伊勢の度会氏の伝承では、天村雲命が高天原と地上を往復して「天津水」をもたらした功績により、天二上命・後小橋命の名を与えられたとされています。 [jinjafan.jp]

古代史研究の観点では、天村雲命は

  • 尾張氏・海部氏系譜の祖神

  • 度会氏(伊勢神宮外宮神主家)の祖神

  • 饒速日命系統の神

として位置づけられることが多く、そのため系譜ごとに異名が増えたと考えられます。 [jinja.nagoya], [kotobank.jp], [jinjafan.jp]

ひろえさんの研究テーマに近いところでは、「天五多底(イタテ)」という名が地名・氏族名にどう残ったかを追うと、天村雲命伝承の広がりを考える上で興味深い材料になるかもしれません。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
7時間前
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「神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。」この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られています。三種の神器の一つは草薙剣ですが、天叢雲剣(天のむらくも)とも言います。そして天香語山の子が天村雲(人名:天のむらくも)というのです。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
8時間前
5つ星のうち5と評価されています。

オトヨ(乎止与命・小止与命・小豊命)は、尾張氏の系譜上では非常に重要な人物ですが、実は史料上の実在性はかなり不明瞭です。

確認できる内容を整理すると、次のようになります。

1. オトヨは記紀には登場しない

まず重要なのは、

  • 『古事記』

  • 『日本書紀』

にはオトヨの名は見えません。 [jinja.nagoya]

記紀で語られるのは主に

  • 宮簀媛(ミヤズヒメ)

  • 日本武尊(ヤマトタケル)

であり、父親であるオトヨについては触れられていません。 [jinja.nagoya], [jinja.nagoya]

このためオトヨの存在は、

  • 『先代旧事本紀』

  • 『新撰姓氏録』

  • 尾張氏系図

  • 熱田神宮関係伝承

に大きく依存しています。 [jinja.nagoya], [shinto.miraheze.org]

2. 尾張国造とされる

『先代旧事本紀』国造本紀では、

成務朝に天火明命十世孫の小止与命を尾張国造に任じた

と記されています。 [jinja.nagoya], [shinto.miraheze.org]

つまり後世の尾張氏は、

天火明命→天香語山命→…→オトヨ

という系譜を構築し、その中でオトヨを尾張国造の祖先として位置付けています。 [jinja.nagoya]

3. ミヤズヒメの父

もっとも有名なのは、

オトヨは宮簀媛の父

という伝承です。 [jmediawiki.org], [jinja.nagoya], [jinja.nagoya]

また、

  • 息子が建稲種命

  • 娘が宮簀媛命

とされます。 [jinja.nagoya], [jinja.nagoya]

建稲種命は尾張氏の祖として非常に重視され、ヤマトタケル東征に従軍したという伝承があります。 [jinja.nagoya]

4. 父親が誰なのか分からない

興味深い点として、オトヨ自身の父系が不安定です。

系図によって

  • 淡夜別命の子

  • 小縫命の子

  • 建多乎利命の子

など異伝があります。 [jinja.nagoya], [shinto.miraheze.org]

これは、

オトヨという人物が実在したかどうか以前に、その系譜自体が後代に整理された可能性

を示しています。

5. 研究上の見方

歴史学的には、

オトヨは神武・崇神・景行期の人物というより、

尾張氏が自らの権威を説明するために作り上げた系譜上の結節点

として見る研究者もいます。

なぜなら、

  • 記紀に出てこない

  • 系図が一定しない

  • 国造本紀と天孫本紀で世代数が揺れる

  • ミヤズヒメとの関係が史料によって曖昧

だからです。 [jinja.nagoya]

あなたが引用された系譜との関係

ご指摘の

アメノホアカリ → 天香語山 → … → オトヨ

という理解は、『先代旧事本紀』天孫本紀の系譜そのものです。 [jinja.nagoya]

その系譜では確かに

オトヨは天火明命(アメノホアカリ)の十二世孫

となります。 [jinja.nagoya]

ただし、この部分は『先代旧事本紀』に依拠する系譜構成であり、記紀によって裏付けられているわけではありません。

むしろ史料批判的に見ると、オトヨは

  • 天火明系尾張氏

  • ヤマトタケル伝承

  • 熱田神宮創建伝承

を連結するために置かれた人物である可能性があります。

その意味でオトヨ自身よりも、

なぜ尾張氏がオトヨを必要としたのか

を考える方が歴史的には面白いかもしれません。オトヨは「尾張氏の政治的正統性」と「ヤマト王権との姻戚関係」を結びつける鍵人物として機能しているように見えるからです。

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