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建日別・白日別は台与

  • tootake
  • 6月12日
  • 読了時間: 5分

更新日:6月13日

第711話 #熊曾(クマソ) #隼人(ハヤト) #邪馬台国


前回の第710話:ワケ王朝は、のれん分けで、白日別と建日別も台与です。詳細は後述予定と書きましたので、今回は、白日別と建日別についてです。


建日別(たけひわけ)は、伊耶那岐神(イザナギ)・伊耶那美神(イザナミ)が生んだ大八島国の第四の島です。筑紫島(九州)は、面が四つあり、その四つのうち、筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい、熊曾国を建日別といいます。


建日別にあたる熊曾国(クマソ)は、南九州に位置する地と考えられていますが、筑紫島の他の3カ国(筑紫、豊国、肥国)のように七世紀末以降は、熊曾国に対応する国名が見られません。古事記、日本書紀には、景行天皇の時代をはじめとして、クマソの反乱や征討の記事が見えますが、クマソという土地あるいは部族の歴史的な実態については不明な点が多くあります。


古事記では、クマソの語は一貫して地名として用いられている一方、日本書紀では「熊襲」と書き、土地を指していたり部族を指していたりと用法の混乱が見られ、その実体のはっきりしないことが指摘されています。また、九州諸国の風土記には「球磨噌唹」などとあって、クマとソ(「噌唹」の二字でソと読む)との二地名を表しており、ここでは、クマソを国とはせず、肥後国の球磨郡と大隅国の贈於郡とに対応する土地として認識されていたと考えられます。日本書紀では、クマソの住む国を「襲国」と称し、また「熊県」という地名も見えるが、クマソを国名とした例は見えず、これを一つの国として扱うのは、古事記独自の扱いと考えられます。


また、古事記;国生みの筑紫島の4カ国に、実態の不明確な熊曾国が含まれながら、天孫降臨が果たされた聖地であるはずの日向国*が無いことに疑問が持たれており、熊曾国の特殊性や日向国との関係について議論されています。皇室の国土支配の本源を語る国生み神話が、支配確立の起点と認識された景行天皇朝を志向して書かれているため、倭建命の伝承をはじめとする、その時代の熊曾平定の歴史を意識したことに基づいているとする説などがあります。*日向は大阪府守口市


建日別の「別:ワケ」については、前号の第710話:ワケ王朝は、のれん分けで台与のこととしました。


第428話:阿蘇都媛は台与 で書いたように、阿蘇と台与は関係があるようにも思えます。阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)は健磐龍命と同一人物とする説があり、第451話:磐衝別命と健磐龍命 では、健磐龍命は台与としています。建日別=阿蘇都彦命=健磐龍命=台与ということです。


また、南九州に居住していたとされる熊襲(クマソ)は、隼人と呼ばれた人々と同じとする説、熊襲の後裔を隼人とする説もあります。


隼人については、第307話:大隅隼人は京都府京田辺市 で書いたように、大隅隼人は、後世、大隅郡(大隅半島北部、特に大隅郷(現在の志布志市から曽於市大隅町)と呼ばれる地域に居住した隼人です。しかし、大隅(おおすみ)は、元々は近畿しかも、私が邪馬台国とする地域にある地名です。


熊曾国(クマソ)=大隅郡=大住ということです。大住(おおすみ)は、京都府京田辺市です。中世には「隼人荘」と呼ばれていました。京田辺市は、枚方市の楠葉、宇治市、男山市に近く、ウツシコオ(内色許男命)の内里です。かつてあった巨椋池の隣接地です。邪馬台国の時代にはこの辺りは、内(うち)=宇治(うじ)=菟道とされていた地域です。山城国(京都府)南部は、反逆者とされる武埴安彦命(タケハニヤス)の拠点地です。邪馬台国は巨椋池  


白日別についても建日別の熊曾国が筑紫国に代わっただけです。白日別も台与でしょう。

豊日別の豊国は福岡県東部および大分県、肥国は熊本, 佐賀, 長崎です。

日別も建日向日久士比泥別(たけ・ひむか・ひ・とよ・くじ・ひねわけ)もがついているので台与でしょう。


建日向日久士比泥別の名は、「建」*は勇猛の意、「日向*」は「日向ひ」で太陽に向かう、「久士比」は「奇し霊」、「泥」は親愛の意の接尾語と取って、神名を、勇ましく太陽に向かい豊かに霊異あるものの意とされています。

*「建」は建御雷神=台与のことです。~タケミカヅチは台与!!


<九州についてこれまでに書いた記事>




※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

 

   



阿蘇都媛=台与のイメージ gamebiz.jp

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tootake
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