大神神社を探る(14)~貴船神社
- tootake
- 4月13日
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更新日:4月13日
第651話 #君が代と台与 #磐長姫命 #君が代
貴船神社(きぶねじんじゃ)は大神神社の拝殿の半径200mより外側にある末社です。
祭神は淤加美神(龗神:オカミノカミ)です。淤加美神(龗神)は、水の神であると同時に朱(水銀)などの鉱物資源の神であることはすでに述べました。
~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)
私が20年くらい住んでいた枚方市の樟葉には継体天皇が即位した地とされる場所に交野天神社があり、境内には貴船神社があり、磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀っています。磐長姫命は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姉姫とされています。磐長姫命=高龗神ということです。磐長姫命は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姉姫とされています。~石長比売は美人だった!~貴船神社
古事記では石長比売、日本書紀・先代旧事本紀では磐長姫と表記されています。
そして磐長姫命は他に苔牟須売神(こけむす姫)とも称されています。
長寿を祝う日本の国歌である「君が代」は、「苔のむすまで」という歌詞で締めくくられており、この歌詞は磐長姫命をモチーフにしているのではという説もあります。
福岡市志賀島にある志賀海神社では、山誉め祭の神楽歌として次の歌が歌われます。
「君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸に命 千歳という
花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや、志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君*のめし給う 御船になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良(いそら)が崎に 鯛釣るおきな」
日本 国歌である君が代に酷似しています。歌が旅芸人によって広められ、古今和歌集に収められ、のちに薩摩琵琶の「蓬莱山」にある「君が代」になり国歌になったことが香椎宮に所蔵されていた筑紫の神楽記録から判明しています。~君が代(1)~志賀海神社
「君が代」は、元々は「我が君は」だったようで、古今和歌集に題知らず読み人知らずとして納められています。和漢朗詠集でも、古い写本は「我が君」となっています。「我が君」という特定の人物を指し示す直接的な表現が、「君が代」という、特定の人物に限定しないような、間接的な表現に置き換わったのは、この歌が、一般庶民の世界に入り込み、「君」は身近な存在としての年長者や有力者を意味するようになったということですが、それと同時に、「君」が実は「天皇」を指すのだという説が一部の学者・思想家によって主張されています。君が代は「我が大君の天の下知しめす」と天皇賛美の歌として、江戸時代前期において、「君」は天皇であるとして、「天皇の御世を長かれと祝賀する歌である」という解釈が存在したことは確実です。~君が代(2):君はウツシコオ
君が代については、第364話:君が代(1)~志賀海神社、第365話:君が代(2):君はウツシコオで君が代の「君」はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)としています。しかし、君が代の「君」が「天皇」を指すのであれば、13歳でヤマト(邪馬台国)の大王(天皇)に即位した台与が「君」ということで、君が代は、台与のことを称えた歌だったのです。
淤加美神(龗神)=磐長姫命=台与でしょう。磐(岩)台与のキーワードです。磐(岩)は台与のキーワードです。
~第640話:大神神社を探る(3)~磐座神社、第451話:磐衝別命と健磐龍命
関連項目:第205話:石長比売は美人だった!~貴船神社
:第138話:木花之佐久夜毘賣(この花咲くや姫)
:第139話:この花咲くや姫2~大山祇は開化天皇
*安曇の君~ *スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)・台与は安曇氏です。彦狭知の物語(3)~安曇氏
<大神神社シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語
出雲国造神賀詞には、「大穴持の和魂を大物主櫛甕玉(くしみかたま)と称して大御和(三輪)に阿遅須伎高孫根(高日子根:タカヒコネ)を葛木の鴨の神に、事代主をうなてに賀夜奈流美(かやなるみ)命の御魂を飛鳥の神なびに坐せて、、、」をとあります。
奈良県橿原市に雲梯(うてな)〒634-0834とい地名があります。
中平銘大刀~卑弥呼の剣
この中平銘大刀を卑弥呼が貰った年代を仮に185年とし、仮にこの時、卑弥呼が20歳だったとすると、卑弥呼が亡くなった時の年齢は62歳となります。(247年に卑弥呼は死んでいます。)
スサノオ=ウツシコオ(内色許男命)は卑弥呼(ウツシコメ)の弟ですので、60歳くらいでしょう。このとき台与(豊)は13歳ですから、台与(豊)は、ウツシコオの子であるのか孫であるのか微妙です。~第72話:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!!