大神神社を探る(2)~狭井神社
- tootake
- 4月1日
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更新日:4月2日
第639話 #荒魂・和魂 #台与(豊)#邪馬台国
大神神社は、古事記・日本書紀が書かれる前から存在しています。大物主は台与(豊)であるという観点から、大神神社を検証することにしました。今回は狭井神社です。
狭井神社(さいじんじゃ)は、大神神社の少し離れた北側にあります。
祭神は大神荒魂神です。荒魂とは神の荒々しい側面、荒ぶる魂でのことです。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出しています。これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされています。
荒魂と和魂は、実は同一の神で強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられ別に祀られていたりすることもあります。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を執り行ってきました。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっています。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされています。
和魂はさらに幸魂(さきたま)、と奇魂(くしたま)に分けられます。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きです。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表します。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられます。
狭井神社は、病気平癒の神社とされています。御神体である三輪山への登拝口が境内にあります。三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ません。入山中は撮影・飲食は禁止です。
ところで、狭井神社の狭井(さい)ですが、第633話:観音菩薩と台与(6)~佐井寺
の佐井(さい)と通じます。
<サイ~狭井・佐井・佐韋(sai)→率(いさ:isa)→安威(あい:ai)>
・金屋子神社(島根県能義郡広瀬町西比田)より西方約40kmに石見銀山があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があり、この「佐毘売(さいひめ)」は、金屋子神の別名ではないかと言われています。佐毘売は、五十鈴(イスケヨリヒメ=台与)のことでしょう。
・佐韋河(さいがわ)の上に五十鈴の家があったと書かれています。佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされています。
・茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)の「あい」はai。サイはsaiで、aiに音が通じます。
今回の率川神社(いさがわじんじゃ)も大神神社の摂社ですが、 奈良県奈良市本子守町にあります。祭神は、媛蹈鞴五十鈴姫命・玉櫛姫命・狭井大神です。茨木市には五十鈴・玉櫛という地名が並んで存在することは何度もこのブログでは書いてきました。
率川(いさかわ)はisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。
・率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は奈良市本子守町にあります。祭神:事代主神*でしす。推古天皇元年、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命(五十鈴姫=台与)を祭神として奉斎したとされ、奈良市最古の神社といいます。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになりました。
・阿波(徳島県)は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)と関係の深い場所です。~鉱物資源と邪馬台国(9)天太玉命:水銀朱
・事代主は八咫烏です。八咫烏は彦狭知=ウツシコオ(内色許男命)です。~彦狭知(ヒコサチ)の物語4~八咫烏
<今回のまとめ>
・大神荒魂神も大物主の荒魂ということで実態は大物主=台与です。
・荒魂とは、崇神天皇(=台与)時代に大量に移住してきた異民族(渡来人)との接触による疫病によって多数の死者を出したことを表しているのです。
・狭井神社は三輪山に登る際の入り口になっており、神聖な場所なのです。
・佐井寺の佐井(さい)は鉄器のことで五十鈴姫の事でもあります。~五十鈴姫は鉄の神
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語