大阪と邪馬台国:大桐(だいどう)・豊里
- tootake
- 2025年3月15日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年3月15日
第622話
大桐(だいどう)は、大阪府大阪市東淀川区の地名です。旧地名は大道(だいどう)で、以前は、西成郡大道村、さらに乳牛牧荘大道村などとも呼ばれていました。
大阪市東淀川区の南東部に位置し、淀川と神崎川の分岐部に近く、両河川に挟まれた一帯の南東部です。東側が淀川で、北側に瑞光(ずいこう)、西側に大隅(おおすみ)と豊里(とよさと)と接しています。阪急京都本線の上新庄駅、大阪メトロ今里筋線のだいどう豊里駅または瑞光四丁目駅があります。
豊里や大隅は、いずれも台与(豊)に関係があるとわれる地名です。大隅=大住は貴人が住む場所ということはすでに書きました。~第307話:大隅隼人は京都府京田辺市
スミ(墨、住)は皇族が住んだ場所という意味です。例えば、京都府京丹後市大宮町久住は億計(オケ)・弘計(ヲケ)兄弟が住んだため皇住といわれそれが久住になったと言います。「神武天皇と卑弥呼の時代」佐藤洋太著p160
第512話:コワクビの断間~千林(大阪市旭区)では、大枝は太子(聖徳太子)ということを書きました。太子橋の対岸が豊里(〒533-0013 大阪府大阪市東淀川区)です。太子=聖徳太子=台与(豊)のことです。豊里町はかつて聖徳太子(豊里太子=台与・豊)が寺院を建てるためここで休息されたと伝えられています。
大桐にある大隅神社(おおすみじんしゃ:大阪市東淀川区)の祭神は、応神天皇、別雷大神、天児屋根命、市杵島姫神、伊邪那美神、天照皇大神、素盞鳴尊、大山咋神、豊受毘売、神菅原道真公、宇賀御魂神です。大隅島に応神天皇の離宮・大隅宮があり、天皇の崩御後、里人が祠を建て帝を奉祀し、後に淀川が氾濫した時に賀茂明神の御神体が漂着して合祀したとされています。応神天皇、別雷大神、市杵島姫神、豊受毘売(豊受大神)、宇賀御魂神は台与(豊)です。天児屋根命、素盞鳴尊、大山咋神はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。~hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇、阿曇磯良は天児屋根命、秦氏と大山咋神
この地には縄文時代から人が生活していることが分かっています。伊邪那美神が祭られているのは、縄文時代と関係しているからです。付近にある森小路遺跡は、約二千年前の弥生時代に中国から朝鮮半島を経由して入ってきた農耕文化により、人間は山地の狩猟から農耕の低地へと移り、潟から湖化の河内湖や 淀川に近く、水利のよい自然堤防上の森小路に人が住み始め、邑(邑:ムラ)ができたと考えられています。近くには、東淀川区の崇禅寺遺跡、隣接する守口市の八雲遺跡などもあります。東住吉区の桑津遺跡、平野区の瓜破遺跡、南河内の貴志遺跡からも農耕遺跡が出ています。P022-023.pdf
ところで大阪市旭区の旭とは、「日の出ずる東部」を意味するそうです。
日本の王から隋帝に宛てた国書にある「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々)
・日出處とは大阪市旭区のことでなないでしょうか。
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<蛇足の追記>
大阪市旭区には中宮という地名もあり、大宮八幡宮(大阪市旭区大宮)があります。
この大宮八幡宮の摂社である高良社からは、令和二年に国内最大の秀吉像木像が発見されています。東京都杉並区大宮の大宮八幡宮は、この大阪市旭区の大宮八幡宮を勧請したものです。
<大阪と邪馬台国>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
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