浅草と枚方:茨田堤:武蔵の人・強頸
- tootake
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第747話 #土師真中知 #邪馬台国 #台与
前回:茨田堤と「呉の勝」:茨田勝は、仁徳天皇=台与が茨田堤や堀江を築いたとしました。
日本書紀の仁徳天皇の項には、「茨田堤には、どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、工事が難渋した。このとき天皇は「武蔵の人強頸(こわくび)と河内の人の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)の二人を、河伯(川の神)に生贄として祭れば成功する」との夢を見た。そこで早速二人が探し出され、それぞれの箇所に1人ずつ人柱に立てられることとなった。コワクビは泣き悲しみながら入水していったが、コロモコはヒョウタンを河に投げ入れ、「自分を欲しければ、このヒョウタンを沈めて浮き上がらせるな。もしヒョウタンが沈まなかったら、その神は偽りの神だ」と叫んで、ヒョウタンを投げ入れた。もちろんヒョウタンは沈まず、この機知によってコロモコは死を免れた。結果として工事が成功した2か所は、それぞれコワクビの断間(こわくびのたえま)・コロモコの断間(ころもこのたえま)と呼ばれた。」とあります。前回:第746話の図参照
今回、検証するのは、武蔵の人:強頸です。なぜこんなところ(茨田:大阪府守口市)に武蔵(関東)の人物が登場するのでしょう。
武蔵国分寺の創建・再建期の礎石建物跡からは、多数の軒丸瓦・軒平瓦片が出土しており、そのうち数種類は瓦面に文字を刻んだ「文字瓦」が見つかっています。中でも「土師」と刻まれた文字瓦は、丸瓦(軒丸瓦)の平面中央に「土師」を篆書体で浮彫りとしたもので、瓦生産に関与した氏族名を示す珍しい例です。文字瓦には、豊島*郡白方郷・土師角麻呂、土師部小君の名が見えます。詳細な図版・解説は『武蔵国分寺跡出土瓦集成』(国分寺市遺跡調査会編, 2019)や、『武蔵国分寺跡出土文字資料集成:文字瓦』(国分寺市埋蔵文化財調査会編, 2020)に掲載されています。
推古天皇36年、隅田川河口で漁をしていた兄弟漁師・桧前浜成命・桧前竹成命が網に魚ではなく人形の像(聖観世音像)を釣り上げます。兄弟がその不思議を「物知り」と呼ばれた土師真中知命に相談すると、聖観世音菩薩の仏体であると告げられます。
土師真中知命は剃髪して仏門に入り、自宅を寺院とし聖観世音像を安置。念仏と祈念によって大魚を得たとの伝承が浅草寺の創建となります。
土師氏は、土器・埴輪(はにわ)を作る工人を意味する「はにし」に由来します。
出雲・吉備をはじめ、古墳時代中頃から飛鳥時代にかけて約150年間、大和国を中心に全国各地の古墳造営や埴輪制作を担った氏族です。いわば土木工事のスペシャリストです。
ですから、武蔵の人強頸は土師氏で、武蔵の国の人ということから、土師真中知命ではないかと指摘しておられるのは、森浩一氏です。「記紀の考古学」P299
豊島郡白方郷は、東京の有名な観光地である浅草付近とする説が有力です。
そして白方は、神武天皇が東征してやって来て浪速から河内に上陸した地が白肩(白肩)なのです。白肩は大阪府の枚方(ひらかた)です。
土師氏は、後世、藤原氏や菅原氏などに改姓した流れも菅原道真、野見宿祢も土師氏です。
土師氏の始祖は「天之日矛命(あめのひぼこのみこと)」とも伝えられています。
天之日矛命はウツシコオです。~第329話:アメノヒボコはウツシコオ~投馬国
第506話:野見宿禰と当麻蹴速は同一人物では野見宿禰と当麻蹴速は同一人物としています。
当麻蹴速の「当麻:たいま」は、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、(茨田堤の)工事(が難渋した。」それが、コワクビの断間(大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市太間)なのですが、この寝屋川市太間は、「太間(たいま)」と読み、「当麻:たいま」と思われるのです。ちなみに奈良県葛城市にある當麻寺(たいまでら)の縁起は、元は河内の交野郡山田郷に建てた万宝宝蔵院に始まるとし、その後、681年(天武10年)に麻呂子の孫にあたる當麻国見(たいまのくにみ)が大和国・當麻の地に移し、この地方の豪族:當麻氏*の氏寺として整備したと伝えています。當麻寺にも中将姫に関わる伝説も残されており、この明尾寺の縁起と相通ずる部分が多く、古代にはこの2寺院は何らかの関わりがあったものと思われています。~第631話:観音菩薩と台与(4)~明尾寺
武蔵の人強頸(こわくび)と河内の人の茨田連衫子も同一人物でしょう。
前回:茨田堤と「呉の勝」:茨田勝では茨田連衫子は、「呉の勝」一族としました。
茨田連衫子=「呉の勝」が関東(武蔵)に行き、利根川、荒川、墨田川の治水を行い、また、仏教の促進をしたのでしょう。~第679話:伊豆美神社~東京都狛江市
浅草の浅草寺でも、川から拾ったとされる聖観世音像を祀っています。これは、善光寺が浪速の堀江で拾った阿弥陀如来像を祀っているのと同じです。
~第683話:善光寺~本田善光は台与
浅草寺も浅草神社(東京都台東区浅草)の神宮氏でしょう。浅草神社(通称:三社様)の主祭神は、真中知命と兄弟二神(兄弟漁師・桧前浜成命・桧前竹成命)です。
真中知命と兄弟二神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と台与です。
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<蛇足の追記>
*豊島郡~豊の地名がつくこれまでの記事
「豊」の付く地名は、台与(豊)と関係しています
・豊島区~鬼子母神は台与?~東京都豊島区
・豊郷(滋賀県)~阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食
・豊里(大阪市東淀川区)~枝神社:“たいし”は太子=台与
・豊川(大阪府茨木市)~川端康成~茨木市の春日神社
・豊島(武蔵国豊島郡芝崎村:東京都千代田区外神田)~神田明神は台与?
・豊浦~豊浦~豊浦宮・豊浦大臣
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
クチコミ : 浅草ロック座 - 台東区浅草/劇場 | Yahoo!マップ

<台与シリーズ>
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饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
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継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
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