第542話 #大枝神社 #大江神社 #邪馬台国 #台与(豊)
第512話:コワクビの断間~千林(大阪市旭区)で、大枝は「おおえだ」ですが「たいし」とも読めます。そう思って地図をよく見ると淀川べりに太子橋という地名があり、対岸は豊里(〒533-0013 大阪府大阪市東淀川区)です。と書きました。つまり大枝は、太子=聖徳太子=台与(豊)のことではないかと思うようになりました。
京都市西京区の大原野に近くに大枝(おおえ)という地名があります。京都市左京区の北部は、昔は丹波に属しており、古代には、京都盆地の北部は、ほとんど丹波と呼ばれていました。~第19話:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲
かつての山背國というのは、巨椋池が中心だったと思います。秦氏が開発したというのが定説です。鴨一族が入り込んで山背を平定したという話になっていることが多いのですが、加茂族=秦氏です。~第200話:松尾大社~秦氏はカモ族
この巨椋池が邪馬台国だというのが私の説です。~第284話:邪馬台国は巨椋池
第460話: 酒吞童子と茨木童子で書いたように、酒呑童子が住んでいたという大江山だとされていますが、京都市西京区の大枝(おおえ)が正解でしょう。酒吞童子は陸耳御笠(クガミミ)です。陸耳御笠のクガは以前にも書いたように京都府伏見区久我〒612-8494です。京阪電車の丹波橋の近くです。~第458話:玖賀耳之御笠(クガミミ)
大江(おおえ)は大枝(おおえ)に同じです。
余談ですが、桓武天皇は天智天皇の孫の白壁王 (光仁天皇)と新笠女の子供, 山部王として誕生する。 母親の新笠女は百済帰化人で平城京の下級官人の和史乙継と土師宿禰真妹の娘として生まれています。 この真妹は大枝に住む土師氏の出です。 桓武天皇も母親の出身地である乙訓郡(京都府)の大枝辺りで育ったのではないかとされています。
京都市西京区大枝沓掛町に大枝神社があります。延喜式には神社の名前として、乙訓郡大井神社と記載されています。現在の氏神は高美計(たかみけ)神ですが、この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれています。聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから千児(ちご)明神とも称していました。余談ですが、ここの大枝には桓武天皇の生母である高野新笠(たかのにいがさ)の大枝陵があります。
これらのことにより、大枝=おおえだ=たいし=聖徳太子=台与と思われます。
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町に大江神社(おおえじんじゃ)があります。主祭神は豊受大神(=台与)です。~hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
大江神社は四天王寺(天王寺)の鎮守社である四天王寺七宮のひとつとして聖徳太子によって創建されとされています。大江(おおえ)は大枝(おおえ)に同じです。
四天王寺七宮は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群でです。いずれも現在の大阪府大阪市天王寺区に位置し、以下の七つの神社を指します。
大江神社(夕陽丘町)、上之宮神社(上之宮町) - 大江神社に合祀。
小儀神社(勝山1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺東門前。
久保神社(勝山2丁目)、土塔神社(大道1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺南門前。
河堀稲生神社(大道3丁目)、堀越神社(茶臼山町)
今回、大枝のことを書いたのは、前回の法隆寺を建てたのは不比等?!~斑鳩町で法隆寺は作り物のような気がします。法隆寺は、大阪の天王寺のように市民に親しまれているといった感じはなく、ひたすらに気高い雰囲気を漂わせます。
四天王寺も聖徳太子が建てたとされていますが、天王寺はんと呼ばれて気軽に立ち寄ることができます。~第478話: 天王寺の亀と酒船石
それはどういうことかというと、秦氏の関与が全く感じられないからです。
と書いたため、大阪の四天王寺と秦氏の関連を探してみたものの、資料がほとんどなかったのです。かろうじて上記の四天王寺七宮には秦氏の一族の関与がみられます。
天王寺区夕陽丘町の大枝神社には狛虎なるものがあります。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に滋賀県の某寺に持ち出されてしまったと言われており、
一方、残った阿形であるが大阪大空襲の際に焼夷弾を受けて損傷をしたものの、戦後もそのまままにされていた。そこに、阪神タイガースのファンから「狛虎を一対にしたら阪神タイガースは優勝するのでは」との話になり、吽形は2003年(平成15年)に新たに作られて奉納され、阿吽の狛虎が久しぶりにそろい、その同年、阪神タイガースは18年ぶりにセ・リーグ優勝してしまいます。これにより狛虎はマスコミに大きく取り上げられました。
現在でも、狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられています。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札があります。
このようなことから、大阪の天王寺はんと奈良の法隆寺が同じ聖徳太子の寺でありながら全く違う雰囲気を持つため、前回、私が。法隆寺は作り物のような気がします。法隆寺は、大阪の天王寺のように市民に親しまれているといった感じはなく、ひたすらに気高い雰囲気を漂わせます。と書いた意味が分かっていただけると思います。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
日本書紀にすでに「熊野神邑」という地名で登場していた新宮市。神武天皇の東征とほぼ同じころ、今から約2200年前には秦王朝の始皇帝の命により、不老不死の霊薬を求めて徐福が新宮に渡来した伝承もあります。中世のころには熊野三山の社務を統括する熊野別当がこの地に居所を構え、また平安時代から鎌倉時代にかけては上皇や貴族の間で熊野詣が盛んに行われこともあり、新宮は熊野速玉大社の門前町として大いに栄えました。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲し、平安時代には式内社(名神大社)に列せられてい
古来、修験道の修行の地とされた。延喜式神名帳には、熊野坐神社(熊野本宮大社)と熊野速玉大社とあるが、熊野那智大社の記載が無いのは、那智は神社ではなく修行場と見なされていたからと考えられている。3社が興ってくると、3社のそれぞれの神が3社共通の祭神とされるようになり、また神仏習合により、熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)または家都美御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来、新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)または速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)は千手観音とされた。熊野の3神は熊野三所権現と呼ばれ、主祭神以外も含めて熊野十二所権現ともいう。
毛の国
穀物の産地説
肥沃な地であったことに由来したとする説[3]。その様子を表した「御食(みけ)」が地名になったという[4]。また、「毛」が草木・五穀を意味したという説もある[5]。
「向王家(※富家)はその後、オウ郡八雲村に熊野大社を建てた。「クマ」とは神に供えるための米の古語で、それを栽培した野が、クマノだと言われる。
熊野十二所権現 社殿祭神 本地仏神像上四社三所権現両所権現
第一殿西宮(結宮)伊邪那美尊・熊野牟須美大神・事解之男神千手観音女形
第二殿中宮(早玉明神)伊邪那岐大神・速玉之男神薬師如来俗形証誠権現
第三殿丞相(家津王子)素戔嗚尊・家津美御子大神阿弥陀如来法形五所王子
第四殿若宮天照大神(若女一王子)十一面観音女形中四社
第五殿禅児宮天忍穂耳命地蔵菩薩法形(または俗形)
第六殿聖宮瓊々杵尊命龍樹菩薩法形
第七殿児宮彦火々出見尊如意輪観音法形
第八殿子守宮鸕鶿草葺不合命聖観音女形下四社四所明神
第九殿一万宮・十万宮軻遇突智命・文殊菩薩・普賢菩薩俗形
第十殿米持金剛埴山姫命毘沙門天俗形
第十一殿飛行夜叉彌都波能賣命不動明王夜叉形
第十二殿勧請十五所稚産霊命釈迦如来俗形
熊野那智大社では「瀧宮」(祭神 大己貴命(飛瀧権現)、本地仏 千手観音)を第一殿として、以下一殿ずつ繰り下げとなり、中四社・下四社の八神を第六殿(八社殿)に祀り、あわせて「十三所権現」となっている。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語