茨田堤と「呉の勝」:茨田勝
- tootake
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更新日:17 時間前
第746話 #仁徳天皇 #邪馬台国 #台与
茨田堤(まんだのつつみ)は、仁徳天皇が洪水や高潮を防ぐことを目的として、淀川に築いたとされている堤防のことです。このブログでは、これまでに何度か記事にしています。
~第202話:茨田堤 第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
茨田とは、守口市の全域、門真市の全域、大阪市鶴見区の一部(今津南、今津中、今津北、横堤以東)、枚方市の一部(菊丘南町、菊丘町、高塚町、岡山手町、岡東町より南西および川原町・香里ケ丘の各一部)、寝屋川市の一部(下神田町、中神田町、東神田町、清水町、錦町、東大利町、早子町、八坂町、平池町、豊野町、緑町、三井南町、成田南町、成田東が丘より北西および日之出町・本町・三井が丘の各一部)、大東市の一部(諸福、太子田、赤井、氷野、大東町より北西)のことで、私がミマキ国(邪馬台国)とする地域のことです。
この茨田堤は、堀江の掘削とも連動しており、大規模な土木工事でした。
この茨田堤を作ったとされているのは、彦八井耳命です。茨田堤の痕跡は、河内平野北部を流れる古川沿いに現存しています。 京阪電車の大和田駅の東北にある堤根神社(つつみねじんじゃ)は、茨田堤の鎮守として創建されたものです。本殿の裏には、茨田堤の跡と推定される堤防の一部が現存しています。堤根神社の祭神は彦八井耳命です。新撰姓氏録では茨田連条には、彦八井耳命を神八井耳命の子とする説が記載されています。
神八井耳命は、菟道稚郎子=御牧入彦(崇神天皇)=聖徳太子=台与です。
~第537話:神八耳命は台与(豊)
新撰姓氏録に、茨田にはこの茨田勝という人物がおり、神八井耳命の子孫と書かれています。そして、河内国諸蕃部において、茨田氏の祖として「茨田勝 呉国王孫、筑紫太宰帥」と記載されています。
茨田勝は、中国・三国時代に存在した呉国の王族を祖と自称し、自らを「呉国王孫」と称した。また、大宰帥(筑前・筑後を統括する九州地方の中央官職)を歴任したと伝えられ、この渡来系氏族としての地位を築いたと見られています。仁徳天皇の時代に、現在の大阪府南部~堺市周辺と推定される地域へ「茨田部」が賜与されたことから、所領名を氏の称号として採用し「茨田勝」と称したとされています。
播磨国風土記に、「昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた。その後、摂津の国の三島の賀美の村に移ってきた。」
という記述があります。摂津の国の三島は、茨田(守口市・寝屋川市・枚方市)の対岸です。ということは、茨田勝こそが呉の勝と思われます。
関連項目:第48話:太田市と遺跡 ~呉の勝 第271話:徐福伝説と「呉の勝」
第304話:隼人族は呉の勝
古事記の仁徳天皇の段には、茨田堤は秦人を使って作ったこと、難波の堀江を掘って、河内湖の水を海(大阪湾)に通わせたこと、そして小椅江*を掘ったり、猪甘津*を掘ったり、墨江(住之江)の津を定めたことが書かれています。
*小椅江の小椅は、大小橋命のことです。
大小橋命は、吾平津媛の父親です。古事記によれば吾平津媛は「阿多之小椅君」の妹とあります。少し脱線しますが、通説では、吾平津媛は日向吾田邑の人とされているため九州の人物とされていますが実は、日向は大阪府守口市の地名です。~守口市日向町〒570-0023。第295話:日向は大阪府守口市 守口市も茨田です。
吾平津媛は神武天皇の后です。神武天皇の后は五十鈴姫です。つまり吾平津媛=五十鈴姫=台与ということです。神武天皇自身も台与です。~第566話:神武天皇と橿原神宮
第294話:吾平津媛~神武最初の妻
阿多之小椅君は、日本書紀に登場する火闌降の子孫である「吾田君小橋」と同一人物と思われます。小椅=小橋は、大阪市天王寺区の地名です。その場所には産湯稲荷神社があります。こちらもJR鶴橋駅の近くで宇迦之御魂神、下照比売命、大小橋命の三柱を祀っています。~第627話:大阪と邪馬台国:鶴橋・小橋
*猪甘津については、第626話:大阪と邪馬台国:猪飼野
ですでに書いており、いずれも台与(=仁徳天皇)に関係のある地としています。
大小橋命は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
・第459話:hidemaru3375.com/post/台与と秦氏では、秦氏が台与の後ろ盾になり、両者が協力したことによってヤマト=邪馬台国は、大規模な土木工事ができるようになったと書きました。
・第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤では、仁徳天皇=聖徳太子が茨田堤や堀江を築いたとしました。
茨田勝が、神八井耳命=聖徳太子=台与であるなら、「呉の勝」一族は、台与、ウツシコオの一族であると言えるでしょう。次回に続く
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語